インドで迎える11回目の年の瀬。この歳月の重量感を図りかねる、見上げれば青空、心地よい涼風。
インド移住以来丸10年の総括はさておき、「師走」らしく、駆け抜けた1カ月であった。
気がつけば、この『インド百景 2015』に記した12月の記録は一度きり。
無論、日本への一時帰国時に友人に勧められて始めた「Instagram」が思いのほか便利で、そこに写真と言葉を刻み、FacebookやTwitterにシェアしているので、常に発信した気分ではあったが、まとまった文章を記す機会を逸していた。
12月は、別れの季節でもあり。ミューズ・クリエイションのメンバーも3名が帰任され、お別れ会なども行われた。
そんな中、3匹目の猫ジャックを保護し(正確には、先月保護した3匹目のチャックが直後に他界したため4匹目)、何かと賑やかで気分が散漫な日々でもある。
16日から1週間に亘ってのムンバイ出張はまた、インド生活10周年を締めくくるのに相応しい仕事であった。
思い返せば2006年。インド移住直後にお受けした初めての「出張仕事」を契機に、以降、毎年のように、さまざまなテーマで以てのお仕事をご一緒させていただいているクライアント。
10年の仕事を振り返ればまた、プライヴェートな暮らしだけでは知り得なかったインドの側面を反芻でき、その経験が、自身のインド観、世界観を育んでいることにも気づかされる。
出張から戻り、25日はクリスマスパーティ。そして26日は、今年最後の仕事、日本から来訪中の大学生(インターン)十数名を対象としたセミナーを実施した。
正直なところ、25日の宴の翌日にセミナーというのは、なかなかタフではあると思ったのだが、「いつかまた」のタイミングがあるインド在住者向けセミナーならまだしも、今回限りかもしれない滞在2週間程度の学生たちが対象とあっては、お断りするのにためらった。
本来は、26日から1週間ほど、(昨年を除いては)毎年恒例の「アーユルヴェーダグラム」に滞在する予定であったが、夫も28日に1日出張が入ったこともあり、アーユルヴェーダグラム滞在は短めにして、お引き受けした次第。
今年はミューズ・リンクスのセミナーを13回実施したが、そのうちの4回が日本からの学生を対象としたものだった。若者に向けての発信を増やそうと思いつつ、具体的な動きができなかったのが現状であるが、こうしてセミナーを通して、たとえそれが小人数であれ、リアルに熱意を伝えることができる機会を得られたのは、有り難いことであったとも思う。
さて、そんな次第で明日から3泊4日でアーユルヴェーダグラム。心身をデトックスして来ようと思う。滞在先で、心をまとめて、一年を締めくくるべく、言葉を綴ろうと思うが、今日のところは、12月に撮った写真のなかからいくつかを、インスタグラムに載せた分も含め、ここにまとめておこうと思う。
食に関する写真は、また食のブログで整理したい。
ミューズ・クリエイションチーム紙メンバー2名のお別れ会@リーラ・パレスホテル。
こちらはチーム歌のお別れ会@シャングリ・ラ・ホテル。このごろは、外資系のホテルが次々に誕生するバンガロール。個人的には、タージやオベロイ、ITCなど、昔ながらのホテルが心安らぐのだが、新しいホテルの華やぎもまた魅力的。
11日金曜日は、今年最後のサロン・ド・ミューズ。メンバーのうち30名以上が集っての賑やかな午後。ティータイムには、帰任メンバーによる歌や踊りのパフォマーンスも披露された。
メンバーが変われども、個性と個性が調和して、賑やかな空気感は変わることなく、ポジティヴに活動が続けられていることにおいては、本当に、よかったと思う。
そして16日の朝、ムンバイへ。1週間も家をあけるとなると、かつてなら「妻不在時の夫の食事」の準備がたいへんで、前日は大量の仕込みをせねばならないところだった。
しかし、秋の日本一時帰国前に、ご近所さんの計らいで我が家に来てくれることになった北インド料理ができるメイドの登場で、その心配がなくなった。なにしろ外食が続くとすぐに胃腸の調子を悪くする夫。味付けの濃い物が苦手な彼に彼女の料理は非常にマイルド、たいへん助かっている。
そんな次第で妻は、猫ら、特に小さなジャックにしばらく会えないことにだけ心を残しつつも、半年ぶりのムンバイに飛んだのだった。
