手みやげにと、またしてもスポンジケーキを焼き、フルーツや生クリームでレコレーションをして、持参したのだった。
いつものニルギリーズの生クリームに、今日は少し多めに無精製のオーガニック砂糖を。それにラム酒(インド産のOLD MONK)を加えて、ほの甘い香りを添えた。
カステラの切れ端ならぬ、スポンジケーキの切れ端に、生クリームやフルーツの残りを盛りつけて、豪華に、お味見。しばらく置いた方が、スポンジがしっとりとして美味なのだが、これはこれで、ふわっと新鮮。おいしい。
我々夫婦の、インド系の友人の多くは、NRI。Non Resident Indian。インド系の血を持つ、しかし生まれ育った故郷は欧米を中心とする先進諸国。
我が夫アルヴィンドもまた、大学から米国に進み、米国の企業に籍を置き続けて来た。一時は、インド国籍を捨て、米国の市民権を取得しようとしていた時期もあった。そこには、ひと言では語り得ない、さまざまな事情がある。
わたしは、日本国籍を捨てるつもりはなく、グリーンカード(米国の永住権)や、インドのPIOカード(インドの永住権)を取得できているだけで、十分に満足しているが、アルヴィンドとわたしとでは、諸々の事情が、違う。
今回、招いてくれたセイジェルは、ニューヨークに生まれ育ったインド系米国人。米TIME社インドオフィスのヘッドとして働く才媛。2児の母でもある。
その夫、ムクールは、我が夫と同じくプライヴェート・エクイティ投資の仕事をしている。彼はインドで生まれ育ち、やはり我が夫と同じく大学から米国に進学。その後、米国の市民権を得た米国人だ。
もう一組は、夫のMIT時代の友人夫婦。二人とも、パンジャブやグジャラートあたりを故郷とするインド人の両親のもと、米国で生まれ育った米国人だ。バンティは印ゴールドマン・サックスのCEO、その妻のチャロは医学博士。無論、4児の育児に追われている現在は仕事を休んでいるようだが。
今回の会合の目的は、セイジェルがアルヴィンドとバンティへお礼をしたいから、というのが名目であった。一昨年から今年にかけて、夫はアスペン・インスティテュートに在籍してさまざまな活動をしてきたが、一昨年、夫を推薦してくれたのが、バンティだった。
そして今年、アルヴィンドがセイジェルを推薦したところ、彼女が選出され、すでに数回の会合に参加して非常にいい経験をしていることから、感謝を込めて、ということらしい。
ちなみにムクールは、アルヴィンドと一緒のタイミングで推薦されていたが、選出されるに至らず、今回は妻が選ばれた。
「伴侶も同行できるイヴェントはないのかい?」と、アスペンの話で盛り上がっている面々を前に、ぼやきつつも笑いながら、おいしいワインやチーズ、生ハムなどを勧めてくれる。
心地のよいソファーに腰かけ、みなでゆったりと語り合いながら、彼らの半生に思いを馳せるとき、思い出すのは、ジュンパ・ラヒリの小説。
彼女の描く世界の大半は、コルカタに起源を持ち、米国東海岸で生まれ育ったインド系米国人が主人公だ。
最初に彼女の小説("Interpreter of Maladies" 邦題『停電の夜に』)を読んだときには、不思議なシンパシーを感じたものである。
次の作品、"The Namesake" (『その名にちなんで』)は映画化され、わたしの好きな俳優、イルファン・カーンが主人公を演じている。
彼女の作品は、時間がかかってもゆっくりと、英語の原本を読みたいと思っているのだが、数カ月前に日本へ一時帰国した時に、上の写真の2冊は取り寄せて購入した。日本語訳がとても自然で、彼女の世界がすっとやさしく、日本語の心にも染みて来る。
Anyway,
わたしが、異郷に育ったインド系の人々の有り様に関心を持ってしまうのは、アルヴィンドを含め、彼らが持つ独特の世界観にも、あるだろう。
日本に生まれ育った自分自身の成長過程においては、決して育まれることのなかった、地球をぐるぐると周り続けて来た人たち特有の、軽やかさと束縛とが一体となった歴史が、日常生活に溶け込んでいるから、かもしれない。
抽象的な表現となってしまうが、ともあれ。
わたしの深層心理には、多分、そのような生活文化に対する憧憬のようなものがあり、更には、彼らの優秀さ。自ずと培われているアカデミックな環境と、そこからは、なかなかこぼれ落ちない怜悧な人々。
無論、ジュンパ・ラヒリの小説には、こぼれ落ちてしまった者の痛ましさも描かれてはいるのだが、そこがまた、彼女の作品の魅力でもあり。
描かれる人々の人生には、「冷たい寂しさ」と「静かな温もり」とが同居した、独特の戸惑いのようなものがある。
それはまた、遍く人々の人生にも、当てはまることではあろうけれど。
「今日のディナーは、趣向を変えて、ミャンマーの麺料理にしてみたのよ」と言いながら、サーヴしてくれるセイジェル。
彼らはみな、近い将来、米国へ帰るのだという。戻る場所は、インドでは、ない。無論、そういいながら、7年、8年と、バンガロールに住み続けているNRIの友人も少なくない。
選ぶ余地があるからこそ、迷うこともある。我々夫婦にしても然り。
NRIの彼らを見ていると、アルヴィンドにとっては果たして、インドでの暮らしを続けてきたことがよかったのだろうか、と思うこともある。あのまま米国に住んでいれば、あるいは数年前に米国に戻っていれば、今よりももっと生き生きと、仕事を楽しめていたのだろうか、とも、思われることもあり。
この際、わたし自身のことは、さておいて。
選べるのは一つの道だけ。
選んで、選んで、選んで、選んで、選び続けて来た果てに歩いているこの道は、誰に強いられたわけでもなく、すべては自分の選択の結果。その自覚を忘れてはならない。自分の選択に、責任を常に負いながら、歩き続けていく。
背筋を伸ばして、歩き続けていくしか、ない。
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