◎「人生はロールケーキ」の1周目を終えつつある昨今。かつてなく長い期間、故郷で過ごすことで、精神もまた、日々振り出しに戻りつつある。先日、図解した「人生はロールケーキ」だが、書き込んでいるうちに、思い至った肝心なポイント(記憶の歪み)を書き忘れていた。大切なことなので、後日、記したい。
◎今日、母の白内障手術第2弾(右目)が無事終了した。右目はそもそも、ほとんど見えていなかったらしく、白内障に加えて別の手術も同時に行われたことから、時間もかかり、母もかなり疲労していた。しかし夕食はしっかりすませ、今は眠りについている。これからまだ眼科通いや目薬投与は続くが、ひと段落だ。
◎今日は、母の介護保険サーヴィスのサポートをしてくださっているケアマネージャーの方(通称ケアマネさん)が来訪されての打ち合わせ。明日は介護保険認定の方が来訪され、現状を調査される。現在は要介護1だが、2年目がどうなるかの審査だ。このことについても綴りたいこと多々あるが、ともあれ、国のシステムに感謝である。
◎昨日は、生まれる前からのご縁が深すぎる旧友の美砂さんが住む西戸崎へ赴いた。彼女が経営する「旅のかけらを集めたギャラリー&ブティック/アレナプルクラ」で、バッグ作りのワークショップが開催されるということで参加させてもらうことにしたのだ。ちょうど母の手術の前日、自由に動ける日だったのもよかった。
◎西鉄電車で名島から和白へ。そこからJR香椎線に乗り換えて西戸崎へ。子供のころ、遠足などで訪れていた。この先の志賀島もまた。懐かしい。
◎わたしは昔から、電車の先頭に乗り、眼前の光景を眺めるのが好きだったが、この日は久しぶりにそれを経験できて心が弾んだ。
◎香椎高校に通っていたころ、高校から雁ノ巣のレクリエーションセンターまで徒歩で往復する「春の鍛錬遠足」が恒例だった。普段、そんな長距離を歩くことはなかったので、みな疲労困憊になりながらも、おしゃべりしつつ、歩いたものだ。
◎第二次世界大戦前、ここには「福岡第一飛行場(雁ノ巣飛行場)」があった。朝鮮、台湾、中華民国、満洲国、東南アジアへの路線が運航されるなど、戦前における国内最大規模の民間飛行場だったという。太平洋戦争中は海軍航空隊が置かれ、特攻隊が飛び立った。
◎第二次世界大戦後は米軍に接収され「ブレディ飛行場」に。その後も朝鮮戦争の際に重要な拠点であり、1970年代に米軍から返還されるまでは、戦争の匂いがする場所だった。名島の水上飛行場といい、雁ノ巣の飛行場といい、わたしの子供時代には飛行機や船が身近にあって、わたしの「空港好き」や空への憧れは、幼児体験も影響しているのだと思う。
この日、東京から来訪されていた先生方のご指導で、PP(ポリプロピレン)バンドを用いてのバスケット作りを楽しんだ。腱鞘炎はまだ治っていないのに。ちなみに腱鞘炎を治癒すべく、帰国以来、数日おきに整体にも通っている。眼科も整体も香椎なので、とても便利だ。
アレナプルクラは、海辺にほど近い「うみなかテラス」という商業施設の一室にあった。すてきなパン屋さんやお弁当屋さんが入っていて、チャーミングな空間だ。ワークショップの前に、手作りのミニお弁当を購入してテラスで食べる。おいしくて幸せ。
バッグ作りは想像していた以上に楽しかった。難しすぎず、簡単すぎず、ちょうどいい塩梅。集中しつつ、おしゃべりしつつ、形にできる。軽くて丈夫、実用的で、見た目もかわいらしいのがすばらしい。異なる色やデザインで作りたくなった。ミューズ・クリエイションの活動でも、こういうハンディクラフト作りをまた再開したいと思いつつ……尽きぬ。
完成後、ティータイムや写真撮影、おしゃべりを楽しんで、解散。本当は海辺に出て夕日を眺めたかったが、母のややこしい目薬投与や夕飯もあるので、また次回。久しぶりに潮の香りを吸い込めただけでも、爽快だった。帰路は、美砂さんの幼馴染であるみゆきさんに車で送ってもらう。かつての海が、陸になっている。
時空が歪む。
いい、いちにちだった。
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