約2週間の日本滞在を経て、明日の朝のフライトでバンガロールへ帰る。詰め込みすぎず、ほどほどに、しかし色濃い滞在であった。
途中、友人のみちるっちに勧められるがまま、インスタグラムをはじめてみたため、インスタグラム的正方形の写真が入り交じるが、ともあれ、備忘録としてここに写真をまとめておく。
https://instagram.com/mihosakatamalhan/
東京湾を見て、ムンバイのバンドラ=ウォルリ・シーリンクを思い出す。
天神での買い物途中、知人に勧められていた西通り外れのお店でヘルシーなランチ。本当はとんこつラーメンの1杯でも食べたいところだったが、年々、化学調味料アレルギーが強くなり。昨年の長崎におけるちゃんぽん後、更には今年のニューヨークにおける一風堂後の不調に懲りて、今回は自粛。かといって「無化調」ラーメンを探して食べに行くほどの情熱はなく。
福岡ソフトバンクホークスが優勝したため、行く先々でセールが。応援歌があちこちで流れているのだが、これがもう、脳みそが休まらなさすぎて辛い。この音楽が流れているところを避けているうちに、どの店にもたどりつけず。
数年前、この歌をはじめて耳にしたときに、今なぜ「若貴軍団?」と思った自分が化石。「若鷹軍団」だったのね。しかし、今でもこの歌詞を聞くたびに若貴を思い出し、それを脳裏から追い払うのにもひと苦労で、ゆえに、聞きたくない。
東京でも福岡でも「車中」では、スマートフォンを片手にうつむく人々で溢れる中、この昭和から紛れ込んだような少女の姿に、心が和む。進化したスニーカー以外は、昔の小学生の姿そのものだ。かわいい。
またしても、岩田屋の地下食料品店街の生鮮コーナーにて、刺身を調達。母とシェア。ごま鯖も、うにも、トロも、心おきなく食べた。悔いなし。
滞在中、わずか1日だけ、青空が見られた福岡。中国大陸から流れ来るPM2.5の影響で、今年の福岡の空は、晴れていても霞んでいるとのこと。空にも海にも、国境はない。
夫とは毎日、Facetimeで顔を見ながら話をしている。まあ、敢えて顔を見せ合わせなくてもいいのだが。なにしろ、たいてい自宅で素顔の状態。ゆえに「眉毛を描いて。怖いから」などと言われるので、むしろ煩わしくもあり。が、NORA&ROCKYの様子を見たいがゆえに、Facetimeをありがたく活用している。
スクリーンの向こうで、目を大きく見開いて、わたしを見つめるROCKYのかわいらしさ。たまらん。
それはそうと、夫に欲しい物を尋ねたところ「虎の置物」という。数年前、「福岡町家ふるさと館」を二人で訪れた際、買おうかどうか迷っていた「張り子の虎」のことである。
夕方、博多駅に行く用事があったことから、早めに家を出て博多界隈を散策することに。まずは張子の虎を求めてふるさと館へ。
聞けば、福岡で、この張子の虎を作っている職人は二人しかいないとのこと。しかも今は、来年の干支にちなんで、弟子らも含め、みな「張子の猿」の製造に追われているとのことで、虎は展示品限りの、最後の一頭だった。
残ってて、よかった……。
手と口を清めたあと、お参りをして、おみくじをひく。英語版もあったので、夫の分も。わたしは大吉。夫はLUCKY。つまり「吉」ということか。
文面の写真を撮って夫にはメールで送信。
秋の日本で、浴衣を調達するのは無理だ。と諦めていたのだが、最後の最後で、見つけられた!
