今日のタイムズ・オブ・インディアには、ペプシコCEOのインディラ・ヌーイの記事が二つ。
米国で開催されたAspen Ideas Festivalでの講演で、彼女が、働く女性として、妻として、母親として、試行錯誤を繰り返しながら今日まで来た様子が、語られている。
Women cannot have it all, PepsiCo CEO Indra Nooyi says
Pepsi CEO's mom mantra generates fizz
★記事のリンク(青い文字の部分をクリック)をはっているので、もちろん英文ではあるが、ご興味のある方は、ぜひご一読を。
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インディラは、わたしの夫側の親戚だ。従っては、わたしもニューヨーク在住時、何度かお会いする機会があった。
夫の伯父、ランジャン宅で毎年開かれたサンクス・ギヴィング・ディナー。ランジャンの妻チャンドリカの妹が、インディラなのだ。当時は、まだCFOだった彼女のパワフルさには感銘を受けたものだ。
姉のチャンドリカもまた、ビジネス界では非常に著名な人物だったことから、二人の女性の威力に圧倒されたものである。彼女らはしかし、米国に生まれ育ったわけではなく、高等教育までをインドで受けている。生まれはチェンナイ。封建的なブラフミン(バラモン)の出自だ。
米国で暮らしていても、折に触れて、ピッツバーグにあるヒンドゥー寺院を詣でる。インディラの家を訪れたことはないが、ランジャンとチャンドリカが暮らすアッパーイーストサイドの大邸宅には、大きなプジャー(儀礼)用の部屋がある。
非常に、信心深い。
ともあれ、記事にもあるように、彼女はまた、女性がすべてを手に入れることなどできない、といった本音を、語っている。自分が二人の娘にとっていい母親だったとは、決して思ってはいないということも。
仕事と家庭の両立……。女性は、実にタフでなければならないのだ、ということを、この記事を読みながら思う。
子供のいないわたしにしてみれば、むしろ、自由に思う存分、働けて当然だったし、これからもまだまだ、働くべきだとさえ、思わされた。
記事の一部に、彼女が米国で暮らす自分の母親についてを語っているエピソードがある。非常に印象的な文章なので、そこだけを、以下、日本語訳して転載する。
ちなみに、インド人の多くは、家族を非常に大切にし、両親と同居するケースが一般的だ。彼女たち夫婦もまた、インドからそれぞれの両親を呼び寄せ、米国で同居している。前述のように、彼女の出自は封建的である一方、両親からはビジネスでの成功も期待されていた。
以下は、彼女がペプシコのCEOに昇進した日のできごとである。すでに夜の10時になっていたが、この朗報を家族に一番に知らせたく、彼女は帰路を急いだ。
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午後10時ごろ、わたしは自宅に到着しました。車庫に車を入れようとしたところ、母が階段の上で待っています。わたしは母に言いました。
「お母さん、あなたに、すばらしいニュースがあるのよ!」
すると、母は言いました。
「ニュースはちょっと待って。先に牛乳を買ってきてちょうだい」
車庫を見ると、すでに夫の車がとめてあります。
「彼は何時に帰ってきたの?」
「8時よ」
「なぜ、彼に牛乳を頼まなかったの?」
「彼は疲れていたからよ。……ともかく、牛乳を買ってきて。明日の朝、必要なんだから!」
わたしは牛乳を買いに行き、帰宅して冷蔵庫のドアをバタンと閉めながらいいました。
「わたしは、お母さんにすばらしいニュースがあったのよ。今日、わたしは昇進したの。なのにお母さんは、わたしに牛乳を買いに行かせるなんて。なんて母親なの?」
すると、母はわたしにいいました。
「あなたにひとつだけ、説明させてちょうだい。あなたはペプシコの社長かもしれない。役員かもしれない。
けれど、一旦、この家に戻ってきたら、あなたは妻であり、娘であり、義理の娘であり、母親なの。それがすべて。他の誰も、あなたのかわりをできる人はいません。
社長だなんだという、そんなしょうもない王冠は、車庫においてから、家に入りなさい」
決して美談とはいえないエピソードだが、インディラは、母親が心の奥底で、いかに自分のことを誇りに思っていてくれたかがよくわかる出来事だったと、述べている。
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女性が社会に出て、働くということに関しては、本当に、一筋縄ではいかないさまざまがある。人それぞれに、それぞれの境遇のもと、社会と関わり合う。
語るに尽きぬ、テーマだ。
■ペプシコのCEOに。出色のインド人女性、インドラのこと。2006/08/14
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