日本から帰国して早くも1週間。バンガロールは、たまに晴れ間をみたものの、概ね、雨が降り続いている。モンスーンの時期を除いて、バンガロールに大雨や長雨が来ると、それはたいてい「チェンナイのサイクロンの影響」である。
ハリケーンでもタイフーンでもなく、サイクロン。日本語では「強い台風」のひとことで表現されるが、実は、台風の場所によって、呼び方が異なる。サイクロンは、インド洋及び太平洋南部で発生する熱帯低気圧のことだ。
そんな最中、地方によって異なるが、本日、もしくは明日から約5日間に亘って、ディワリ・ホリデーである。
ディワリは、ヒンドゥー教の「お正月」に相当するインドで最も盛大な祝祭だ。正義が悪魔を駆逐したことを祝する「光の祭り」であることから、町はネオンに彩られ、光に溢れる。日頃の電力不足を思うと、その明るさは心配になるほど、である。
家庭では、富と豊饒の女神「ラクシュミ」を招き入れるべく、一晩中、ディヤと呼ばれるオイルランプを灯す。
ディワリはまた、日本の大晦日や正月にも似ていて、家の大掃除をして清める。衣類やジュエリーなどの装飾品を新調するほか、家電や自動車などの耐久消費財を購入する時期でもあり、町中ではあちこちでディワリ・セールが盛大に開催される。
ディワリを祝うスウィーツやギフトなどを携えて家族や親戚が集まり、プレゼント交換をしたり、花火を楽しんだりするのも恒例。特に女性たちは華やかに着飾るのが特徴だ。
我々夫婦も、これまで家族や親戚と集まって花火やクラッカーを楽しんできた。クラッカーのすさまじい爆音には、自粛を促す声も上がっているが、さてどうなることだろう。
我々夫婦は、先週の土曜日、バンガロールクラブで開催された「ディワリ・ナイト」で一足先に祝杯をあげて来た。
久しぶりに、サリー以外でのインド・ファッション。数年前に購入してしばらく着ていなかった服を取り出した。少し冷え込むので、カシミール旅行で買っていた金糸入りのパシュミナを取り出す。シンプルなパシュミナは、使い勝手がよい。
インドに移住した当初は、インドデザイナーズの派手な服を好んで着ていたが、数年前に、またアメリカンなさっぱりした服装に回帰しつつあった。やはり移住当初に買っていた天然石がダイナミックに施されたジュエリーも、すっかり出番がない。
しまい込まれた衣類やジュエリーにも、この国での歳月の長さを感じさせられる。
夫と一緒にバンガロールクラブへ来るのは、久しぶりのこと。この日はセルフサーヴィスにつき、わたしがテーブルを確保すべく座っている間、夫はあっちでアルコールを買い、こっちで料理を買い……と、甲斐甲斐しく動く。
普段、家事はメイドに任せっぱなしの世間のおじさんたちが、テーブルで埋め尽くされたガーデンを右往左往して、家族に飲食物を運んでいる様子はまた、面白い。
久しぶりに食べるタンドーリチキンやナンが、そこはかとなく、おいしい。夜風が涼しく心地よく、しみじみとする。
ディワリはまた、人々がスイーツを大量消費するシーズン。甘すぎるほどに甘いミルクたっぷりのお菓子はしかし、やさしくて素朴でもある。昔から、変わらない。日本でいう、おはぎやおまんじゅうのようなものだ。
プログラムによると、ボリウッド・ディワリナイト、ということで、いつものイヴェント時と同様、ノリのいいボリウッドソングと共に、人々がステージ前で踊る賑やかな夜になるだろうと思っていた。ところが、10時過ぎに打ち上げられるはずだった花火は9時半に開始、ボリウッドソングはといえば、非常に古いもので、スローなナンバーばかり。
周辺住民からの騒音対策なのか、とも思われるが、それにしても、地味だ。
アップテンポの曲がほとんどなく、両親とともに着飾って訪れた若い世代のメンバーたちは、なにやら手持ち無沙汰の様子。早々に引き上げる人たちも見られた。
そんな中、ご近所さんのご子息が、アルヴィンドの姿を見つけて、
「こんばんは、おじさん!」
と挨拶をしてきた。感じのいい男子だ。彼に笑顔で挨拶を返したあと、わたしに向かって、そっと耳打ちする夫。
