静かな雨音で目覚めた。窓の外はほの暗く、まだ夜は明けていない。
元旦に、雨? 雨期でもないのに……。
再び目を閉じて、次に目覚めたときには、もう夜が空けていた。しかし、雨はまだ降り続いている。
HAPPY NEW YEAR.
まだ寝ている夫を起こすつもりで、声をかける。
アケマシテ、オメデトウ!
寝ぼけながらも、新年の挨拶を交わす。
わたしたちの寝室の一隅で眠っていたNORAが、背中をグンと弓なりに曲げながら伸びをしている。
HAPPY BIRTHDAY, NORA。1歳のお誕生日、おめでとう。
昨年の7月初旬、わが家を自らの住処と決めて暮らし始めた彼女。病院に連れて行った際、ドクターから「生後、7カ月くらいですね」と言われたことから、彼女の誕生日は元日だと決めていたのだった。
ベッドから起き上がり、ギザ(浴室の湯沸かし器)のスイッチを入れる。湯が温まるのを待つ間、階下に下りる。雨はすでに止んでいた。庭に出れば、鈍色に沈む、雨に打たれた御影石の遊歩路の上に、枯れてなお凛とした菩提樹の葉が、鮮やかなピンクのブーゲンビリアの花が、鏤められている。
いつのときも、静かに微笑んでいる仏像に向かって、手を合わせる。と、雲間から太陽の光がこぼれ始めた。ゆらゆらと、覚束なくあたりを照らす。
2015年最初の朝だ。
リヴィングルームにも、キッチンにも、夕べの小宴の名残が少し。大まかな片付けは、2014年のうちにすませておいたが、布巾の上に伏せておいていたワイングラスやシャンペングラスの脚の部分を、注意深く指と指の間に滑らせて運び、リヴィングルームのカバード (cupboard) に納める。
テーブルクロスをはがし、ナプキンやエプロンなどと一緒にまとめて、洗濯機へ投げ込み、回す。元旦には家事をしてはいけない。というのは、日本の話。ここはインド。これくらいのことはしても、いいだろう。
夕べは、1年半ぶりに、日本からバンガロールへ「里帰り」している、友人夫婦と共に、年を越した。1年半ぶりの来訪に、最初は懐かしさを覚えていた彼らはまた、たちまち時を超えて、つい先日も遊びにきたばかりだというような雰囲気で、くつろぎ、飲み、食べ、語り合った。
新年を祝う、街の随所で打ち上げられる花火の炸裂音を聞きながら、新年あけましておめでとう、の乾杯。
インド。この国に暮らし始めて、10回目の年越しだった。
最初の数年は、高級ホテルやバンガロールクラブのパーティにて、飲んで食べて、踊って騒いでの狂乱の中で、新年を迎えて来た。しかし、年末をアーユルヴェーダグラムで過ごすようになってからは、ここ5年間というもの、「心静かに年を越し、心静かに新年を迎える」のが恒例となっている。
そろそろ、シャワーのお湯が温まったころだろう。
おろしたてのバラの香りの石鹸が、バスルーム全体を甘酸っぱく芳しい香りで包み込む。刹那、ワシントンD.C.の、ナショナルカセドラルにあるビショップス・ガーデンを思い出す。初夏のころ、あの庭を満たしていた、大輪のバラの花々。
あの地で過ごしたのは、4年余りだったか。
気がつけば、米国での10年足らずの生活に、追いつこうとしているインドでの生活。「今しばらく」のつもりが、こんなにも久しき日々。
そして今年の自身。この地球のうえに生を得て、まもなく半世紀となる。
「いつか」「こんど」などと、先延ばしにしたところで、その未来は決して訪れてはこないのだということを、身を以て思い知る昨今。
だからもう、年始の、ただ自己満足に過ぎない程度の「今年の目標」を、軽々しく口にしたりするのは、よそうと思う。できなかったことを数えることの遣る瀬なさ。
走らない。息切れするような走り方はしない。
心地よく、身体が軽く感じられるような、せめて「早歩き」で、ゆく。周りの風景に心を配りながら、ときに立ち止まれる余裕を携えながら。
シャワーを浴びたら、ひどくお腹が空いていることに気づいた。昨夜のおにぎりの残りを、蒸し器で温め直す。冷蔵庫から、ホウレンソウのおひたしや、レバーのパテや、煮物などの残りを取り出して、皿に盛る。そして、もりもりと、食べる。
