いよいよ旅も最終章。今回の旅のハイライトは、出発前から予約をしていたビリー・ジョエルのコンサートだ。わたしも夫も「ものすごく、ファン」というわけではないのだが、それぞれに思い出の曲がある、親しみのあるミュージシャンだ。
「彼の大ファンだった、というわけではないのだけれど……」というようなことをFacebookにコメントしたら、各方面から似た意見があり、それはそれで真のビリー・ジョエルファンには失礼なことだという気にもさせられたのだが、ともあれ。
わたしが一番好きだったアルバムは、Cold Spring Harbor。1971年、彼が22歳のときのソロ・デヴュー作だ。高校生のころから、折に触れて、聞いていた。当時は歌詞の内容もわからぬまま、旋律に心ひかれていた。
収録されている10曲、すべてが、よかった。思えばすべてが好きな曲ばかりのアルバムというのは、そうあることではない。
ライヴに行くことを決めた日、iTunes Storeでそのアルバムを購入し、久しぶりに聴いてみた。歌詞は未だに全部を聞き取れるわけではないのだが、しかし聞き取れる範囲において、その詩のよさに改めて、心を打たれたのだった。
ちなみに彼が65歳の誕生日を迎えた2014年から、毎月一度、マディソン・スクエア・ガーデンでライヴが開催されているらしい。チケットの入手はなかなかに難しく、なにしろ発売とほぼ同時に仲介業者が買い占めるようで、一気に値段がつり上がったチケットを業者から購入するしか、今のところ方法がないようである。
夫はかなり時間をかけて、あちこちのサイトを比較しながら、納得のいくシートの予約を入れておいてくれたのだった。
10日前は風が冷たくジャケットを羽織っていたというのに、ここに来て急に夏日。ホテルは本日プール開きということで、毎年水着を持参していた夫、今年は初めて屋上のプールへ。といっても、猫の額ほどの小さいプールなのだが、屋上からの眺めはなかなかによい。
プールサイドでカクテルを飲みつつ日光浴……。SEX AND THE CITYの世界だ。
ランチは先日、真由美さんと訪れたBoulud Sudへ。ホテルから近いということもあるが、夫も好きに違いないと思われたゆえ、再訪した次第。
トルコ風ピザは見た目がユニークではあるものの、特筆すべき味わいとはいえなかったが、夫はスープと魚を堪能した様子で、非常に気に入っていた。
お気に入りのレストラン、TELEPANが閉店してしまったが、この店はTELEPANに代わってお気に入りになったようである。
なにしろ、このデザートのレモンタルトが非常にお気に召した様子。そういえばこのごろは、タルトをしばらく焼いていないことを思い出す。
ミューズ・クリエイションの集いのある金曜日、かつてはしばしば焼いていたが、一度に焼ける24名分を超える人数の参加者が多い昨今、小さく切り分けるのもなんだか今ひとつで、このごろは焼く機会が減っている。
最後にWHOLE FOODS MARKETで買い物をすませホテルへ。服を着替え、8時からのコンサートに備え、早めに6時半すぎにはホテルを出る。なにしろマディソン・スクエア・ガーデン。広大なスタジアムだから、早めに出かけるに越したことはない。食事も軽くすませたいところだ。
入り口に到着するや、たちまち気持ちが高揚する。スタジアム、というのは、そこがスタジアム、というだけで心を沸き立たせる存在感だ。
20歳で初めて米国の地を踏んだとき、ロサンゼルスのドジャーズ球場を訪れた。広大なスタジアムを埋め尽くす人々。夜だというのに、むしろ昼間より明るいくらいの白い光を放つライトに照らされた球場。選手たちの入場に沸き立つ観衆……。あのときの感激は、今でもありありと思い出せる。
その後、米国に暮らすようになってからも、ベースボール、バスケットボールといくつかのスタジアムを訪れる機会があったが、そのたびに、同様の心持ちにさせられた。普段は飲まない、しかしよく冷えたバドワイザーが、なぜか格別においしく感じるのもスタジアムならではだ。アメリカだ、と思う。
そんなこともあり、マディソン・スクエア・ガーデンというスタジアムへ足を踏み入れた瞬間から、早くもわくわくする気持ちを抑えられなくなっていた。
開始までにはまだ時間がある。一応、スタジアムの様子を見ようと中へ入れば、その広大な空間に、改めて圧倒される思いだ。
会場係のお兄さんに写真を撮ってもらう。完全におのぼりさんだ。
思いがけず充実したフードコートで、ピザを注文し、軽く夕食。ビールを飲みたいところだが、コンサートには素面でのぞみたく、水を飲むにとどめておいた。
このピザが意外にもおいしく、むしろランチのトルコ風ピザよりおいしい、とさえ思う。箱を見ると、結構人気のある店のものだった。
またしても、セルフィー。間違いなく、おのぼりさんだ。ちなみに会場はwi-fiもつながり、撮影もし放題。スタジアムだけありビールほか飲食物も持ち込み可能で、自由な空気だ。
7時55分になっても、観客席は埋まらない。8時丁度に始まることはないとは思っていたが、普通、早めに来るものではないだろうか……などと思っているうちにも、8時半。
ようやくイントロダクションの音楽が流され、ついにはビリー・ジョエルの登場だ! 会場が大歓声に包まれる。気がつけば、スタジアムは満席になっていた。
彼がピアノを奏で始め、歌声が響き渡った途端、涙があふれてきた。Miami 2017。わたしは、彼の大ファンだったのか、というくらいの感激だ。
