金曜の夜、アルヴィンドがムンバイから戻って来た。3週間ぶりのバンガロール。バンガロール新国際空港の、到着ロビーの快適さに、あまりにも整然とした手荷物受取所に、彼も感嘆していた。
帰りの車中は、義父ロメイシュや義姉スジャータと電話で話をしていたようで、1時間半ほどかかったものの、さほど気にならなかったようである。
ところで、上のDVD。アルヴィンドがTAJホテルグループのインナーサークルのメンバーなのだが、ホテル滞在などによりポイントが溜まるらしく、そのポイントで、TAJ系リゾートホテル宿泊券や各種商品の引き換えといった特典が受けられる。
その特典の一つに、DVDのセットがあった。インドではなかなか入手できない品揃えに感動し、ポイントの一部を利用して早速注文したところ、昨日届いたのだった。それはボリウッド映画でも、ハリウッド映画でもない構成である。
我が二十代後半の「多感な時期」、仕事の合間を縫って、現実の苦痛から逃れるようにひたすら見た映画の数々。
あのころのわたしにとって、休暇ごとの旅、そして週末の、レンタルヴィデオショップで借りて来た映画を見る時間が、何よりも大切だったように思う。
ハリウッド映画はあまり見なかったが、欧州、アジアの映画は、よく見た。
ジム・ジャームッシュ、イングマール・ベルイマン、ヴィム・ヴェンダース……。懐かしい名前が並んでいる。
一方、黒澤作品は、実はあまり見たことがなかった。このセットには、「七人の侍」と「用心棒」が入っている。これを機に見てみようと思う。
これは、先日ムンバイのSATYA PAULで購入したサリーである。
数カ月前、ブラウスが出来上がったら公開するとの告知をした、例のサリーである。
5メートル余りもあるサリー。
その柄のダイナミックさを見ていただくため、わざわざ2階から吊るしてみた。
最早、壁飾りとしても活用できる美しさである。
サリーとして着るよりも、壁に飾っておいた方がいいんじゃなかろうか、とさえ思える。
アルヴィンドが仕事の関係でデリーのSATYA PAUL本社を訪れ、CEOに会った折、このサリーの話をしたところ、デザインルームに案内されて、このサリーをデザインした人と会ったらしい。
妻が鶴のサリーを気に入って買ったのだ、と話したところ、とても喜んでくれたとか。
このサリーはかなりの力作だったらしく、「いいお買い物をなさいました」と言われたらしい。
ショーウィンドーには、実は同じデザインで夕陽ヴァージョン、つまりオレンジ系のサリーがかけられていた。
それはそれで美しかったのだが、同時に暑苦しかった。
しかしこのブルーは、爽やかである。
普段はあまりブルーを着ず、ブルーのサリーは義理両親に買ってもらった1枚しかないのだが、これはもう、自分に似合うか似合わないかはさておき、衣類としてというよりは、作品として欲しいと思った。今のところ一番のお気に入りである。
どこかしら、日本の着物にも似ている。背後から前面にかけて、鶴が舞い飛ぶ様。その動きを伴ったデザインが麗しい。
壁に下げて見ても、着用してみても、絵柄がうまい具合にヴァランスよく配置されているところが憎い。
抽象的でモダンなデザインの、ハデハデ系サリーが多いSATYA PAULの商品は、以前も書いたがあまり好みではない。しかしこれだけは特別であったと、やはり衝動買いをしておいてよかったと思う。
型が決まっている、という意味では、サリーも着物も同じようなコンセプトである。素材と柄が命。限りない布の世界が広がるインド。本当に、知れば知るほど、深みにはまってゆく。
バンガロール生活も2年半。
日本人総会に参加するのも、これで4度目だ。
2年半もたつと、すでに「事情通の古株」という位置づけになる。
これからは益々、「古株の一途をたどる」ことになるのだろう。顔見知りの人たちよりもむしろ、初めての方に声をかけられることが多かった。
このサイトを通して知った人。例の「仰天ライフ」をテレビで見た人も少なくないようだ。これは、今日お会いした方に限らないのだが、バンガロールの赴任が決まって、情報収集の際に見つける人も多いようだ。
このブログを通してインドを垣間見ることができ、「バンガロールは悪くないではないか」という印象を抱いて渡印される人もあり、それはそれで光栄なことではあるが、責任が重いような気がしないでもない。
今回、若い男子(夫を含む)との記念撮影に積極的だった我。左はC家のナオヤくん、中央はF家のタイチくんとテツタくん(未成年につき、保護者のご了承を得て掲載しております)。そして右は言うまでもなく、マイハニー。
ティーンエージャーの彼らの母は、わたしと同世代。わたしも然るべき年齢で結婚し、然るべき年齢で出産をしていたら、このくらいの子供がいたのだと思うと、なんてこった、という気分だ。
会合は7時に始まり10時ごろには終了。帰宅してからは、ジム・ジャームッシュの "Down By Law" を20年ぶりに見て、あの夜、一人で見たことがまるでつい、この間のことのように。
ただ一つ違っていたのは、モノクロの画面に映る三人の男と一人の女性が、わたしよりも若くなっていたことだ。