川端通りを散策中、お洒落な和風の小物を扱う店を見つけた。その店の2階に、季節外れとはいえ、浴衣があるという。あったとしても、サイズの問題もあるし……と結構、悲観的だったのだが。
Lサイズの浴衣が数枚。しかも久留米絣。手織り、手紡ぎなどの手工芸によるテキスタイルの宝庫インドで浴衣を着るからには、なにかしら日本の伝統が反映されたものを身につけたいと思っていた。
浴衣とはいえ、木綿とはいえ、個性的な柄の絣である。試着の際、下に服をきたままだったので、モコモコとしているが、きちんと襦袢を着て、帯もしっかり締めれば、浴衣とはいえ、少し着物風に見えていい感じである。せっかくなので、帯留めも購入した。
このお店はモダン柄の帯をたくさん扱っていて、花柄、動物柄、猫柄(!)などかわいいものがたくさんあったが、敢えて渋めに大人っぽい模様を選んだ。
「女将?」としか言いようのない馴染みっぷりだが、まあ、これはこれ。
今後、インドのハンドブロックや絣の布を用いて浴衣を作りたいと、改めて思わされた。
東京(銀座)でも福岡でも、タックス・フリーの店舗が増えていて驚いた。海外在住者も免税対象となることからパスポートを持参して出かけることにした。高価なものを購入すると、消費税分8パーセントの免除は大きい。
ここは博多キャナルシティ。中国人、韓国人ツーリストが溢れ返っている。銀座でもその勢力には驚かされたが、福岡でのパワーもすごい。ちなみに免税は1万円以上購入した場合であるが、キャナルシティの場合、異なる店舗で購入した合算が1万円以上を超えれば、まとめて免税対象となるらしい。
キャナルに面したカフェの喧噪に辟易し、隣接するホテルの、奥の方のカフェへ避難してコーヒーブレイク。日本は秋の味覚に溢れており、あちこちのカフェでモンブランだらけ。この店にも3種類のモンブランがあったが、「絞り立て」を注文。
その場で絞ってくれるのはいいが、その紫色のビニル手袋はいかがなものか。
わたしには、父母双方を含めると、従兄弟が20人もいた。しかし、子供のころ親しかったのは、2、3人だけ。わたしは18歳で親元を離れ、以来、従兄弟らとの関わりもなく。
とはいえ、わたしが中学〜高校生にかけてのころ、叔母に連れられて彼らはよく遊びに来ていたこともあり、しばしば遊んでいた。10歳前後下の彼らは、わたしにとっては、歳の離れた弟のようなものであった。
しかしながら、わたしが社会人になって彼らに会う機会はほとんどなく、最後に皆で顔を合わせたのは10年以上前、父の葬儀でだったという記憶しかない。
家族や親戚の結びつきが強いインドに暮らしているうちにも、わたし自身、自分の出自などについて考えるところあり、50歳になったのを機に、会っておきたいと思う気持ちが芽生えた。
次に会うときには誰かのお葬式……というのはいやだな、とも思ったのだ。
まずは兄の崇君に連絡をした。彼との方が、弟の勉君よりも、3年付き合いが長いこともあり。しかし、彼の妻のトモちゃんとも、きちんと話したことはなかったということに、思い至る。
インドの家族や親戚、従兄弟らとは、もう何度となく顔を合わせ、言葉を重ねて来たというのに。
夕食は、二人の勧めで、佐賀のおいしい鶏肉料理(やきとりなど)が楽しめるという店で。
この店の料理がまた、おいしかった! ということは、この際、さほど大切なポイントではないのだが、あまりにもおいしい焼き鳥だったので、一応、言及しておく。
■炭寅 (←CLICK!)
