1996年に日本を離れ、ニューヨークへ移った。以来19年。米国在住時の10年間は、毎年帰国する訳ではなく、数年に一度だったが、2004年に父が他界し、その翌年にインドへ移住してからは、年に一度は帰国するようにしている。
夫もまた、ほぼ2年おきにわたしと共に日本を訪れている。去年は夫につきあっての九州旅が、楽しかったとはいえ、かなりエネルギーを要するものであったことから、今年はともかく一人で訪れたかった。
「僕も来週、やっぱり行こうかな?」という夫の言葉。それが冗談にならないことは、カシミール旅の突然の同行などで裏付けられており、戦慄である。発想は子供っぽいが、行動力と経済力は大人ゆえ、実行できるところが怖い。が、今回は日本。入国するにはヴィザが必要だから、衝動的に旅ができないので、安心だ。
そんな夫が、わたしが出発する前々日に発熱。38℃を超えたときには、さすがに心配になった。咳や喉の痛みなど、風邪の症状がなかったので、デング熱の発症を恐れたのだ。
実は数カ月前、夫は「軽症」のデング熱を患った。入院もせず、すべて自宅でのケアで短期間のうちに快癒したが、2度目となると、症状は深刻になるはずだ。こんな短期間に2回も罹患するとは思えないという一方、「まるおだもの」という気持ちもあり、心配である。
もしもデング熱だったら、旅は延期かキャンセルだ。さすがに夫を置いて旅にでることはできない。
というわけで、土日はやきもきしながら、自分の荷造りもそこそこに、できるかぎりのケアをした。日曜の夜には熱も下がり、少し風邪のような症状も見られたことから、旅の実施を決めたのだった。
なにかと頼りになるドライヴァーのアンソニーもいるし、家事全体を担ってくれるメイドのマニもいる。特に心配はないだろう。
一人での外食が苦手な夫のために、いつも旅の前には、不在時の料理を大量に作りだめするのが常だった。
しかし先日、思うところあり電子レンジを撤去した。冷凍したものを解凍して食べるのは、身体に好ましくないということを肌身に感じていることもあり、「北インド家庭料理が作れるメイド」を頼むことにした。
そのメイドの面接(実際に調理をしてもらう)も、土曜日にすませた。こちらの要望を比較的すみやかに理解してくれる感じのよい女性だったので、ひとまずは安心した。今のところ、ここ数日ではあるが、うまくいっているようである。
あとのことは、しっかり者のNORAに任せたいところだが、あいにく猫なので、頼り切れないのが残念だ。
シンガポールでの長い乗り継ぎ時間を経て、昨日の朝、福岡に到着だ。1年前といわず、数カ月前に帰国したかのような、時間の歪みを感じる。
敢えて10月20日の到着を選んだのは、この日が母の「喜寿」の誕生日だったからだ。せっかくならば母の誕生日に合わせたいと考えた。
ちなみに昨年、母はインドで我々と3カ月ほど一緒に過ごし、帰りのシンガポールにて、誕生日を迎えたのだった。
母の喜寿を祝うのに、どの店を選ぶべきか、妹と話し合った結果、父が他界して以来、一度も訪れていなかった店に決めた。
中洲にある小料理店、「ふじ乃」という店だ。
若い頃に福岡を離れたわたしも、この店には父に連れられて、2、3回、訪れたことがある。結婚前にアルヴィンドも来ている。
大将とわたしは、顔なじみ程度で、特に親しい間柄ではなかったが、忘れられない存在でもあった。なにしろ、最後に「生きた父」の顔を見たのは、病室で、見舞いに来てくれていた大将と父が話をしている姿に別れを告げたとき、だったから。
食べることが大好きで、死の間際まで、「おいしいものを食べること」を主張していた父。その父に、旬の「鱧(はも)」を調理して、病室まで届けてくれたのだ。死を間際にしているはずなのに、ベッドの上に座り、鱧をおいしいと食べる父に、なかば呆れつつも安心したものだった。
2004年5月のことだ。
インドからの旅を終えて米国ワシントンD.C.に戻ったその日、父が危ないと電話を受け、翌々日に日本へ飛んだ。しかし1週間ほどの滞在中、父が持ち越したため、一旦、米国に戻った。
その数日後、やはりもう危ないと連絡があり、再び帰国。父はわたしが成田空港に到着した頃、息を引き取った。
とてもおいしい料理を出してくれる店であることはわかっていたが、母や妹も、父が亡くなってからは足を運ぶことはなかった。
なにしろ大将と父は昔から非常に親しく、多分10歳年下の大将を、父は弟のようにかわいがっていたのかもしれない。その彼も、父が亡くなった歳を上回り、68歳になられたという。
さて、昨日であるが、母の喜寿を祝う会から、急遽、わたしの50歳の誕生日を祝う会に変更となった。
というのも、母が午後になり、急に体調を崩したのだ。この1年、大過なく過ごして来たことを話していたばかりだったのだが、わたしが帰国するとあり、張り切って掃除をしたのが災いしたのだろう。毎年毎年、無理をしないでほしいと頼んでいるのだが、どうにも理解してもらえないようだ。
わたしですら、自分に負担をかけないよう、しっかりと寝て体調を整えているのだと伝えても、これはなかなかわかってもらえないらしい。
ゆえに、せっかくの夕餉は、妹夫婦と3人で出かけることにした。さすがに予約を入れている以上、土壇場でのキャンセルや延期はできない。
その他、イカげその唐揚げや刺身なども加わり、至福の夕餉であった。終盤は大将も同席して卓を囲み、亡父の話も交えつつの、賑やかな宴となったのであった。
■博多の味 ふじ乃 (←CLICK!)
母の調子は、ほどなく戻りそうだ。
2週間足らずの日本滞在。丁寧に、楽しもうと思う。