訪れるたびに高層ビルが増えていき、マンハッタンを思い出させる摩天楼。南北ムンバイを結ぶシーリンクの景観が、何ともいえず、いい。
ホテルへチェックインする前に、いつもの露店で花を買い、いつものように日本人墓地へ。フォーシーズンズホテルの斜向い、低所得者層の住居の裏手にあるこの墓地。ムンバイに住んでいた2008年から2年間のうちには、一度も訪れることがなかったのに、ムンバイを離れて直後のこの5年間、ムンバイに立ち寄る際には足を運ぶようになった。近くにある、日本山妙法寺を訪れたことが、契機であった。
墓守のおばあさんと一緒に、お墓とお堂を清め、持参した日本のお線香を焚く。ここはいつでも、風が心地よく、木漏れ日がやさしい。
今回の滞在先は、セント・レジス。初めて泊まるホテルだ。モダンで快適。広々と寝心地のよいベッドもさることながら、うれしいのはバスタブ。
インドの一般家庭では使える湯量に限度があるので、潤沢な湯を使えるホテルライフでは、お風呂に入るのが楽しみなのだ。毎晩、ゆったりと湯船に浸かって、身体をほぐした1週間だった。
折に触れて記しているが、インド高級ホテルの魅力は、朝食が美味であること。新鮮な果物やフレッシュジュース、ペイストリー類、インド料理はさておき、コンチネンタル各種。朝からそんなに食べられるものではないが、それでも、楽しいものである。
小麦粉はもちろん、米粉、豆粉にも多彩な種類がある「粉もの王国」インド。パンケーキやワッフル、ドサ、ワダ、パラタと、主食の魅力もあれこれと。
調査と視察の1週間。以下は、街で拾った光景などを。
食事はしっかり朝昼晩。ランチは軽くすませることもあったが、一日が終わり、日本人女性3人となる夕食時は、毎晩、飲んでいた。
この10年で、いかに外食産業が変化したか、そして何もかもが高くなったかを肌身に感じつつ、確実に杯を傾ける。SULAのスパークリングワイン、ホリデーシーズン向けのボトルが、インド的ペイズリーでとてもすてき。
仕事が佳境だった長い一日を終え、日曜の夜。南ムンバイ最大のショッピングコンプレックスのイヴェントスペースで、夜祭のごときフードフェアが開催されていた。スタートアップ花盛りのインド。その氷山の一角を肌身に感じるひとときだ。
オーガニックプロダクツ、自然派コスメティクスなどもあり。起業し、成功を目指す若い世代の息吹を感じられた夜。生き残るのはごくわずかだとしても、始める土壌があるのは、魅力。
若い世代をインタヴューする今回の仕事では、昼間は人々の価値観の急変ぶりに驚かされ、こうして夜は、現実を目の当たりにして、事実を検証する思い。怒涛の勢いで変貌を続けるこの国の、渦に巻きこまれる。
ホテルでは連日、富裕層の結婚式が展開されており。フロントやロビーフロアやエレベータで、出くわす招待客の艶やかなこと! ファッションのトレンドは変われども、数晩に亘って行われる結婚式の儀式あれこれの基本形は変わらず。
連日、異なる派手なファッションで、結婚式をする方も、出席する方も、最早体力勝負である。
それにつけても、今回のムンバイ出張で一番驚いたのは、女性たちの「白」いファッションであった。そもそもインドでは(……という語り口さえ、すでに古びている気がするが)、白は未亡人が着用する色であり、喪に服していることを意味していた。
故に、結婚式などでも、白いサリー(白地に金のボーダー入りが伝統のケララ州などを除く)は歓迎されなかったし、着用する人もいなかった。
しかし、昨今の「アメリカナイズ」された人々のファッションといったら! 従来のカラフルさも健在ながら、白を始め、柄物ではなく「単色」がひときわ目立った。ニューヨークを始めとする欧米のトレンドをボリウッド女優らが取り入れ、それが広がるという流れのようだ。
ジーンズに白いシャツ姿の女性たちを、何人見かけたことか。それは、今回が初めてのことであった。
今回、インド料理を食す機会が少なかった中、北ムンバイのバンドラで、地元で人気店らしい北インド料理店へ。やはり汁気のあるチキンカレーやダールの油脂とスパイスの強烈さにはやられたが、むしろポムフレット(マナガツオ)のフライが「軽く」思えて、とてもおいしかった。
