毎年、毎年、思っている。一時帰国の時期を、5月頃にすべきなのだと。が、なかなか実現できぬまま、10年。
というのも、その時期は、毎年ニューヨーク(米国)入りしているからだ。永住権(グリーンカード)を保持し続けるため、毎年1年以内には米国の土を踏まねばならない。そのサイクルが5月になって久しく。移住当初は半年おきに渡米していたし、夫は今でも年に2回赴くこともあるので、秋にシフトしてもいいのだが、わたしはどこかのタイミングで、5月が固定化してしまった。
ゆえに、同時期に日本へ戻るのは困難ゆえの秋の帰省である。
なぜ問題かといえば、「買い物」である。
すべてが秋冬コレクション。靴も、衣類も、なにもかも。インドの気候には不適なのだ。買い込まなくてすむ、という利点もあるが、どうしても欲しい物が手に入らないのは、残念である。
その最たる物が「浴衣」だ。
インドではサリーを着用する機会が多いが、日本人としては、着物も身に着けたい。が、着物となるとあれこれそろえるのが大変だし、凝りだすと尽きないことが予想される。
ゆえに、やや高級な、伝統的な織りや染の浴衣をあつらえたいと思うのだが、この季節、ないのである。
実は何軒かの店に問い合わせてみた。銀座のデパートで開催されていた呉服フェアにも足を運んでみた。しかし、案の定、季節外れの浴衣は取り扱われていはいなかった。
上の写真、右端の「更紗」とある帯は、インドの手織り物から着想を得てデザインされたとのことである。
着物のことには、ほぼ「無知」なわたしだが、インドに暮らすようになり、手織り、手刺繍、手染めなどの伝統技術が生きたサリーを日常的に目にするようになり、テキスタイルに対する関心は、高まった。
その上で、日本の着物を見たときに、その反物に施された精緻な技の麗しさに、改めて衝撃を受ける。
日本を知らぬがゆえ、この刺繍を見ると、「パルシー刺繍に似ている」と発想が逆になってしまっている。
四季を映す日本の着物は、サリーよりも多分はるかに、奥深い。さまざまな流儀や作法を心得ておく必要があり、気軽に購入して、着用できるものでもない。ゆえにせめて、質のよい浴衣をとも思うのだが、それすらも、適切な時期に帰国せねば好みの物を得られない。
なかなかに、遠いものである。
東京に住んでいたころ、即ち20代のころは、表参道辺りが好きで、よく歩いていた。しかしもう、ここ何年かは、銀座ばかり。新宿や池袋は、昔から喧噪が苦手であまり近寄らず、しかし渋谷はたまに足を運んでいた。が、今となっては、よほどの用事でもない限り、赴かなくなってしまった。
電車や地下鉄に乗り、乗り換えては歩き、乗り換えては歩きをしているうちにも、普段とは異なるエネルギーを要するせいか、疲労困憊してしまう。
今回は、ホテルのそばに溜池山王の地下鉄駅があるので、そこから銀座線に乗って、極力乗り換えずに行ける範囲内で、楽しんでいる感じだ。
銀座を彷徨したあと、夕暮れ時に「烏來(ウーライ)」でマッサージをしてもらうのも、ここ10年ほどの定番コースだ。
ここのマッサージは、かなり効果的。時間がないときはフットマッサージだけ、余裕があるときにはボディもセットで頼む。昨日は時間があったので、90分のセットコースでリラックスした。予約をしてなくても大抵、すぐに対応してもらえる。今となっては、我が東京旅には欠かせない存在だ。
空気が汚れているとされているバンガロールから来ていて言うのもなんだが、慣れていないせいなのか、東京に来て以来、目が疲れて仕方がない。コンタクトレンズがすぐに汚れてしまい、インドでは使わない「ソフトコンタクトレンズ」用の目薬を一日に数回、さすほどだ。
無論、インドではそうそう、一日中、外を歩き回ることはないので、普段は感じないのかもしれないが、ともかく東京では、目が疲れる。
福岡では、PM2.5の影響で、常に空がくすんでおり、青空が見られなかったのも衝撃的だった。東京ではまだ青空はあるものの、福岡は今年、特に空気が悪いとのこと。子供たちが外で遊べない日もあるとのことで、この時期、運動会を開催する日程を決めるにも、大気の状況を考慮せねばならぬなど、たいへんなようである。
マッサージのあとは、銀座から日本橋高島屋までの道を歩く。リラックスした身体をほぐすように、心地よい気分で歩くのだが、すれ違う人、すれ違う人、歩きながらスマートフォンに見入っている。ゆえに、ぶつからぬようにこちらがよけねばならず、その異様な様子に戸惑う。
電車の中など、座っているときにスマートフォンに向かうのは、それは個々人の自由であるから、問題はない。ただ、歩いているとき、運転しているときなどに使用するのは、危険きわまりない。福岡でも、東京でも、何度か人にぶつかりそうになったし、実際、ぶつかった。
福岡では、歩道を歩きつつ、横断歩道を渡ろうと軽く進路を変えたら、後ろから来た自転車に突っ込まれた。これには本当に驚いた。歩道を歩いているにもかかわらず、背後から自転車が普通の速度で迫ってくるなど、予想していなかっただけに。