「僕のこと、おじさん(アンクル)だって。どう思う?」
どう思うもこう思うも、40歳過ぎた中年男性をおじさんと呼ばずして、なんと呼ぶ。身近に子どもがいないまま来てしまった彼は「おじさん」と呼ばれることがほとんどないから、困惑しているらしい。
「わたしだって、世間の子どもたちから、ずっとアンティ(おばさん)って呼ばれてるよ。それ、普通だから」
「そうだね。猫おじさん(キャット・アンクル)って呼ばれなかっただけ、ましだね」
……。
出会った時には23歳だった彼も、いまやすっかりおじさんなのだ。なのに、反応はお子様的。いかがなものか。
さて、わたしたちも、10時半ごろになり、なんだかしんみりとしてきたので席を立ったところ、少しなじみのある曲が流れてきた。
「ミホ、この曲は新しいよ! 僕の好きな曲だ!」
「ねえ、アルヴィンド。この曲、わたしたちが出会ったころから、あなた、口ずさんでたよね。全然、新しくないと思うよ。少なくとも20年以上前の曲でしょ? 古いから。踊れないから。ノリ、悪いから。帰ろう」
……なんだか、僕も歳を重ねてしまったなあ、としんみりする夫。
それはそうだ。インドに暮らして10年だもの。過ぎし歳月をきちんと反芻して、これからを、思わねば。
これは、夫が仕事の関係者からもらって来たお菓子。どっしりと重量感。しかも2箱。しかも「なるたけ」本日中にお召し上がりください。無理。どうにも無理。というわけで、ドライヴァーのアンソニーとメイドのマニに託す。
★ ★ ★
インド生活10周年。
総括するにはあまりにも、テーマが多すぎて、何一つまとまらない。
この10年のうちに、劇的に変化したこと。相変わらずのこと。そういう諸々が、日常生活に渦巻いている。
知れば知るほど、知らないことの多さに打ちのめされるインド世界。過去に遠く、現在に汎く、各々に、深く。
■今しばらくは、インドにて。2005〜 (←Click!)
インドに移住して来たばかりのころの記録。インド移住を契機に「ブログ」という体裁を始めた。当時は、英語の発音に近い表記で「バンガロア」としていたが、のちに日本的に「バンガロール」と変更している。
冒頭の写真は、旧空港。懐かしい。
ざっと読み返すに、短期間のうちに、しかもムンバイやデリーへ出張(夫に同伴)してばかりだった年末に、ぐいぐいと生活基盤を整えていった自分の行動力に感嘆する。
インド。自分が来たい、と言ったのだから、やって当然のことではあるが。10年前。今よりもずっと、パワフルであったな。と、歳月の流れを自分の力加減で実感する。
* * *
初めて日本を離れ、米国に1カ月ホームステイした20歳のとき。10年後の自分が、ニューヨークに移り住み、起業するなど、思いもよらなかった。
1カ月の語学留学が目的で、ニューヨークに渡った30歳のとき。10年後の自分が、ニューデリー出身の男性と結婚したのち、インドに移住するなど思いもよらなかった。
10年に亘る米国生活を経て、バンガロールに渡った40歳のとき。10年後の自分が、まだインドで右往左往していることを……、多分、予測していた。
そういう点においては、この10年は、劇的な波乱はなかったかのようにみえる。しかし、最初の5年間は、相当のエネルギーを要した。
インド生活をどうしても受け入れられない夫と、彼のビジネスの波風。年に2回の渡米。新居の購入。2年に亘るムンバイとの二都市生活……。自身の仕事。その他諸々。
2010年からは徐々に落ち着き始めたライフだが、同時に自分自身の成すべきを模索する日々でもあり。
そしてこれからの10年。
果たして、どう生きるのか。これは真摯に向き合うべきテーマだ。なにしろ、10年後は還暦だ。
手当り次第に体力勝負で動く時代は、もう終わった。経験の蓄積を生かしながら、何をどう形に残しつつ、成果を上げつつ、世のため人のため自分のために意義あることを行うのか。
今のわたしが想像できない、還暦の自分を夢想しつつ、取り敢えず拠点はこの国で、しかし囚われることなく自由に、歳月を重ねたいものである。