昨年秋の一時帰国を終えてから、まだ4カ月も経っていないのだが、再びの福岡。パンデミック明けからは、年に1回だった一時帰国を2回に増やしていたが、今回、半年を待たずに長期滞在するのは、母(86歳)の白内障の手術(両眼)に伴ってのこと。
今や白内障の手術といえば、あっというまに終わる簡単なもの……らしいが、数日とはいえ老人が片目だけで一人で暮らすのは、危険が伴う。身の回りの雑事やその後の通院などに付き添うべく、故に、今回は前倒しで帰国した次第。
普段は、車で十数分の距離に暮らす妹や、週に2回来訪されるヘルパーさん(介護サーヴィス)が母をサポートしてくれているので、とても助かっているが、簡単な手術とはいえ、通常とは異なるルーティンが発生するため、人手は多い方がよい。
見た目は元気そうでも、母も娘も加齢は加速する。もう、5年前、10年前とは、全く異なる身体の衰え(自分比)。
今回、1カ月と長めの滞在を決めたのには、自分がゆっくりする時間を確保したいというのもある。昨年の秋は、途中でインド友らと韓国旅をしたり、旅の後半に夫がやってきて壱岐旅をしたりと、今振り返れば、濃かった。もちろん楽しかったが、結構な体力を要する旅であった。今回は、状況に応じて、国内を1〜2泊ずつ、どこか旅できればいいと思っている。(するのか!)
福岡到着翌日の昨日は、近所の整骨院に行き、右手首の腱鞘炎の様子を見てもらった。一気に注射や薬で治すのではなく、ぼちぼちとアーユルヴェーダのトリートメントで……と思っていたが、かれこれ1カ月も治らぬまま。親指界隈に力を入れると痛むので、福岡にいるうちに、治したいと思っている。
右手が使いづらくなって初めて、いかに右手の負担が大きいかを認識する。そら、左手も左手なりにがんばってはいるが、右手の労力の比ではない。長い間、無理をさせたねと右手をかばいつつのライフは、自ずと活動全体の速度を落とすことにつながる。これはひとえに「神様の思し召し」だと心得る。
着物とサリーの展示会の準備も、普段より時間をかけざるを得なかったが、その分、身体の疲れは浅かった。旅に際しても、普段はグイグイとひっぱり歩く20キロ超えのスーツケースも、じわじわと運び、ゆっくりと動作することで、足腰への負担も軽減される。
「身体を大切な楽器だと思って扱いなさい」
という、アーユルヴェーダのドクターの言葉を肝に銘じて過ごそう。
リアルな緑あふれる、すてきなケンペゴウダ国際空港に別れを告げて、空を飛ぶ。バンガロール=成田直行便が就航して5年。東京に滞在するには便利だが、福岡のみの滞在には、成田で乗り継ぎ(荷物の受け取り)があるため正直なところ不便。しかし、香港経由もシンガポール経由も、乗り継ぎのタイミングが悪く、今回も日本航空直行便だ。
九州上空、五島列島やら筑後川を見下ろしながら「ここで降ろして〜」と思う。
わたしが生きているうちに、バンガロール=福岡直行便が就航することは……ないだろうなあ。
1枚目の写真は、実家からの夕景。多々良川の向こう、玄界灘に沈む夕日の麗しさ。鳳凰の如き雲に抱かれる小さな航空機の愛らしさ。
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