しかもぶつかって来た若い女性は、「うぉ、あぶね」と言って、急ブレーキをかけたあと、わたしに接触したにも関わらず、謝りもせず去って行った。あまりのことに、呆然として、言葉が出なかった。
一時帰国。もちろん、日本の「善き面」を満喫しているし、母国のすばらしさは、心得ている。その一方での、どこか感性を遮断せねばやっていられないような、不穏な空気はなんだろう。すべては、「慣れているか」「慣れていないか」ということに、帰結するのかもしれないが。
匂い、にしても然り。
匂いとは特に、慣れ、である。インドに暮らす多くの日本人は、インドが臭いと指摘する。確かに、万人が臭いと感じる、汚水やゴミの匂いは、当然、臭い。
が、スパイスの匂い、人の匂いに関しては、「慣れれば、違和感がなくなる」ということもある。というのも、わたしにとっては、日本の臭さが、辛い。
地下鉄に乗りこんだ瞬間、鼻につく、人の脂っこい匂い。過剰な洗剤の匂い。タバコと油が混ざったような匂い。コンビニのドアを開けた瞬間の、おでんやらなんやらの入り交じった匂い。それらが、ひどく臭く思える。
当然、日本に暮らしていたときには「慣れていた」ので、臭いなどと思わなかった。空港のレストラン街などで漂ってくる、日本のカレー専門店の、カレーの匂いも、強烈すぎる。「いい匂い」というよりは「臭い」と判断してしまう。
環境と、感情によって左右される嗅覚の感覚とは、奇妙なものである。
たとえば、特に気にしていなかった香水の香りを、自分の好きな人が身にまとっていたら、その匂いが大好きになり、その香りをかぐだけで、心がぐっとくる……。そういう現象の応用であろう。
さて、日本橋高島屋へは、ニューヨーク時代に知り合ったフォトグラファーの高橋さん(たかはしじゅんいちさん)が写真展を開催していたので、立ち寄ったのだった。
特別に加工された和紙に、特殊なインクジェットのプリンターで、画像を映し出す。そこに現れた、人間の肉体の、肌の様子、質感、光と陰の陰影がとても味わい深く、興味深い作品展であった。
その後は、高橋さんと一緒に、彼がお勧めの居酒屋「紀どり」へ。
このお店の店長と高橋さんがお知り合いだとのことで、日本各地の銘酒を取り揃えるこの店の、高橋さんは常連でもあるようだ。
というわけで、ビールで軽く喉を潤したあとは、店長が勧めてくれるお酒を試飲させていただくなど、序盤から日本酒三昧である。
途中、やはりニューヨーク時代に出会ったメイクアップ・アーティストのみちるっち(しまのみちるさん)も合流。3人で、料理に舌鼓を打ちつつ、日本酒テイスティング状態だ。
写真を撮っていない物もあるが、料理はどれも新鮮な魚介類で美味。「お子様」なわたしは、ご飯がないとお酒だけでは酔っぱらうので、最初からご飯のセットを注文。このお漬け物とみそ汁がまたおいしくて、ちょっと感激。
久しく中田英寿氏と親しいという高橋さんは、中田さんの影響で日本酒の世界に足を踏み入れた模様。中でも彼が撮影に赴いたという酒蔵の「十四代」というお酒が、お勧めだと言う。一番上に掲載している写真がそれだ。
表面張力もマキシマムに、なみなみなみなみと注いでいただいた、その十四代を、味わう。
おいしい。……おいしい!
普段はワインが中心で、日本酒を飲まないというみちるっちも、「旨い!」「旨い!」を連発している。高橋さん曰くの「雑味がない。」という新しいボキャブラリーを、多用しつつ、あまり飲めなかったはずが、進む。
連日の外食ゆえ、飲食、控えめにと思っていたのだが、美味なるお酒は、速やかに、五臓六腑に染み渡るものである。二日酔いする感じがしない。実際、普段に比べるとかなり飲んだ方だが、身体への負担が軽かった。
お酒の話と、店長が本業とは別に、「カレー」に心血を注いでいるという話題で盛り上がり、中盤インドの食生活を熱く語り、それ以外はよく覚えていないのだが、しかし、みちるっちからはお勧めのオーガニック・コスメ情報も入手したりして、実り多く、楽しい夜であった。
みちるっちからは、「インスタグラムをした方がいい」と力説されたのだが、いかがなものだろう。世の中、いろいろな媒体がありすぎて、なにがなにやら。
ともあれ、ニューヨーク在住時の、ほんの一時期、何度か会い、1、2年に一度、顔を合わせるだけであるが、Facebookなどでコンタクトがすぐに取れ、再会の機会が続いているというのも、ご縁である。
二人にはぜひとも、インドへ来て欲しいものである。
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帰りのタクシーの中で、夫から電話。
インド生活10年目にして、彼のキャリアにとって大きな転機となる出来事があり、それは、とてもうれしいニュースであった。
彼のこれまでの努力が、また一つ、形として実った。
一緒に祝杯をあげたいところだが、妻は一人で、祝杯、上げすぎた。彼が喜ぶような、なにかおいしい日本酒を、買って帰ることにしよう。
ちなみに猫らも元気なようだ。もっとも、NORAは久々にリスを捕獲してくるなど、野性味をアピールしているようであるが。
遠き我が家に思いを馳せつつ、残る日本滞在を有意義に過ごそうと思う。