わたしたち、遠いところまで、一緒によく来たね……。と、話しかけながら飾り付けた今年。
59年前に両親が買ってくれた雛人形。福岡、東京、ニューヨーク、ワシントンD.C.を経て、バンガロールにたどり着いた。歳月を刻んで、中には打撲や骨折、お肌の荒れが気になる人形もいるけれど、適宜、手当をしつつ、飾ってきた。
一方の、七五三のときに巻いた帯は、未だ色鮮やかに真新しい。写真の中のわたしと妹は、異次元ほどにもはるか遠いのに。
展示しているのは、ほとんどが50年以上前の古い着物や帯ばかり。中には大正時代のものもある。たとえば、我がお気に入りの黄色い銘仙(絣)の羽織。アールデコやキュビズムなど、西洋芸術の影響を受けた斬新なデザインが魅力的すぎる。これはリユース着物店で見つけた。
当時、銘仙は、カジュアルな着物だったようで、ウィキペディアによれば、「女学生や職業婦人などの外出着や生活着として、洋服に見劣りしない、洋風感覚を取り入れた着物である銘仙が広く受け入れられることとなった」とある。
今の日本よりも遥かに、カラフルでヴィヴィッドな色彩感覚に溢れていたことだろう。
このほか、友人Yashoが日本で購入した超絶技法による「西陣織/螺鈿引き箔」の帯を借りて展示。
アジャンタ石窟遺跡の、少なくとも1400年以上前に描かれた女性(絞りのトップに絣のボトム)の写真と、母の絞りの着物を一緒に展示。
父方祖父母の写真、久留米絣の女学生や、インドとご縁のあった日蓮宗の藤井日達上人の写真など……。
インドの女神サラスワティが起源の弁財天。その博多人形。明治時代に日本の若者らによって作られたマジョリカ・タイルのサラスワティ。東南アジアや中国、インドに輸出された無数のカラフルなタイルに彩られた英国統治時代の家具……。
歴史を綴れば尽きず、物語はあふれる。
最終日は、ゆっくりのペースでゲストをお迎えする。実は親しい友人のお母様がお亡くなりになったことから、この日の夕方はお別れの儀式に参加すべく、展示会は早めに切り上げることにしていたのだ。
午前中はご近所の方が数名ご来訪、午後は、ミューズ・クリエイションの活動にも時折参加されている日本&インドのカップル、そして初日来訪して、再度、ゆっくり訪れたいという学生が、改めて別の友人を伴って訪れた。日本語を学ぶ彼女のおかげで、今回、多くの学生が来訪することになった。小さな出会いから広がるご縁……。
以前からこの展示会を楽しみにしていた友人が、急用で参加できなくなる。一方で、たまたま友人に誘われて、急遽、訪問を決める人がいる。すべては「ご縁」であると、このごろは切に思う。
わたしは学生時代、大学祭実行委員長を務めたのを皮切りに、これまで、数えきれないほどのイヴェントに関わったり、主催したりしてきた。そして、多くの人たちに出会ってきた。その場限りの人たちもいれば、のちのちもご縁が続く人がいる。
ともあれ、紆余曲折を経て、歳を重ねて、未来の限界が見えてくる今。人との出会いは数ではなく質。老若男女問わず、言葉を交わし、束の間、心を通わせ、前向きな気持ちになれる関係を築ける人たちと、出会い、刺激を与え合いたい。
ゲストの顔ぶれも多彩な今回の展示会では、その思いを強くした。
「縁」という言葉が持つ意味を、しみじみと考える。
わたしたちは、浅い小川に立っている。前方から流れてくる未来は、たちまち後ろへと流れ去る。両手で掬い上げられるのは、ほんのわずか。それらを、大切に、慈しむ。
展示会を終えて夕刻、お別れの儀式に向かう。僧侶たちの読経に包まれた、チベット仏教のその儀式は、魂に染み入るものだった。チベット仏教における弔いの在り方を、少し、友人に聞いた。そのときに、本当に驚いたことがある。このことは、多くの日本の方々(特にオウム真理教にまつわる事件を知る世代の人々)にも伝えたく、別途きちんと記したい。
⬇︎展示会の様子がリアルに伝わる動画を作りました。ご覧ください。