出張中にかかってくる電話での、彼のわたしに対する最優先伝達事項は、遠い昔から決まって、「何を食べたか」である。
数週間前は、開口一番、タージマハル・パレスホテルの日本料理店、WASABIにて、夕食をとったとの報告だった。カウンターで日本人シェフの男性と話をしたのが楽しかったようで、彼の略歴から、ご夫妻の出身地に至るまでの情報を提供してくれた。
そして昨夜は、フォーシーズーンズ・ホテルの鉄板焼きで、サーモンのグリルを食べたという。一人で優雅に夕食。よいことである。きちんとしたものを食べているとわかると、こちらも安心する。
昨夜、一人でカウンター席に座っていたら、やはり一人の男性客が彼の隣に座り、同じ料理を注文したらしい。よく見ると、現在建築中の新居のデヴェロッパーの元CEOで、バンガロール在住の男性だったとか。工事開始の儀式(プジャー)のときに、わたしもお会いしたことがある。
彼との会話も弾み、思いがけず楽しい夕食のひとときだったとか。今度は日本料理が好きな彼ら夫婦に日本の家庭料理を振る舞うべく、我が家に招く約束をしたとのこと。
誰が振る舞うのだ?
という話はさておき。今朝、おはようの電話をしたところ、朝食中であった。「今、ジャパニーズ・ブレックファストのセットを頼んだところ」だという。本当に、日本料理が好きな人だ。
それなりにストレスフルな仕事をしているはずのときも、海外出張のときも、たいてい、「何を食べたか」から話し始める彼。彼が食べ物に気持ちを持っていかれている限りは、大丈夫なのだろうな、とも思う。
一方のわたしはといえば、一人の夜は手抜きの夕食で、夕べは動画を見ながらアクセサリー作りを楽しんだ。
一人の夜は、時間がぐ〜んと伸びて、諸々の作業が捗るのが、非常によい。
こちらは「子供向け」のネックレス。自分で作っておいて言うのもなんだが、超かわいい。蝶々は固定しているが、クマの頭は、敢えてフレキシブルに、左右に動くようにしている。
これは、かわいらしいボタンにゴムを結びつけただけの髪留めだが、ボタンそのものがキュートなので、最初からでき上がっている感じ。
これらのボタンは、先日、ミューズ・クリエイションのメンバーと素材を購入しにコマーシャルストリートを訪れた際、わたしがやたらと気に入って購入したため、責任をもって制作・販売せねばならないな、とちょっとばかり思った次第。ガールズへのプレゼントにいかがです?
ジッパーも紐も付けず、本当に、ただ、ダダッとミシンを走らせて縫っただけ。クッションを押し込んで、グイッと収める、簡単な構造。
実はこの布。手紡ぎ、手織り、ハンドブロックプリントのMalkhaという工房の布で、何年も前に購入していた。それがやっと、日の目を見た。この布以上に、寝かせ続けている布がいろいろとあり……。次を購入するために、いい加減、起こしてやらねばならない。
この柄、とてもお気に入りなのだ。本当は、衣類を作りたくて買ったはずだったが……。まあ、これはこれでよい。
■MALKHA INDIA (←Click!)
ところで、数カ月前より、太極拳を習い始めている。先生は、1年ほど前に日本からバンガロールに移住された方で、鍼灸や指圧、整体などもされている。
週に一度、ゆっくりのペースで練習しており、従ってはまだ型を覚えるまでにも至っていないのだが、基礎的な練習を通しても、いろいろと学ぶことは多い。
心身ともに、節目を迎えているお年頃の昨今。自分のこれまでのペース、ライフスタイルを見直すべき時期なのだということは、常々実感している。
人それぞれ、心地よいペースも、理想とする生き様も、嗜好も、そして志向も違う。だから、どれが正しい、と言いきれるものは厳密にはないかもしれない。しかし、ついつい「高速」で動きがちだった自分の在り方を、意識的に見直さねばと切に思っている。
今まではこれでよかった。けれど、これから先は、これではいけない。
東京で仕事をしていた20代、米国で仕事をしていた30代のころに比べれば、インドでの40代は、比較的、緩いつもりだった。しかし、思い返せば、年中、心地のよい気候のこの地にあっては、常時、フル稼働だったのも事実。
しっかり寝ていても、しっかり食べていても、気持ちが落ち着いていなければ、真に休まっているとはいえない。短時間でも質のいい休息、質のよい静寂に身を置くことが大切だ、とも思う。
たとえば、歩くことひとつとっても、わたしは子どものころから、速かった。家の中の片付け、作業、諸々、やりはじめるまでに時間がかかることはあっても、やりはじめたら、早く終わらせるのが「好き」だった。
そして、それが自分にとって、いいことだ、とも思っていた。
30代のころ、クライアント氏の視察旅行のアテンドで、マンハッタンを歩いていた時のことだ。
「坂田さん。ショーウインドーが走馬灯のように見えます。もう少しゆっくり歩いてください!」
と言われて、初めて自分の速度に気がついた。ニューヨーカーは大抵、早歩きだということもあり、自分では気づかなかったが、常に前のめり、だった。もちろん、そのときは速度を落としたが、だからといって、自分のペースを変えるつもりはなかった。
一方の夫は、といえば、歩くのはゆっくりだ。だから、一緒に旅行などをしていると、ついついわたしの方が、先を歩いている。それが習慣になっていて、最早、違うのだから仕方がない、というくらいにしか思っていなかった。
今になって、そういう諸々の、小さな歪みが、大きな隔たりを育んでしまうような気も、している。
そんなことを思うようになったころ、太極拳で先生に、
「速く歩いたら、正しい姿勢で歩けません」
と言われて、はっとした。気持ちが先走るあまり、本当に前のめりに、歩いていたのだということが、わかった。脚の伸び方も、腰や腹部の力の入れ具合も、実に、間違っていた。正しく歩こうとするには、正しく座ろうとするには、努力が必要なのだ、ということをも、知った。リラックスして寝るのにも、矯正が必要なのだ、ということも。
つまりは、楽な姿勢=リラックスした姿勢ではない、ということだ。
まだまだ序の口の太極拳世界。これから少しずつ、その理念のようなものに触れ、自分の暮らしの中にも、取り入れていこうと思う。
肩の力を抜く。
肩肘を張らない。
背中を反らせない。
転じて、虚勢を張らない。
力の抜き方を、学んでいるところだ。