日曜日。今日は、夫の買い物に付き合い、セントラルパークを歩き、アッパーウエストサイドで過ごすことにしていた。1年ぶりのことなのに、つい最近も、同じようなことをしていたような錯覚に陥る。
ニューヨークへ来るたびに、似たようなことを書いているが、今年はその思いが格別に強い。
同じ季節、同じ場所を訪れる。すると、記憶が、ここに住んでいた当時に、瞬時に巻き戻される。いや、住んでいた当時、というよりは、ずっと住み続けてここで歳月を重ねた……という感じだ。
これは誰もが経験している感覚であろう。バンガロールに住んでいる人が日本に戻ると、インドでの日々が遠く幻のように思えるに違いない。
パラレルに進行する時間の帯を、飛行機でぴょんと移ったような感覚。インドの日常の帯から、ニューヨークの日常の帯へと。
その違和感のなさがむしろ、インドでの日々が幻のように思えて、心許ない。
猫らですら、幻のような気がしてくる。敢えて、NORAの人間みたいな視線を、ROCKYのどっしりとした重量感を、JACKのペレ並みのフットワークを思い出して、記憶の中にインドの自分をつなぎ止めておこうとしている。
ちなみに我々の不在中、メイドのマニとドライヴァーのアンソニーが、猫らに餌を与えるなどの世話をしてくれている。信頼できる使用人がいるからこそ、二人で家を空けてもいられる。猫らのことが気になって、毎日のように電話をしているが、今のところ問題なさそうだ。
出会って以来、かれこれ20年近く、夫の衣類の大半は、BROOKS BROTHERSで調達している。渡米した際には必ず立ち寄り、まとめ買いをする。わたしがここで買うことは滅多にないのだが、今年はすてきなワンピースを見つけた。しかも現在40%オフ。お買い得だ。
ランチタイムは、住んでいたころからしばしば利用していたチャイニーズのSHUN LEE CAFE。起業して、働き詰めだったころ、週に一度はここから出前を頼んでいた。
SHUN LEEは高級なチャイニーズで、SHUN LEE CAFEは隣接するややカジュアルな店。点心も楽しめる。「すごくおいしい」というわけではないのだが、便利なロケーションだということもあり、毎度、どこに行くか決めかねるとき「じゃあ、SHUN LEEにする?」という感じで決められる店。
ランチのあと、迷いなく夫が入っていったのはペットショップ。ここで猫らへのお土産(玩具)を熱心に吟味してご購入。
わずか1年の間にも、ストリートを彩る店舗には栄枯盛衰が見られ……。実はSHUN LEEを選んだ理由の一つは、夫が大好きで、毎年訪れていたTELEPANというレストランが、なくなってしまっていたからだ。
オーガニックの良質な素材を使った、家庭的な料理が楽しめる店であった。店内の雰囲気もサーヴィスもアットホームでくつろげ、ランチのコースメニューを食べるのを楽しみにしていたのだが、残念な限りだ。
途中、見慣れぬ店のショーウインドーが気になり、店内へ入った。シンプルで履き心地のよさそうなパンツが目に留まったので、試着し購入。キャッシャーで、
「この店は新しいの?」
と、尋ねたところ、
「いいえ、そうでもないですよ。まもなく1年になりますよ」
と、その若い女性は答えた。
1年ぶりに訪れたわたしにとって、ここは紛れもなく新しく、しかし、毎日通う彼女にとって、すでに新しくはない。
20年前のこの街を偲ぶ者と、20年ほど前に生まれた者とのあいだに、新旧の基準に、共通点があるはずもなく。
大好きな木の花、ドッグウッド。ハナミズキ。この緑めいた白もまた、なんとも言えず、いい。
お気に入りの一隅で、ジャズ。ここのベンチに腰掛けて、しばらく、二人でぼんやりと過ごす。
パンやチーズを買い求め、今夜は軽めにホテルで食事をすることに。足りない分を調達するため、帰路、TRADER JOE'Sでショッピング。
このころから、夫の「やっぱりニューヨークはいいよね〜!」モードがスローダウンしてくる。毎年のことである。
食料の買い出しも、ちょっとなら楽しいが、必要なものを買い込んで、レジの前の長蛇の列に並び、重い荷物を自分で抱えて帰宅せねばならない。
インドでは、まず彼が食料を買い出すことはないし、重い荷物を持つこともない。すべて、ドライヴァーのアンソニーがやってくれる。
とはいえ、普段やらないことを、年に一度やるのは、いいことだ。途中、いつものワインショップで赤ワインを選び、本当はスパークリングワインも買いたいけど重たいから別の日にしようと諦め、二人で、足が痛いだの腕が痛いだの言いながら、ホテルへと急ぐ。
老けたな。
今夜は、何年か前に勧められて購入し、おいしいと思った1本を。これもナパ・ヴァレーのカベルネ・ソーヴィニョン。
ホテルはセミスイートなので、比較的ゆったりと空間がある。部屋で落ち着いて食事ができる。ルームサーヴィスに頼んで、お皿やグラスを借り、買い込んできた食材を広げる。毎年、同じようなことをやっている。
外食続きで胃が疲れるときには、この「半外食」での小休止が必要なのだ。あいにく温かいものは食べられないが、サラダなどをドレッシング抜きでもりもりと食べて、デトックスする。
ファーマーズマーケットで買ったハラブレッドも、モツァレラチーズもおいしい。
毎年、同じようなことをやっている。
それにつけても、今年はめっきり、写真を撮る衝動が落ちている。逆に言えば、今まで10年以上、同じような情景を繰り返し繰り返し、撮り続けてきたことのほうが、熱心なことであった、とも思う。
感性の鮮度を保つためにも、「これは」と思ったものを被写体にし、記録することは、公私に亘って大切なことであった。写真と言葉。
わたしの仕事は、フォトグラファーではないので「写真の仕上がり」が最終目的ではないが、何を捉えて自身の記録に残すか、は大切な鍵となる。
ニューヨークと関連する仕事は、今となっては、何一つないが、それでも旅を記録するということは、そもそも旅行ライターであったわたしにとって、旅をするときに切り離せない行いである。撮らずにはいられないし、書かずにはいられない。
それでもこのごろは、怠惰になった……と思う。なにしろ、カメラを持ち歩かなくなってしまった。すべてiPhoneですませている。
まあ、そんな時期もあるだろう。
初めてこの街に暮らし始めたころには、まだ30歳だったわたしが、50歳になったのだ。物事の捉え方も、その手段も、そして表現方法も、徐々に移ろって当然だろう。
さて、旅の後半、益々、肩の力を抜いて、気ままに過ごそうと思う。
ところで、ニューヨークの、もっと多くの写真をご覧になりたい方がいらっしゃれば、過去の世界旅の記録から、遡っていただければと思う。ここ10年のニューヨークが、あちこちにたっぷりと。
■世界旅のアルバム Since 2001 (←CLICK!)
それにつけても、我がことながら驚くのは、去年の自分。デング熱に罹患して入院、退院して3日後に渡米し、肉を食らっている。しかもその肉が思っていたものと違うと不満さえ述べている。
最初の写真こそ、やつれ感の余韻が見られるが、翌日からはすでにピチピチしている。だいたい、1週間近く、入院期間中も含め、ろくなものを食べられていなかったのに、なぜ痩せないのかが不思議でならない。
しかし、痩せて体力が落ちるよりはいい。痩せて体力が落ちなければもっといい。デブはいやだが、回復力があるのはありがたいことだとは思う。ええい、どうでもいいことを書いている。
■2015年。デング熱直後のニューヨーク&フィラデルフィア旅 (←CLICK!)