今回は長めにと、5泊6日を過ごした東京。ペースを落として、詰め込みすぎず、ゆったりと滞在を……と思っていたが、あっというまに時は流れ、最終日の夜である。
前半は、友人らとの会合にあて、後半は仕事関係の方にお会いするスケジュールを組んでいた。間にもう少し、都内を巡る予定だったのだが、結局は行く予定だった場所に赴くこともなく、明日の午後には福岡だ。
ともあれ、悔いのない、有意義な日々であった。
日本を離れてまもなかった30代のころは、一時帰国のたびに東奔西走。昼夜、予定を詰め込んでは、人と会い、激しく飲み食いしていた。しかし、40も半ばとなったころから、そのエネルギーは徐々に失われ、ずいぶんと緩やかなスケジュールとなった。
普段のインド生活が、あまりにも家庭料理中心につき、胃腸が「健康志向」になっていることから、外食続きで体調を壊すことを懸念していたのだが、今回は杞憂に終わろうとしている。
ホテルには、朝食付きのプランで滞在していることから、最初の2日はカフェでのブッフェを試したが、これは今ひとつであった。
滞在先のANAインターコンチネンタルホテルは、朝食のレヴューもよかったが、インドの高級ホテルの朝食に比べると、サーヴィスも含め、今ひとつ。無論、これはわたしの極めて個人的な意見ではあるが。
新鮮な果物や野菜などが少ない。ペイストリー類はとてもおいしいと思ったが、日本料理、中国料理の朝食は、調味料の味が受け付けられず。
ゆえに、3日目からはルームサーヴィスでコンチネンタル・ブレックファストを頼み、素材の味が楽しめるシンプルな料理だけを選ぶことにした。卵料理のほか、トマトやマッシュルームのグリル、そして豆の煮込みなど。シリアルやパンも、好みのものを選べる。ヘルシーな野菜ジュースが用意されているのもうれしい。
夕食が重くなるであろう日のランチは、ホテルの近くのオーガニック・キッチンを利用した。品数こそ少ないが、有機野菜などを化学調味料などを使わずに調理した料理がブフェ形式で「量り売り」されている。
昨日は、日比谷界隈へ行く用事があったので、懐かしい場所へ。東京で編集者をしていたころ。新卒で入社した編集プロダクションから次の職場(小さな広告代理店)へ転職する際、当然、収入にブランクがあくことになったのだが、あまりにも貯えが少なすぎたので、夜、編集の仕事を終えた8時ごろから、喫茶店でウエイトレスのバイトをしていたのだ。
本当は「夜の女子的バイト」で高収入を目指したのだが、面接で「色気がない」と断られ、思い返すに笑える事情があれこれとあり、結局は日比谷の、かつて「日比谷シネシャンテ」と呼ばれていたこの映画館の1階にあったカフェレストランで、アルバイトをしていたのだった。
わずか2カ月程度のことであったが、いろいろと思い出深く。24歳から25歳になったばかりのころである。馬車馬のように働き、しかし貧乏で、タフで、無謀で、泣きをみるばかりの男運で、未来のヴィジョンなどまったく見えず、渦巻く世界に溺れるように、生きていた。
四半世紀前、真新しかった日比谷シャンテは、年季の入ったブティック街となり。しかしそこが懐かしくもあり、ふらふらとウインドーショッピング。帝国ホテルへ続く道の界隈も、すっかりと様子がかわってしまった。
近所に無印のカフェを見つけたので、コーヒーブレイク。窓の向こうに見えるは帝国ホテル。
思えば、この帝国ホテルについてのことも、書こうと思いながらそのままだった。
東京オリンピックの直前に、大改装されたこのホテル。それ以前は、関東大震災、そして東京大空襲を生き延びた、重厚なビルディングだったということを、つい数カ月前に知ったのだった。そのビルディングの建築者は、フランク・ロイド・ライト。
過去の写真を見るにつけ、なぜ? と思わずにはいられない。もしもそのビルディングがここに残っていたら……と夢想する。国内外を問わず、どれほど多くの人々を引きつけたことだろう。
喪われてきた建築物についてはまた、折をみて記したい。
わたしがこの街で働いていたのは、最早、遠い以前のことなのだ。ということを、改めて思う。
今日、打ち合わせで訪れた大手町もまた。初めて訪問するそのオフィスビルを、わたしはまったくイメージできていなかった。大手町の地下鉄駅を出て、目の前にそびえるビルディングを見たとき、マンハッタンの六番街みたいだ、と思った。
が、果たしてわたしの目的地はどのビルなのかと、人に尋ねなければわからぬ状況であり。
ところで、夕べのディナーは、すばらしかった。忘れ得ぬ夜となった。
わたしがインドに移住して直後から、9年来、お仕事でご一緒しているクライアント女史のNさん。少なくとも年に一度はインドで、あるいは日本でお会いしている。
去年はわたしの東京滞在が1泊だけだったこともあり、インドでしかお会いしなかったが、今年は東京での時間がゆっくりだということもあり、わたしの滞在予定が決まってまもなく、予約が取りにくいこのお店を予約してくださっていたのだった。
全部で3席しかないこぢんまりとした中国料理店。ここでは、四季折々の希少な食材を用いての、コース料理が供されるという。11品のコースだとのことで、この日は朝昼軽めで胃腸の調子を整え、夜に挑んだのだった。