そしてPressure。多くの人が耳にしたことがあるであろうヒット曲で、場内が更に盛り上がる。
彼は今67歳である。ほぼ、老人である。にも関わらず、彼の歌声が、30年以上前のレコードから流れていた歌声と、ほとんど変わらない、張りのある、若々しい、それでいてやさしげなものであることが、衝撃だった。
そして、ピアノが、美しい。
思えば、アルバムの中でCold Spring Harborが一番好きだった理由は、どの曲も、ピアノがとてもきれいで、聞いていて幸せな気分になれたということもある。
レコーディングされた歌声に比して、ライヴの歌声は乱れや揺らぎが目立ち、「この人、実は歌があまりうまくない?」という歌手が少なくない中、彼は数十年の歳月を経てなお、揺らぎの少ない、安定した、確かな歌い方をしている。それだけで、偉大だ。
彼の語りはフランクでユーモアに溢れ、温かい。時折、喉にスプレーを振りかけながら、声を守りながら歌う。
彼がこの夜、The Entertainerを歌う際に、ドナルド・トランプに捧げるとして、彼のことを揶揄し「ここしばらく、とても楽しませてもらっている」とコメントした。
それに対し、翌朝トランプがTwitterで「喜びの」反応を示すといったエピソードもあった。
最初は初夏のニューヨークを意識して、ということで、夏にまつわる曲をいくつか。Summer, Highland Falls。この曲は知らなかったが、もう、知っていようが知るまいが、幸せだ。
夏の歌ということで、エディ・コクランのSummer time bluesも、軽く歌ってくれる。
観客の平均年齢は見るからに高い。老夫婦の姿も多数だが、我が同世代のおじちゃん、おばちゃんが立ち上がって、曲に合わせてもったりと、しかし楽しげに踊る姿もまた、しみじみと。
青いライトが降りしきる中、New York State of Mind。
観衆との歌声の重なりがまた、得も言われず。年を重ねた歌い手は、妙にアレンジを変えたり、ためて歌ったり、くねくねとひねりを利かせたりする人が少なくないが、わたしはそれが、好きではない。
ビリー・ジョエルは、当時の演奏を、歌声を、忠実なまでに維持していた。彼の曲をして「懐かしい」とか「過去の思い出」とか「青春時代の一こま」といった、遺物のくくりにしていたことを、失礼なことだったと反省するくらいだ。
不易……。「変わらずにいることの偉大さ」ということを、学ばされる思い。
彼がハーモニカを取り出した途端、ピアノを弾き始める前から、心高まり目頭が熱くなった。Piano Manだ。前奏が流れるや、会場は歓声に包まれ、やがて総立ち。観衆が一体となっての大合唱である。
好きな曲のひとつ、She is always a woman。途中から、動画撮影。撮影に集中していないので、映像はよくないけれど、雰囲気だけでも切り取っておきたく。
これもまた、観衆が立ち上がっての、しみじみと、合唱であった。
ヘリコプターを思わせる轟音から始まるGoodnight Saigonでは、ネイヴィー(海兵隊)たちが特別出演で、ステージへ。これは、ヴェトナム戦争時、ネイヴィーたちを語り手とした歌だ。ということを、先ほど調べて、知った。関心のある方は、こちらを参考に。
今、この歌の、言葉の強さを知って、改めて目頭が熱くなる。
前述の通り、英語をわからなかったころは、歌詞の意味も知らず、ただ旋律と歌声で、聞いていた。歌詞を知ることによって初めて、その歌の奥深さが、今更のように読み取れる。
あのころ、歌詞を手に入れ、辞書を引きながらでも、その意味を理解していたならとさえ思う。
思い返せば高校時代。クラスメートに英語がとても得意な女子が二人いた。彼女たちは英語研究会というサークルに入っていたのだが、英語を学ぶ契機は洋楽が好きだったから……と言っていたことを思い出す。洋楽が好きで、だから歌詞を理解したくて英語を勉強する。ワンダフルな経緯だ。
にもかかわらず、当時のわたしときたら、彼女たちのことを「ややオタク?」的な視点でしか見ていなかった。当時の自分に言いたい。膝やら腰やら痛めつつ、バスケ部にしがみついていないで、文科系サークルに今すぐ移れと。なんなら、彼女たちに混ざって英語を勉強しろと。
ほにゃららほにゃららと、英語になってない適当な歌詞を口ずさみながら、自転車暴走させて通学している場合ではないと。
よく聞いていたアルバム、Innocent Manにおさめられていたヒット曲、Uptown Girl。ピアノを離れ、スタンドマイクを抱えて歌う「着ぐるみ?」な姿と歌声のギャップに、少々困惑しながらも、大学時代の思い出が蘇って、心湧きたった。
歌は記憶を彩り、記憶を醸し出すスパイスのようだ。時間の流れが惜しく、もっと聞いていたいと思った。
若いころは挫折で精神を病んだという青年が、年を重ねて貫禄を重ね、その背中はどっしりと厚く、顔つきはまるでイタリアン・マフィアのようになっていても、立ち上がってマイクを持てばよたよたとしてなお、その歌声は若々しく、ピアノを操る指先は変わらぬ巧みさで、本当に、真にミュージシャンなのだということを、切に思う。
一時は引退したり、アルコール中毒や鬱病の再発、交通事故など、決して順風満帆とはいえない歳月を送ってきたとのことではあるが……。
この夜、わたしたちの前で歌っていた彼は、過去ではなく現在進行形だった。わたしはすっかり、ビリー・ジョエルのファンになってしまった。
(途中で途切れているけれど、夫が真剣に撮影していた一曲)