ニューヨーク在住時の2001年7月、わたしは初めてインドへ飛んだ。夫の故郷ニューデリーで自分たちの結婚式を挙げるためだ。サリーを着たのは、そのときが初めてだった。その2年後、ワシントンD.C.在住時にインドを旅した際、サリーの魅力に引き込まれ、何枚か購入。米国でのパーティでも着用した。
2005年にインドに移住してからの数年間は、バンガロールだけでなく、出張先の都市や展示会などで多様なサリーを目にし、少しずつ買いためてきた。しかしながら、すでに当時から結婚式などを除いては、パーティでサリーを着るインド友らは少なかった。わたしもまた、ミューズ・クリエイションのメンバーと「サリーランチ」を開催するとき以外は滅多に着なくなった。
パンデミック時代に、クローゼットの片付けをした。「箪笥の肥やし」になりつつあるサリーを見て「これからは積極的に着よう」と決めた。かつてミューズ・クリエイションのメンバーだったヴァイオリニストのEMIKOさんと「SAREES」というユニットを組み、サリーを着て撮影、Youtube動画を何本もあげるなど、引きこもりの暮らしの中、楽しみを作った。
ロックダウンの合間に開催されたパーティやイヴェントに、幾度かサリーを着て出かけた。頻度は低いのだが、しかし気づけば「サリーをよく着る日本人女性」という印象を周囲に与えていた。
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2022年冬、京友禅サリーのプロモーターを依頼され、バンガロールとデリーで2度、展示会を開催した。着物事情に疎かったわたしは「京友禅ってなに?」から始まった。仕事の依頼に伴い諸々を調べ、人に伝えるべく学びながら資料を作り、展示会を終えて、一旦のミッションは完了した。
その翌年2023年の秋、我々夫婦が所属するグローバル組織YPOの催しで、「日本の食」を語るプレゼンテーションを依頼された。その際、約十年ぶりに浴衣を着た。手持ちはわずか2枚。一枚は高校時代(!)に買ったもの。もう一枚は、十数年前に福岡の中洲川端で買った既製品。久留米絣のシンプルな浴衣は、しかし友人らに好評だったことから、その直後の一時帰国時に浴衣を調達しようと決めた。
しかし季節は秋。浴衣はない。たまたま立ち寄った新天町の中古着物店で、見事な職人技の着物や帯が二束三文で売られているのを見て驚嘆する。その日、数枚を購入し実家へ帰宅。その後、実家のクローゼットにて半世紀以上も眠っていた母の「ほぼ未着用」の着物や帯を発見! それらをすべてインドに送って、2023年師走、自宅で『着物とサリーの比較展示会』をしたのが端緒だった。
絣に絞り、更紗……。インドのテキスタイルの影響を受けた日本の呉服。その歴史を紐解くことの面白さ! 以降、半年に一度の一時帰国(都合3回)のたび、展示即売会やリユース着物店へ足を運び、ヴィンテージ(中古)の着物や羽織を探し、少しずつ購入してきた。
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昨年末、2年ぶりに京友禅サリーの仕事を依頼され、1月に展示会をした。ミッションはすでに終了しているが、現在、十数枚お預かりしている。それらは販売対象だが、着物同様、高価である。気安く購入を勧められるものでもない。まずは優美な丹後縮緬のたなびきや、光沢のある質感や、柔らかな手触りや、その上に広がる職人らの筆の運びの彩りを、直接、見て、触れてほしい。
だから玄関では、使い捨てスリッパを用意して靴を脱いでもらい、ウェットティッシュで手を拭いてもらい、触って、体験してもらう。百聞は一見にしかず。百見は一触にしかず(坂田の造語😅)。どんなに写真や動画を見たところで、リアルは伝わらない。
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今回の展示会は、親しい友人複数名が、着物やサリーを見たいというので、開催を決めた。ただ、1日だけだと都合が合わない人がいるため、3日間にした。
今回はフォトグラファーを頼むつもりはなかったが、展示準備を終えたら「やっぱり記録しておきたい」との思いが湧き上がり、初日の朝、急遽連絡。さすがにその日は無理だったが、2日目には来てもらえた。後日、彼が撮影した動画をアップロードするが、今日のところはiPhoneの写真を。
インド友らのほかに、かつてミューズ・クリエイションのインターンをしていた学生らやその友人も来訪、久しぶりの再会を楽しみつつの展示を見てもらった。
この日、バンガロール在住の日本人女性の参加はお一人だけだったが、インド友人らに折り紙を指導してもらった。京友禅柄の、上質な和紙の折り紙は、ただ触れているだけでも、心が沸き立つ。みな、子供のように嬉々として柄を選び、丁寧に、美しく、折っている。とても喜ばれた。
写真でお分かりいただける通り、絞りの羽織がとても人気だ。前回の展示会で購入し、今回2枚目を買いに来た友人もいた。(3日目の記録に続く……)
⬇︎展示会の様子がリアルに伝わる動画を作りました。ご覧ください。