無事に、2日間のフォーラムを終えて、今日の夕刻、バンガロールへ戻る。夫Arvindもモデレータとして登壇した昨日のフォーラムについて言及する前に、12年前のことを記しておきたい。2011年9月。東日本大震災の余韻が重く残る東京にて、しかし大々的に3日間に亘る「日印グローバル・パートナーシップ・サミット」が開催された。
わたしは招待されなかったが、どうしても参加したかったので、一般枠に申し込み出席したのだった。後半の写真はそのときのもの。ご覧の通り、森喜朗氏はじめ、鳩山由紀夫氏、安倍晋三氏、菅直人氏……と歴代首相が登壇。実は菅氏は「首相」として参加予定だったが、数日前(!)に政権交代。最終日に、野田佳彦首相が厳戒なる警備のもと、ステージにて挨拶をされたことが印象に残っている。
12年前に色濃く打ち出された日本とインドの連携にまつわる諸々が、歳月を経て今、どう変化しただろうと、検証したくなるこの2日間でもあった。なお、2011年の日印グローバル・パートナーシップ・サミットに関する記録も、臨場感たっぷりに、ブログに残しているので、関心のある方にはぜひ、ご覧いただきたい。
♦︎初日は、日本とインドの外務大臣によるセッションで開幕した今回のフォーラム。その後、Quad (クアッド/日本・米国・オーストラリア・インド4カ国の戦略対話。2007年安倍晋三首相により提唱された)インド太平洋におけるパワーバランスや、半導体やクリティカルミネラル(重要な鉱物)、北東インドへのインフラストラクチャー投資などをテーマにしたセッションが4本、続いた。
♦︎2日目の昨日は、防衛ネットワークの強化と侵略の抑止をテーマにしたセッションで開幕。近年の日印外交の礎を築いた第一人者が森喜朗元首相であることや、安倍晋三元首相がそれ継承し、マンモハン・シン元首相やモディ首相との外交を積極的に深めて来た経緯は、わたしも知るところだ。
♦︎初めて知ること、学ぶことが多い中、昨日は、自由民主党所属の参議院議員(大阪)の松川るい氏の話が特に勉強になった。日本の防衛備品の輸出に関する課題、その背景と安倍元首相の尽力など。同氏はワシントンD.C.のジョージタウン大学(わたしも通ったが、英語学習コース😅)も卒業。聞き取りやすい流暢な英語で、怜悧に堂々と、短時間で的確に説明される姿に感じ入った。以下、関連記事を見つけたので、参考までに。
♦︎松川氏はじめ、日本人、インド人、男女問わず、多くの方から「サリーがすてきですね」と声をかけられる。初日に着用した「京友禅サリー」は日本とインドの文化交流の象徴でもあり、会話の端緒にもなって非常によい。ちなみに2日目の赤と黒のサリーは、カンタ刺繍というベンガル地方由来の、刺し子風の刺繍が施されたもの。
モディ首相は、しばしばインドの伝統的な手工芸による高品質なストールを身につけていらっしゃるが、昨日、言葉を交わしたインド高官のお一人が、カンタ刺繍のストールを首に巻かれていて、とてもすてきだった。
♦︎さてその後は、エネルギー資源(新エネルギー/化石エネルギー)に関するセッションを経て、夫がモデレータを務めたテクノロジーとデジタルの未来に関するセッションが続いた。そして最後は、インド財務大臣のNirmala Sitharamanが登壇された。3人の写真中央、青紫のサリーを着ていらっしゃる女性だ。
✒️濃密な2日間については、諸々、書きたいことが募るが、1回の投稿を2000文字以内と決めている。というか、Instagramの文字制限が2000文字なので、止むを得ず。むしろ2000文字で留められるので、ブレーキが効いてよいとも言える。長文が忌避される世の趨勢に逆行していることは自覚しているが、記録は自分のためでもあるので今後も残す。今回のフォーラム参加を経て個人的に感じたことは、改めて③でまとめたい。
さて、そろそろ、荷造りをしなければ。今回のデリー滞在。雨のおかげで気温も落ち着き、思ったよりも過ごしやすい日々だった。その他諸々、時間を見つけて、書き残しておきたい。
早く猫らに会いたい。😻
🇯🇵以下のリンクは、2011年9月の東京。日本の歴代首相と要人たちが集った2011年日印グローバル・パートナーシップ・サミットに出席した時の記録。前半は個人的な旅のエピソードなので、後半のレポートをどうぞ。ちなみにこのときのイヴェントでは、開会が遅れるなど遅延のトラブルが目立った。しかし、今回のフォーラムでは、たとえインドでも! フォーマルにすべてがほぼスケジュール通りに進んだことを記しておく。
https://museindia.typepad.jp/2011/2011/09/japanindia.html