昼間、日用品などを調達にコマーシャルストリートやHome Stopなどに赴く。久しく低気圧に覆われていたバンガロールも、ようやく夏めいて来た。
まばゆい日差しを除けながら、しかし天空を仰ぎ見れば、澄み渡る青と、新緑の緑と、舞い飛ぶ鳶。果てしなく、自由な心持ちになり、気分が高揚する。
ランチは久しぶりに、コマーシャルストリートのKFCに立ち寄った。お気に入りのZinger Burgerを頼もうとメニューを見上げれば、内容が刷新されている。Zinger Burgerのセットも増えている。チキンバーガーに加え、フライドチキン1ピースとフライドポテト、チョコレートバー、それにペプシコーラ付き(149ルピー)というものが登場していた。早速注文。
日頃、夫には「健康的なものを食べるように」と厳しい指令を出しているくせに、自分はたまに、ジャンクフードを食べたがる。
そしてこっそり、食べている。
久しぶりに食べるとこれがまた、おいしいのだ!
店や作り手によって、レタスの具合やマヨネーズの分量が異なるなど、程度の差はあるものの、概ねおいしい。
ぴりっとスパイスが利いた、香ばしい揚がり具合もなかなかによい。
ペプシコーラを飲むのも随分久しぶりのことだ。脂っこいチキンバーガーやポテトと妙に合う。
その後、Home Stopでインテリア用品をあれこれと眺め、T-Falのお気に入り鍋を追加購入。それからテイラー(デザイナー)のところへ、数種類の衣類及びサリーのブラウスを作ってもらうべく、出かける。
自分に合ったサイズの衣類を手軽に作ってもらえるのは、インドならでは。面倒くさがらずに、今後はもう少し頻繁に、テイラーへ赴き、自分の体型にぴったりと合った服を作ってもらおうと思う。
OWC (Overseas Women's Club)の会員だが、自ら仕事をしているため毎週木曜日のCoffee Morningに出席できない女性たちは少なくない。そんな働く女性たちのネットワークづくりの場として昨年誕生したPWG (Professional Women's Group)ではあるが、存亡の危機状態である。
みなが忙しすぎて、月に一度の会合に参加する人が少ないのだ。
今日は、英国拠点のインターナショナルスクールの組織を運営する男性、リチャード・タンギー氏によるレクチャーだということで、関心を持つ人は少なくないだろうと思われていた。しかし集まったのは、ホストとなってくれたモニカを除いてわずか4名。
母国を離れて教育を受ける子供を持つ親にとって、非常に有意義なミーティングとなることは、事前の案内文からでも十分に察せられたのだが、これほど少ないとは残念でならない。
尤も、人数が少なかったからこそ、タンギー氏の話を聞きながら、参加者がそれぞれ意見を交換し合え、つまりはリラックスした談話会のような雰囲気で、個人的には非常に楽しかった。
若い頃から世界各地を転々とする仕事を続けていたタンギー氏は、自ら4人の子供を異なる国で育て、現在も妻とは英国、オーストラリアと別々に仕事を持ち、離れて生活をしている。
実はEmbassyというバンガロールの不動産開発会社が、近々バンガロール郊外にインターナショナルを建設予定で、リチャードとモニカはそのプロジェクトに大きく関わっている。
無論、PWGの会合は、個人的なビジネスのアピールをする場ではないという条件から、今夜のレクチャーの主旨は「海外における教育」というテーマで行われた。
20歳で初めて米国を訪れてカルチャーショックを受け、将来への方向性を大きく転換したわたしではあるが、それまでは国語の高校教師を目指していた。今でも、教育というテーマには関心がある。
自分たちに子供がいないこともあり、教育に関してを率先して書くことはないが、思うところは非常に多い。そんななか、タンギー氏の話には、頷かされることが多かった。彼の話の断片を拾い上げ、わたしなりの解釈でざっと以下、記したい。
世界各国の子供たちが集う教育の場において、大切なことは……
- 自分たちの国、もしくは自分たちそのものの倫理観というものを、表現する力(語学力、討論力)をつけること。
- 異なる文化を持つ人々を、理解すること。受け入れられなくてもよいから、理解するようつとめること。
- 第二、第三外国語を学ぶと同時に、母国語をおざなりにしないこと。自らのルーツを重んじること。
- リーダーシップを育むこと。誰もが、どこかで、リーダーシップを発揮せねばならない場面に出くわすことを自覚すること。
- 高速度で変化している現在の世界。国籍を、国境を超えて、多くの人々が入り交じる中、よりいっそうの競争社会となる。その社会に対応する力を育む。
- 知識不足に気づくのは、学んではじめて、である。学べば学ぶほど、学ぶべきを知る。
- たとえば、地理は地理、歴史は歴史と、科目は分断されている。しかしそれらはつながって然るべき、共有すべき部分を大いに持っているにも関わらず、古くから教育の現場では、科目ごとに教師が、別々に教授する方法がとられ続けている。
……何より、わたしが賛同したのは、「親の教育の必要性」である。
海外で暮らすための心構えや在り方を、まずは親が学ばなければ、どうして子供が学べよう。
親が広い視野を持たずして、偏った価値観の中で自国の文化や習慣を絶対とし、住まわせてもらっている国に対して、あるいは他国の人々に対しての歩み寄る姿勢や敬意をなくして、どうして子供が異文化の中での自分を、寛大なる心を、育んでいくことができよう。
この件に関しては、「流れ落ちる滝の如く轟々と」言いたいことが山とあるため、その一部に関して、わたしからもコメントを言わせてもらい、親が学ぶことの重要性を力説した。
それにしても、教育をテーマに書くのはたいへんだ。教育とは離れるが、「国際化」をテーマに、思いの一端を綴った過去の記録があるので、この記録をお読みいただければと思う。
なお、個人的な関心から、タンギー氏とモニカには、新設される学校の詳細を尋ねた。非常に興味深い。開校の暁には、見学及び取材に伺わせてもらうことにした。
高度経済成長に伴い、急増する外国人駐在員とその家族。もちろんバンガロールだけでなく、インドの都市部では海外子女を受け入れるインターナショナルスクール、それも良質の学校が不足しているであろうことは、十分に察せられる。
同時にスクールの運営が「ビジネス重視」「利益優先」となっているところも、少なからずありそうだ。
子供の学校の問題で頭を抱える駐在員家族は多い。どんなにか、たいへんであろうかと想像される。しかし、わたしがそれを口にしたら、タンギー氏はすかさず返した。
「確かに大変だけれども、子供の存在によって親のネットワークが広がります」
「子供を通して、子供なしでは得られない経験を得られるのです」
「親自身が間接的に教育を受けて、強くもなるのです」
おっしゃる通りである。
教育に関しては、他のテーマとは異なるより真摯な視点から、少しずつ取り組んでいきたいと、改めて思った。