が、「中国料理=脂っこく胃に重い」という世界観ではない、それは薬膳とも呼びたくなるような、味わい深い料理の数々であった。
このようなコース料理を、ひとつひとつ撮影されるのは若干憚られたが、店の方の許可を得て、撮らせていただいた次第だ。
あれこれと、語りたいところであるが、もう、夜も更けているし、眠たくもあるので、ともかくは写真と簡単なキャプションだけを添えておく。
「本日のメニュー」を見る。どれもこれも、ほとんど、まったく、見当がつかない。
左上は「宇宙芋」。右上は「ひしの実」。口にしたことのない食材を見せていただき、そのユニークな形状を眺めるうちにも、料理に対する関心は高まる。
白ワインで乾杯をし、前菜から始まる。量が多すぎて、途中で食べられなくなったらどうしよう、中盤で少しセーヴすべきか……などと悩ましく思ったが、最後のデザートまで、「胃に重い」などと感じることがなかった。
◎左:前菜3種。真子がたっぷり詰まったあゆは丸ごと食せる。マンボウの腸なんて初めて。鴨バーグはトンブリのプチプチソースが絶妙。まさに「畑のキャビア」だ。 ◎右:百合根と芹穂の卵白炒め。ふわふわあっさり優しい味。
◎左:宇宙芋とスターフルーツ、ほおずきのカシューナッツ炒め。ほくほくタロイモ風の宇宙芋。芋好きなわたしにはうれしい味。冬のデリーでは必ず食べる我が好物の「食用ほうずき」。デリーで味わうそれと同じ味で、妙にうれしい。 ◎右:甘鯛、マコモとわさび大根の炒め。これ、たまらない。香ばしく、風味豊かに揚げられた甘鯛。塩加減ほどよく……。これは夫も大好きな味。ここにきてようやく、夫を思い出し、「彼にも食べさせたい」と思う。添えられた野菜の味わいがまた、いい。
◎左:栗とひしの実、きのこの炒め。これがまた、わたしの好み。なにしろ、ほくほくの栗がいい。 ◎右:赤かぶと隼人瓜、ヤーコンの炒め。日本での食事は野菜が不足しがち……と思っているわたしにとっては、こういう「ヴェジタリアン」な一皿がまた、うれしい。あっさりとした味付けゆえに、野菜そのものの風味を味わえ、マイルド故に味覚の小休止ともなり、いい存在感。カラフルで目にも楽しい。
◎左:鶏モモの腐乳煮、京芋と八頭。これは二人でシェア。秋の味覚は「ホクホクもの」が多いのだということを再認識。ホクホクものが好きでよかった。鶏肉は非常に柔らかく煮込まれ風味豊か。だが鶏肉に関してはインドでもしょっちゅう、このような柔らか煮を食しているので、他の料理に比しては、さほどの感動はなく。 ◎右:蓮根モチと四方竹(シホウチク)の炒め。四方竹というのもまた、初めて食する。大根餅が大好きなわたしにとっては、蓮根モチも、同じようにビンゴである。このあたりでいい加減、満腹になるだろうと思っていたが、まだまだいけることに気づいて、自分でも驚く。
◎左:牛テール、黒米ソース。これは、味付けが最小限。骨付きテールが極めて柔らかく煮込まれていて、黒米のリゾットとも言うべくソースがやさしく包み込む。ほっとする味わいだ。 ◎右:春雨 煎りやき ナメコとしめじのあんかけ。この春雨。写真では見えないが、キノコに埋まった春雨が最高であった。パリッと香ばしく揚げ焼かれた春雨。あんかけが載っているのに、香ばしさが損なわれていないのがすばらしい。インドでは食べられない種のキノコ類、特に新鮮なナメコなど、生まれて初めて食べた。
そして最後にデザート。見た目、インドの激甘スイーツ、グラブジャムンを彷彿とさせるが、大粒のブドウにリンゴのソースがかかった爽やかなデザートだ。
おいしかった。そして、楽しかった。これは、春夏秋冬、それぞれの季節に、それぞれの味覚を味わいたいと思わされる。Nさんは「春」の料理がお好みなのだとか。やはり、日本に帰省するタイミングをずらすしかないだろうか、と浴衣に続いて、思わされる夜である。
最後にいただいた台湾の烏龍茶がまた美味! 一口飲んだ瞬間、1988年の11月が蘇った。社会人一年生のわたしの、初めての海外取材先、台湾。天仁茗茶で試飲させてもらった、一級品の凍頂烏龍茶のおいしさは、強烈なカルチャーショックだった。あのときの味だ。
あっさり書くつもりが、かなり細かく言及してしまった。
心に残る夕餉。料理のことばかりを記したが、もちろん、ゆっくりと味わいながらの会話も楽しく、本当に幸せな夜であった。
12月にまた、Nさんとムンバイ出張で再会できることを楽しみにしつつ、至福の夜に感謝である。
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そして今。ホテル内のワインショップで勧められたハーフボトルの赤ワイン(ボルドー)をゆっくりと味わいつつ、東京最後の夜が更けてゆく。
年に一度ずつ。ニューヨーク、そして東京。毎年、来し方行く末に思いを馳せる、大切な時間。重ねてきた歳月を、そっと丁寧にめくっては、反芻しつつ、この先、積み重ねて行く歳月の色や形を夢想する。
ともあれ、地球上の、どの大地に生きようと、「食べたように、生きている」だなと、改めて思う。
心身を、慈しみつつ、これからも。