そして最終日。夫のアスペン・プログラムの同期で、先日拙宅へ遊びに来た女性のお宅に、おじゃました。彼女とわたしは、先日会ったばかりだったのだが、かつてNGOを立ち上げ、インド各地の女性たちを職業支援すべく活動をしていた彼女とは意気投合し、ムンバイ出張時には遊びにいらしてと、誘われていたのだった。
クライアントの女性含め3名でお伺いし、お母様と弟さんに歓待されてのランチタイム。会話も楽しく、お母様の手料理も非常にヘルシーでおいしく、やっぱりインド料理は家庭料理に限る……との思いを新たにしつつ、とても有り難い経験だった。
ちなみに、ご両親はグジャラート出身で、お母様は超ヴェジタリアン。料理はチャツネからギーに至るまで、すべて手づくり。普段は、数キロ南に位置するコラバで一人暮らしをしている息子のためにお弁当を作り、ダッバワーラー(ムンバイ名物の弁当配達人)に頼んで届けてもらっているらしい。
一日一食でも、こんなヘルシーで心のこもった料理を食べていれば、心身ともに健やかでいられるというものだ。
テキスタイル・ショップが並ぶ界隈へ足をのばす。圧倒的な色の迫力にも、ずいぶん慣れたものだ。
そしてムンバイの南端、コラバのアポロ・バンダー地区にある、タージ・マハル・パレスホテルへ。ここは、わたしにとって、ムンバイにおける心の拠り所、のような場所である。初めてムンバイの土を踏んだ時、最初に泊まったのが、ここだったこともあり。
今年の前半は、更年期障害だかなんだかで体調がすぐれず、その上、狂犬病ワクチンを打たねばならない事態となり、4月11日には正体不明の絶不調となったのだが、久しぶりにムンバイを2泊3日で旅するべく、このホテルに予約を入れていた。
そのタイミングを外すと、他に来られるチャンスが当分ないとわかっていたから、翌々日の13日、病み上がりで飛行機に乗り、敢えてムンバイを目指したのだった。
思えば今年の前半は、本当にやられっぱなしだった。その月末、29日からは発熱し、デング熱を発症。人生ほぼ初の入院となり……。しかしこれまた、5月9日からニューヨーク行きを控えていた。退院の翌々日にサロン・ド・ミューズを開き、その翌日にはニューヨークへと飛んだのだった。
たいへんだった割には、振り返ってみるに、元気なことだったと思う。
コラバ・コーズウェイも、少し歩いた。住んでいたころ、お気に入りだったティオブロマというベーカリーへ。チョコレートブラウニーなど、どっしりとした焼菓子類が有名なこの店で、チョコレートのローフとラム酒たっぷりクリスマスケーキ(賞味期限1年!)を夫のお土産に。ローフは実に濃厚ながらも美味で、数日のうちに夫が大半を平らげてしまった。
バンガロールに戻る日、最後に空港近くのITCでランチを。空港界隈の道路がすっかりときれいになっていて、驚いた。ムンバイの国際空港は非常にすばらしく生まれ変わったらしいのだが、あいにく国内線である。エアインディアだと、国内線でも国際線のターミナルが利用されるとの話を聞いたので、一度試してみたいものだ。
大都会ムンバイから、そこそこ都会バンガロールへと戻り、一段落したらクリスマス・パーティの買い出しへ。インディラナガールで諸々の買い物をすませたあと、「足りなかった物」を一気に調達できる店へ。それは移住当初から御用達のトムズ・ベーカリー。
昨今のウエスタナイズされたクリスマスではない。紀元数百年のいにしえからこの国で信仰されてきたキリスト教。その教えを先祖代々受け継いできた敬虔なクリスチャンたちの様子もまた、垣間見られるトムズ・ベーカリー。
欧州的なプラムケーキや、花の形をしたローズクッキーは定番だ。昔ながらを貫く、ちょっと野暮ったいけどアットホームな品揃えに、ほっとさせられる。無論、このケーキを食べたことはないのだが。プラムケーキやパウンドケーキは、素朴においしいのだ。
パーティ用も追加して、お気に入りのインドワインを撮影。10年前には想像もできなかった。インドの国産ワインが、こんなにも豊かにカラフルにおいしくなるなんて。
さて、25日。すでに海外旅行や日本への帰国などで不在の人々が多い中、バンガロールにいるミューズ・クリエイションのメンバー及び我々夫婦の友人らを招いての、パーティを行うことにした。
昨年同様、料理の準備は「調理実習」と称して、参加できるメンバーと共に行った。メニューは、ダイナミックにシンプルに、おいしいものを。
