そして実質10日間のニューヨーク滞在もついには終わり、夜の便でバンガロールへと発つ。
前夜。ビリー・ジョエルのコンサートを終え、いい気分でホテルへ戻った我々。帰路に購入したよく冷えたビールで乾杯し、ほろ酔いの夜。一応、バンガロール宅の様子を確認しようと、ドライヴァーのアンソニーに電話。すると、NORAの姿が見当たらないという。
この一年というもの、玄関から脱走したことはあったが、庭からの脱走経路は断たれているはずだった。いったいどこから逃げたのだろう。
そもそもは半野良だった彼女を完全に我が家で飼うようになったのは、ほかでもない、1年前のニューヨーク旅の際に彼女が一度も戻って来ず、ごはんも食べず、我々が帰宅して数日後に、非常に衰弱して帰宅したという事件があったからだ。
我が家の界隈は、工事現場や自家発電装置があるなど、危険な場所も少なくなく、過保護とは思ったが、外へ出すのはよそうと思っていたのだ。
庭の柵の構造は、一度外に出ると、基本的には戻って来れないようになっている。彼女の運動能力が伸びていれば、話は別だが。そんな次第で、特設の小窓ドアを開けてもらい、そこからROCKYとJACKが逃げないよう屋内に閉じ込めてもらうよう、アンソニーに頼んでおいたのだった。
夫婦そろって、一気に酔いが冷め、気持ちを否応なく、インドに引き戻される。やれやれだ。
そして翌日。月曜日のメモリアルデーを控え、街には星条旗がかけられている。米国における、戦没者追悼記念日だ。
この日、5月27日は、個人的に、別のメモリアルデーでもあった。亡父の13回忌だ。
心中で父を偲ぶ。
出発日とはいえ、夕方までは時間があるので、ゆっくりとランチをとろうということに。夫が調べておいてくれた店のひとつ、スパニッシュレストランへ。なんでも2015年にミシュランの星を獲得したという話題の店らしい。ホテルからも数ブロックと近い場所にあるので、アッパーウエストサイドを歩く。
それにしても、暑い。到着した日は20℃を切っていたのに、今日は31℃。いきなり夏日だ。
パティオには太陽光が降り注ぎ、アンダルシアの雰囲気が漂う心地のいい空間だ。
それはそうと、午後1時過ぎだというのに、お客がわたしたちを除いて一組だけ、というのはなぜだろう。土曜日だというのに。ミシュランの星付きで、しかし高級店ではない比較的カジュアルな価格帯だから、もう少し人がいてもよさそうなものだが……。
夫の笑顔に憂いが漂っているのは、紛れもなくNORAのせいだ。なにしろ夫は、NORAのことが本当に、好きなのだ。
ともあれ、わたしはいくつかのタパス(小皿料理)をあれこれと食べたいと思っていたのだが、給仕の勧めにより、同店自慢のパエーリャを注文することに。2人分ということなので、それだけでかなりのヴォリュームだろうと想像し、タパスは一皿に留めておいたのだった。
こちらがタパス。ロブスターと卵のサラダ。おいしいが、特筆すべきものではない。自分でも作れそうな味。
そして、お待ちかねのパエーリャ……。
このパエーリャ。2人分にしては、まず量が少ない。写真では多そうに見えるが、ライスは非常に浅いのだ。少ないうえに、味が地味。おいしいが、パンチがない。感動がない。シーフードも、特にクオリティが高いものが使われているわけではない。普通のエビ。普通のムール貝。味わいに華がない。
食べている間に不満を言うのはいいことではないので、取り敢えずはおいしいのだし、きれいに平らげて、ランチを終えた。
しかし、会計を終えて、二人とも、一瞬無口に。サングリア、タパス1皿、パエーリャで、チップ込みで120ドルを超えたのだ。
納得がいかない。勧められたし、ミシュランだし、何やら豪華な味わいを期待したからこそ、55ドルのパエーリャを注文したのであるが、どう贔屓目に見ても30ドル程度の味でしかなかった。
先日のステーキの値段とほぼ同じで、この満足度の低さ。ミシュランよりもZAGATの評価を信じるべきだったと夫は悔やんでいる。ニューヨーク最後の食事は、やや残念な結果となったのであった。
食後、セントラルパークを散策して、ホテルへ。夕暮れのマンハッタンをくぐり抜けて、JFK空港へと向かう。いつものように、イーストリヴァーを渡り、マンハッタン島を振り返りながら……。