この、プリンプリンの新鮮な鶏レヴァー。しかもレア。レアで食べていいわけ? と思ったが、これがまた、旨い。
ほかにもいろいろあったが、取りあえず、大切なのは会話である。
彼らにとっては、我が家に遊びにくるたびに、近所の公園&グラウンドに連れて行かれ、遊びというよりは、体育会系の特訓を受けていた、という記憶しかないらしい。
美穂姉ちゃん、厳しかったもんね〜。
頼んでもないのに、逆上がりの特訓させられたもん。
美穂姉ちゃん、鉄棒の握り方まで、拘っとったもんね。
でも小学校で、周りが誰もできんとに、自分ができて、得意になれたけんね。
なんでみんな、逆上がりできんと? とか、思っとったもん。
なんかしらんけど、バスケットボールの練習もさせられて、壁の丸いところにボールをぶつけられるまで帰ったらいかん、とか言われたもんね。
……とまあ、こういう過去のエピソードが次々に。体育会系指導から、ひらがなや漢字の指導まで、当時からなにかと世話を焼く姉さんではあった。
そんな話をひとしきり。
なにしろ、大人になって、まともに話すのは初めてのこと。
わたしにとって、彼らの記憶は幼稚園児&小学校の低学年でストップしているにもかかわらず、ただ従兄弟、というだけで、一瞬にしてなじめることの不思議さ。
ミホねえちゃん、全然変わってないね。
そう言われて、うれしいような、不思議なような、妙な気持ちである。
こういう言葉を交わし合えるのは、子供時代を共有した血縁であるから、だろう。
わたし自身、遠い過去が瞬時にそばにあるようで、変わりようがないのだ、という気さえする。もちろん、経験値は増え、容貌は変化したけれど、根底にあるものは、あまり変わってはいない。
わたしは幼少時からの記憶が、多分、平均的な記憶の質よりもかなり鮮明だ。
妹が生まれる前の、自分が2、3歳のころからの、さまざまなエピソードを具体的に記憶している。祖父母のこと、彼らの両親が結婚したときのこと、他の従兄弟たちとのこと……。
ゆえに、過去の話もディテールの描写がくどくなる。記憶は芋づる式に掘り出される。幼少時に彼らが過ごした界隈が、実は造成される前、山であったこと、海であったことなど、高度成長期に変貌した街並やライフスタイルについても熱く語らずにはいられない。
彼らの知らない話を次々に披瀝しつつ、興味津々で聞く彼らに対して得意になる。いつでもどこでも、同じ調子であるが、仕方がない。普段のセミナー関係を大きく振り切るほどに、姉さん風をびゅんびゅん吹かせつつ、この感覚はなんなのだろうか、とも思う。
わたしがインド人に嫁いでいなかったら、ひょっとすると、敢えて彼らに会おうとも思っていなかったかもしれない。インドでの暮らしの中で、覚醒させられたことの一つが、過去の絆の修復、のようなことも含まれる気がする。
血縁。
崇君、勉君、そして崇君の伴侶のトモちゃん。こうして写真で見ると、トモちゃんがまるで妹であるかのように、自分に似ている感じがするのが、不思議である。
彼らと飲み食いするのは初めてだったので、彼らの流儀もなにも、なにも知らなかったが、まあ、よく食べ、よく飲み、よく語る。
わたしも、本当によく飲んだ。ハロウィーンにつき、角もはやした。この乳酸菌の白い果実酒というのも、やたらおいしかった。
そんなこんなで、実に6時間ほども、店に居座っていたのだった。
50歳になった。次に会うのは葬式というのはいやだ。その2つの思いに駆られての再会だったが、途切れていた遠い過去が、再び現在の道に軌道修正されて連なるような、奇妙ながらも心が温かくなる思いがした。
血縁とは、国境を問わず、いろいろなドラマがあるものである。
善し悪し含め、一筋縄ではいかない。
だからといって、希薄に希薄になりつづけ、果てには、尽きてしまうような関係というのも、また寂しいものである。彼らを除く18人の従兄弟たちとは、最早、断絶状態であり、この先も会うことはないことがわかっているからこそ、会える彼らと会っておきたかった。
そしてこれから帰国のたびに会おうよ、ということになった。
英語はわからんけど、アルヴィンドさんとも会いたい。
なんとか、通じるやろ。
と言ってくれる彼らゆえ。
言葉が通じなくても、飲食の共通性は多大なる。夫も間違いなく、楽しめる。
「とにかく、健康第一やけんね。ちゃんと食べて、無理せんごと。楽しく生きないかんよ」
と、最後まで姉さん風を吹かせつつ。
また来年、元気で会おう。
★ ★ ★
そして最終日の今日。母と妹と近所のパンケーキ専門店で遅いランチ。
すさまじき、ヴォリューム。アメリカンなコンセプトにディテールが加味されて、今時日本のスイーツ事情の断片を探検した思い。
最もシンプルそうながらも、5段重ねのパンケーキに生クリームたっぷりで、満腹。
母国とはいえ、日本滞在。外食続きということもあり、毎度増量は免れず、2週間が限界だ。早いところインドに帰り、またいつものヘルシーな手料理の日常に戻らねばと、身体が訴え始めている。
ともあれ、ずっと体調もよく、元気で日々を過ごせて、本当によかった。