バンガロールの夏は、早くも過ぎて、6月中旬。久しぶりにのんびりとした日曜日を過ごしている。
かつてない暑さだったにもかかわらず、すでに「喉元過ぎれば」の気分で、朝晩の涼しさを、高原の風の心地よさを、楽しむ日々。しかしながら、マンゴーの季節は健在で、このところは、マリカ、バダミ、ケサールといった地元のマンゴーを、毎日のように味わっている。
ところで先週の日曜日は、半年に一度開催されるバンガロール日本人会総会パーティであった。思えばこの会にも、すでに10回ほども参加しているのではないだろうか。すっかり古株となってしまったものだ。年々、バンガロール在住の日本人は増加しており、在留届を出していない人も含めれば、1,000人は超えているようである。
さて、今日、書き留めておきたかったのは、今回、パーティの際に初めて身につけた夫の父方の祖母(ダディマ)の形見のジュエリーのこと。上の写真がそれだ。
小柄だったダディマ、そして、とてもスリムだった夫の亡母。二人から譲り受けたブレスレットや、指輪などが、なぜかわたしの手にぴったりと合うだけでも、「ご縁があったのだな」と思ってきた。
わたしは身体は大きいが、手は小さめなので、小ぶりのブレスレットが入るのだ。
ところでインドの人々は、自分の誕生石(守護石)を身につけている人が多い。それは装飾品というよりはお守りという位置づけで、自分の生年月日、生まれた時間、そして生まれた場所(経度/緯度)を参考にして導き出されるものである。
わたしは、久しく自分の石がなんなのかを知らずにいたことから、「ご利益ひとまとめ!」という感じの9つの石、Navratna Stonesを身につけてきた。詳しくは過去に記録を残している。今でも左手の中指には、毎日この指輪をしている。
自分の守護石を知ったのは2年前の2011年5月。ムンバイを訪れた際、天然石の専門店を見つけ、そこでようやく、自分の守護石を割り出してもらうことができたのだった。
あの時期、この店に赴き、自分の石を見つけ出そうと思ったのには、多分、「守られていたい」という潜在的な気持ちがあったように思う。占星術だの守護石だの、非科学的だと思われるむきもあろうが、人間とはそもそも、非科学的な存在でもある。
守護石のことを思うとき、「波長」という言葉が閃く。
人と人。波長が合う。合わない。があるように、人と石にも、人と街にも、人と物にも、あらゆる「間」に波長がある。
これは、理屈では説明できない現象だとも思う。
「この匂いが好き」「この味が好き」という嗜好にしてもまた。
前置きが長くなったが、わたしの守護石。上記のタイトルにも記しているが、「真珠とエメラルド」であった。
心の平静のためには、真珠。
仕事のためには、エメラルド。
そのことがわかって、天然真珠を購入したが、エメラルドは保留であった。そしていつしか、「エメラルドを買わなければ」という気持ちを忘れつつあった。
そんな矢先、デリーの実家を訪れた際、義父ロメイシュから、「これはダディマの形見だから、美穂にあげるよ」と言って渡されたのが、一番上の写真の、ジュエリーのセットである。
ダディマが結婚したばかりのころのものだから、70年ほども前のものだ。インドのジュエリーにしては、派手ながらも上品なデザインで、これならばサリーを着用したときに身につけられるとうれしく思った。
そして、次の瞬間、思い至った。これは、わたしの守護石セットではないかと。
真珠とエメラルドの組み合わせ。偶然と言えば偶然だが、そのような偶然がまた、縁なのだと思うと、なんとも言えずうれしい。