20年目のニューヨーク。いつもより少し短かったとはいえ、十分に、楽しめた。昔のような、あれもこれもという衝動は薄れたけれど、それはそれ。歳月の流れと経験の蓄積と嗜好の移ろい、である。
最後にビリー・ジョエルのコンサートへ行けたことは、本当によかった。バレエやミュージカルも十分に楽しんだはずなのに、それらの記憶が吹き飛ばされるほどのパワーであった。
ニューヨークからロンドンまでは約7時間。搭乗するやいなや、すぐに眠りにつき、目覚めたときには着陸1時間前。夫婦そろって6時間、ぐっすりと眠れた。夢の中にNORAが出て来た。どれだけ心配しているんだかと、自分で自分に呆れる。
戻ってくるだろうとはこれまでの経緯で確信していたが、気になるのは脱出経路、である。そこを見つけ出すことができるのだろうか……と、庭の構造を脳裏で再検証。なにしろ、脱出できたとしても、「特設の小窓ドア」を開けなければ、戻って来れない構造になっているのだ。
彼女が逃亡するたびにそのドアを開けておくことになると、ROCKYやJACKが、そこから脱出してしまう。新たな課題である。
ヒースロー空港からドライヴァーのアンソニーに電話をしたところ、朗報。隣家の庭先でNORAを見つけ、無事に確保したとのこと。今は3匹とも室内に閉じ込められている状態らしい。
そもそもアンソニーは猫が苦手で、最初のころは「デヴィル(悪魔)よりも猫が苦手」だと言っていた。噛み付かれる、引っ掻かれることを極度に恐れていたので、彼に猫のことを頼むのは気が引けていた。しかし、この2年の間に、彼もずいぶんと変わったようだ。
「隣の庭でNORAがくつろいでいたので、何度もNORA、NORAと名前を呼んだんです。するとミャアミャアと言いながら、僕のほうにやってきたので、つかまえて連れて帰りました」
とのこと。すっかり懐かれているではないか。驚きである。NORAも逃げてはみたものの、界隈には野良猫も多く、テリトリーの問題もあって、そう自由には動き回れなかったのだろう。お腹も空いていたに違いない。
「マダム。NORAは賢くて、いい猫です」と力説していた。
月曜の朝、バンガロールに到着。暑さはすっかり落ち着いて、凌ぎやすい気候になっていた。自宅のドアを開けるや否や……。猫臭い!!
今まで、家の中に入れっぱなしということがなかったので気づかなかったが、閉じ込めるとこんなにも、猫臭がするものなのか、というくらいに猫臭いのだ。これには驚いた。
案の定。外に出たくてROCKYとJACKが暴れたのだろう、クッションが散らばり、テーブルクロスが引き摺り下ろされるなどの軽い惨状。
結論からいえば、NORAは思いも寄らなかった方法で、家を脱出していたのだった。詳細は、後日うさぎのアリスにレポートしてもらうが、ポイントだけ書いておくに、NORAはやっぱり、野良だった。今、再び半野良にすべきなのかもしれない、いや、するしかないとも思っている。
なにしろ、わたしの目の前で、新しく開拓したらしき脱出方法を、「敢えて」見せてくれたのだ。
ある一点で停止。と、軽く身体の位置を変えて、ヤシの木にジャンプ! まさに「はっし」と木にしがみき、次の瞬間、サンルームの屋根にジャンプするではないか!
猿なのか?!
あまりの展開に、最早、苦笑いである。
完敗だ。
わたしたちの帰りを待ってくれていたかのように、年に一度だけ開花する大輪の月下美人が、三輪、開いた。
一昨年までは、年々その数を増やしながら、十輪以上の花をつけていた月下美人。数年に亘って、友人らを招いての「月下美人鑑賞会」を行っていた。
しかし、昨年の激しい「雹(ひょう)」で、庭の緑の多くは、ズタズタに痛んでしまった。年々大きくなっていた月下美人の葉にもたくさんの穴があいてしまい、また「振り出しに戻る」の状況だった。
ゆえに、共に花を愛でる夜を過ごせたことは、かけがえのないご縁だった、という思いがする。
実は昨年、一輪だけ咲いた。それは、わたしたちがニューヨークへ発つその夜、だった。そして今年は、戻ってきた日の夜。たとえ数が少なくても、わたしたちに花の麗しさを、香りの芳しさを、楽しませてくれるために。
さて、またバンガロールでの日々が始まった。夫は早速、明日から出張だ。
わたしもまた、やるべきことは少なくないが、慌てず、丁寧に、一つずつに取り組んでいこうと思う。