ちなみに、煮物、とは、鶏の丸焼き和風ヴァージョン」のことだ。いくら簡単でダイナミックに調理できるからといって、このところは集いのたびに鶏の丸焼き。これでは芸がない。というわけで、見た目はいつもと同じだが、今回は初めて「和風仕立て」にしてみたのだ。
先日の豚肩ロースのブロック肉塩麹漬けのおいしさに開眼し、今度は丸ごと鶏肉を塩麹に一晩つけてみた。野菜は玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモの他に大根、それに干し椎茸を柔らかく水で戻したもの。これらを和風に調味して、オーヴンに投入、焼いたのだ。
じっくりと味がしみ込んだ肉や野菜。おにぎりとよく合って、日本人の胃袋には殊更に、ぐっと染み入る。
食事を終えて、コーヒーを煎れ、今度は残りのケーキを食べる。翌日にはしっとりとして、できたてとはまた別のおいしさだ。
心の余裕、時間の余裕、今年は今までよりももっともっと意図的に、その余白を確保しながら、自分にとっての、「量より質」の生き方を、追求していこう。
1998年にニューヨークで出版社を起業。その後、2000年にホームページを立ち上げ、以来、数多くの言葉をネット上に鏤めてきた。
以前は、「読み返してくれる人がいるかもしれない」と思っていたが、しかしひたすらに情報があふれる今の世界。情報の大海の中で眠り続ける過去15年分の言葉は、多分これからも、目覚めることは殆どないだろう。
なにしろ、「文字量」「文章量」だけを考えてみても、1カ月に書籍1冊分は軽く綴って来た。12X15。少なく見積もっても、平均的書籍「180冊分以上」のヴォリュームが、我がホームページに眠っている。塵も積もって山となりすぎである。
自身の言葉の発信方法については、この15年間をしても、幾度となく自問し、試行錯誤してきた。
単に表現の場として「ブログ」という媒体を利用しているつもりが、「ブログを書く人」「ブロガー」と形容されることがいやで、ブログというツールを使うことに対して抵抗を覚えた時期も久しい。
わたしはライターであり、編集者である。という矜持はしかし、とても主観的なものである。この際、どういう認識のされ方をしたとしても、よいではないか。という気持ちにもなりはじめている。
インド生活も10年を迎え、インドを伝えることばかりが、わたしのすべきことではないのだ、という思いをもまた、新たにしている。ゆえに「インドもの」「インド以外の遍く世界もの」とに、自分の世界を区別すべく、インドものに関しては、この『インド百景』に一括することにした。
自分としては情趣的なはずだった『片隅の風景』についても、年度末のサーヴァーのトラブルで更新が不具合になっていた『インド百景』に一括し、移住当初から使って来た、このTypepadの有料ブログ・サーヴィスを利用することにした。そもそも、Typepadのサーヴィスが不安定だったこともあり、別の場に書き始めたのだが、最近は安定していることから、元に戻る次第。
Anyway。こんな内部的な事情は、読者の方々には何ら、関係ないであろう。
ともあれ、旅は、続く。
衝動で旅に出ていた20代、30代のころとは、異質の自分だからこそ、あのころの旅の経験が愛おしく、今の自分を育む上でかげかえのないことであったと、改めて思う。
旅する人生。彷徨する日々。流浪の歳月。その有り難き、無数の記憶。
異文化、異質を知り、理解に努め、敬意を払うことの尊さ。自身を育む諸々を「客観的に見る」その目を養うことの重要さ。そういうことをも、若い人々に伝えておきたいと、思う気持ちもある。
未知なる世界を垣間みて、体験することで、得られて来たその「考え」を、大切に守りながら、反映させながら、これからも形を変えつつ、自分なりの言葉で、発信を続ける。
縁あって、ここにいらっしゃるみなさま。2015年もまた、どうぞよろしくお願いします。