インドに来て翌年のクリスマス、2006年に買ったクリスマスツリー。
コマーシャルストリートの近くにある、サフィナプラザで。
インドに暮らす日本人の多くは、異口同音に言う。
インドには、クリスマスムードがない、と。
日本人が思うところのクリスマス。
信仰なき人々による、
クリスマスに便乗した過剰な商戦、お祭り騒ぎ。
それは、確かに、ほとんど見られない。
ましてや寒くもない。
クリスマスソングも、あちこちで、流れない。
ただ、それをして「不服に思う」のは、少し筋が違うと思う。
ましてや、「インドは欧米化が遅れている」などと言うことばは、
言い控えた方がいいだろう。
2011年の国勢調査によると、
インドのキリスト教徒は、ヒンドゥー教80.5%、イスラム教13.4%に次いで3位。
2.3%。少なく思われるだろうけれど、人口にして約2,400万人だ。
この国のキリスト教はまた、その歴史が、とてつもなく古い。
中でもインド南部のケララ州に多いシリアキリスト教(Syrian Christian)は、
西暦52年に、キリスト十二使徒の一人であるトマスによって、
伝道されたとの説もある。
使徒トマスといえば、「最後の晩餐」にて、
キリストの左横で人差し指を立て、
「裏切りものは一人ですか?」という仕草をしている彼である。
彼自身が、インドに来ていたかもしれない、と言われているのである。
それが真実ではないにしても、遅くともケララでは、
2、3世紀のうちに多くのキリスト教共同体が創設されていた。
わたしの歯科医はシリアン・クリスチャンであり、
いかに古く伝統的なキリスト教徒であるか、
そしていかに自分たちが、スーパー・ノンヴェジ、
すなわち「肉料理が好きか」ということを、
熱く語ってくれるのだった。
他にも、インド各地に、実にさまざまな宗派のキリスト教信者がいる。
夫の親戚が結婚した相手も、
ゴアを拠点とする「東インド・クリスチャン」であり、
昔ながらの教会で、
荘厳な結婚式を挙げたのだった。
我が家の旧メイドのプレシラも、
現メイドのマニも、
そして新旧複数名のドライヴァー、アンソニーも、
その名から察せられる通り、
皆、クリスチャン。
毎週日曜日には教会に礼拝に出かける。
プレシラは、祝祭の時期、約1週間に亘って、
サーモンピンクのサリーに身を包み、
毎日、仕事を終えたあとの礼拝に訪れていた。
現ドライヴァーのアンソニーは、
毎日聖書の一節がSMSで送信されるよう、
何らかのアプリケーションを使っていて、
毎日、その一節を心に刻みながら、
日々を過ごしている。
みな、それぞれの宗派の教えに従い、
敬虔に信心深く、
クリスマスもまた、過ごすのである。
ちなみに日本にキリスト教を布教しに来たフランシスコ・ザビエル。
1549年(いごよくくる)にやってくる前に、
彼はインドのゴアへ、1542年に訪れていた。
日本からインドへの帰り道、彼は中国で死亡し、海岸に埋葬されていたのだが、
翌年、発掘されて、ゴアに移された。
腐敗することなくミイラ化した彼の遺体は、
ゴアのボン・ジェズ教会に安置されており、
実は今年、10年に一度の棺の開帳が行われている。
わたしも11年前にゴアを訪れた際に、
遠目から棺の中の彼を見た。
(2003年12月@ゴア。一番下の写真の上段に、フランシスコ・ザビエルの棺がある)
この国の歴史の深さ、広さのごく断片に触れて、
気が遠くなるような思いがしたものだ。
バンガロールに移住以来、我が家の御用達でもある小さなスーパーマーケット、
Thom's Bakery。
まさしく、クリスチャン経営のお店では、
春にはイースターエッグが店頭に並び、
バラの形のローズクッキーが並び、
クリスマスには、毎年同じようなクリスマスケーキ、
そしてドライフルーツがたっぷりのプラムケーキが並ぶ。
この国の、この土地の、
クリスチャンの伝統が、
時代がどんどん流れても、
先進国の言う「洗練」が流入しても、
なお大切に引き継がれて、ハレの日を彩っている。
この国らしさ。この土地らしさ。
異国の価値観に振り回されるだけではない、
守られるべき宗教観や習慣が、
残っていることに対する敬意を、
束の間、住まわせてもらっている
我々異邦人は、慎んで持つべきであろう。
この国のクリスマスに異論を唱えるでなく、
異教徒は異教徒のやり方で、楽しみ方で、
楽しいクリスマスホリデーを、過ごしたいものである。
信仰心浅い我が家もまた、
我が家なりの楽しみ方で、
2014年を締めくくろうと思っているところだ。
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