まず最初に、アップル・タルトタタンから。タルトの生地を作って、冷蔵庫に寝かせている間、18個ほどの山盛りのリンゴを、みんなで剥く。切る。みんなで作業すると、あっという間。
それを、オーガニックのバター、砂糖、そして今回はシナモンを入れて香りを出し、煮詰める、煮詰める。その間に、次なる作業をしつつ……という具合に、あれこれ同時進行で、作業を進める。
本来、タルトタタンは、タルト生地が下に来るよう、逆さまにするのだが、これほど大きいと逆さまにするのは困難。というわけで、表面のタルト生地にクッキー型でデコレーション。お子様の作品みたいになったが、それもまた微笑ましいということで。
前夜のうちに塩と砂糖でマリネしておいた鶏ハムを茹でて完成させる。おつまみはこのほかにも、ひよこ豆のハムス(フムス)など。毎度おなじみの丸ごと鶏肉のグリルは、たっぷりの玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジンを敷いてオーヴンへ。
合計2キロの豚肩ロースの塊肉。これもまた前夜からマリネしておいた。去年は大人気だった塩麹マリネだが、今年は塩麹がなかったので、バーモント風に。米国のバーモント州で古くからの健康法だとされているリンゴとハチミツのドリンク。そこからのネーミングである。
まずは大量のキャベツを鍋底に敷く。敷くというよりは、鍋の8割程度を占めており、豚肉が入るかどうかもあやしいところ。そこに、リンゴのすりおろし、ハチミツ、ショウガ、しょうゆ、白ワインで漬け込んだどっしり2キロの豚肉のドシンと載せる。蓋が閉まらない。が、ノープロブレム。最初はしまりきらなかった蓋が、やがてキャベツがしんなりと煮込まれて、気がつけばぴったりと収まっている。数時間煮込んだ豚肉を、テーブルに供する前に切る。
このほか、インゲンやベビーコーンの蒸したもの、トマトのグリルなど、野菜もたっぷり用意した……はずが、あっというまになくなってしまうほどの。
今回、イカやエビも。ニンニクのみじん切りをバターで炒め、塩こしょうをしただけのシンプルな料理ながら、これもまた、とてもおいしい。
ホームベーカリーで作ったフワフワの焼きたてパンを2山、準備していたので、ソースはパンと共に食べても美味である。
インドでの宴と言えば、8時ごろに人々が三々五々集まり、おつまみなどを口にしつつ、グラス片手に会話を楽しみ、早くても9時半だの10時だのを過ぎたころから、ようやく料理のふたが開く。
それでは遅すぎるとはいえ、我が家でのパーティは9時ごろに夕食開始が常なのであるが、今回は日本人が多いこともあり、全てが早いペースであった。
「ごはん、まだですか?」
「デザート、まだですか?」
と、急かされて、あっというまに食べ物が消えていくのだった。幸い、今回クリスマスに招いているインド人のゲストは、昨年の我が家のパーティにも来訪していて、「日本人は早い時間から料理を食べる」ということを知っているせいか、早い時間から参加してくれていたのだった。
「去年は、豚肉を食べ損ねたからね」などと言われて、苦笑である。
ちなみに今回、クリスマス・パーティに招いたのは、ノンヴェジタリアンのゲストだけ。さもなくば、野菜だけの華やかな料理が少なすぎだったがゆえに。みな、鶏肉だけでなく、豚肉も喜んで食べてくれる面々で、本当によかった。
じっくりと味がしみ込んだアップル・タルトタタンもまた、大好評だった。
インド生活10周年。11回目のクリスマスがまた、平和に過ぎていったのだった。
そして翌日の午後は、学生向けのセミナー。午後からなのが幸いだったが、なかなかに飲みすぎに配慮せねばならず、午前中はなにやら、頭が冴えなかった。
が、午後からは復調し、会場へと赴いたのだった。数時間に亘り、インドを語り、自分を語る。そのたびに、わたし自身もまた、諸々を反芻する。学生たちからの質問に、思いがけない発見もある。来年もまた、「若者」を対象とした活動を強化していきたいと、改めて思った午後だった。
さてさて。
諸々、やり残した感は拭えないが、あと数日で今年が終わる。あとは来年に持ち越して、心穏やかに新年を迎えよう。
明日の朝からは、短期間ではあるものの、アーユルヴェーダグラムで過ごし、元旦に自宅へ舞い戻って来る予定だ。
仕事始めは1月3日のラジオ生放送。それまでの数日間、ゆっくりと過ごそうと思う。