●この国の、ひとことでは語り尽くせぬ入り交り
日々のこの記録は、立て板に水のごとく速やかに綴れるのだが、仕事となると当然ながら話は別である。さまざまな資料を読み込んだり、構成を考えたりせねばならず、書き出すまでに時間がかかる。
今月号の西日本新聞のコラムを書くべく、金曜の午後は時間をあけていたのだが、いつまでたってもだらだらと集中できず、夕方、外出前の1時間ほどでようやく頭が整理できた。それでもまた、二度三度の大幅な修正が必要で、完成していない。
自分でテーマを決めておいて言うのもなんだが、テーマがテーマなだけに、筆が進まないのだ。
ここ数カ月、インド経済を牽引する財閥について書いてきた。一回目はタタ、二回目はリライアンス、そして今月三回目はビルラに加え、その他中堅財閥について触れ、財閥を構成するコミュニティについて記している。
調べながら、書きながら、なんと一筋縄でいかない国だろうと改めて思う。インドには宗教別の、あるいはカースト別、地方別のコミュニティがあり、それらが複雑に入り組んで存在している。
ビジネスの才覚に長けたコミュニティでも有名なのは、ラジャスタン地方の商業コミュニティであるマルワリ。わずか二回で頓挫している「十億分の一のインド」で登場した茶店経営者のガウラヴがマルワリだということに触れているので、ご記憶の方もあろう。
このほかタタ財閥は、ペルシャ(現イラン)を起源とするゾロアスター教徒(パルシーと呼ばれる)のコミュニティ出身者によって成り立つ企業であるし、リライアンスはグジャラート地方出身の商業カーストを起源とするグジャラティのコミュニティが核となっている。
無数の価値観が混沌と入り乱れ、共存しているこの国。それは米国の、たとえばニューヨークの混沌をはるかに凌ぐ濃厚さである。にもかかわらず、一つの国としてまとまっている、いや、まとまっていないにしても、一応は国として存在していること事態が驚異とさえ思える。
もりだくさんの神様に、牛を敬うヒンドゥー教徒。
コーランの響き女性は黒衣をまといイスラム教徒。
十字架にマリア、ジーザスに祈るはキリスト教徒。
ターバン巻いて少数派でも存在感あるシーク教徒。
それが生まれた国なのに信者はごく少なく仏教徒。
蚊さえ殺さぬ究極ヴェジタリアンなジャイナ教徒。
いまだ鳥葬するらしき沈黙の塔ゾロアスター教徒。
宗教だけでもこうなのだ。これに地方ごとの習慣や言語の違い、禁止されているとはいえ残り続けるカーストの差異、職業の違い、その他諸々の基準が入り乱れて混在し、一つの国として在る。
同時に、過激な貧富の差、腐敗に拍車がかかる政治、不安定な経済成長……。ネガティヴで不条理な側面は、挙げればきりがない。
しかし、そんなややこしい国だからこそ、あらゆる面において「し甲斐がある」と、言えなくもないだろう。
誰もが、何かを成し遂げられる国ではない。だからこそ、働き甲斐があり、住み甲斐があり、挑戦し甲斐があるのかもしれない。そうでも思わなければ、やっていけないかもしれない。
● そして今日は、インド版結婚7周年記念日であった。
あの蒸し暑いデリーで、初めて訪れたインドで、わけのわからぬ結婚式をやり遂げてから7年が過ぎた。
夕刻、夫が予約を入れておいてくれたINDIGOへと出かける。このごろは自宅で手料理が続いていたので、久しぶりの外食だ。
わたしは、特別の日に飲みたくなる定番のクラシック・マティーニを、夫はブラジルのカクテル、カイピリーニャを注文。カイピリーニャは以前、ラグヴァン博士が作ってくれて、その名を覚えた。
サトウキビがベースのスピリッツには独特の風味があり、しかしライムの香りが爽やかな、暑い季節にはぴったりのカクテルだ。
サラダにビーフ、パスタなどを注文して、いつものようにシェアしながら味わう。
そして最後は、この店おすすめの焼きたてスフレ。
本日はグランマニエのソースであったが、これが絶品。
ふわふわとあたたかい、ミルクと卵の風味がやさしいスフレに流し込まれた、グランマニエの甘く芳醇な香りがたまらない。
最後にエスプレッソで締めくくり、至福の夕餉であった。
●ご近所を探訪をする土曜の午後
土曜日だとはいえ、夫はデスクでレポートをまとめている。モンスーンの晴れ間の午後、わたしは買い物を兼ねて外に出る。
ムンバイと言えば暑いのだろうと思われそうだが、最近はそうでもない。最も暑い時期は5月ごろだったのではなかろうか。モンスーンのおかげで気温は下がり、多分、30度を数度超える程度だと思う。
無論わたしは暑さに強いので、さほど暑いと感じないだけで、実は結構暑いのかもしれない。
湿気も1カ月前よりはかなり落ち着いた気がする。このごろはジーンズがピチピチしない。いや、ピチピチが不快でジーンズを履いていないだけだった。
このアパートメントは風の通りがいいので湿気をさほど感じないのかもしれない。とはいえ、バンガロール宅に比べればかなりである。それはお肌の調子によってもよくわかる。
バンガロールでは化粧水のあとにモイスチャライザーを付ける必要があるが、ここではそんなものを付けようものなら脂ギッシュになってしまい、それだけで暑苦しい。
朝晩ローズウォーターのローションだけしか付けていなくても、目覚めたときには顔がテラテラとしている。ムンバイにいるほうが、毛穴が力一杯開いているので、シャワーの最後に冷水を浴びて全身を引き締めるようにしている。
それにしても昨今の、日本の婦女子の、毛穴の忌み嫌いぶりは尋常ならないと思う。インターネットを見ているだけでも、その傾向がわかる。蝋人形にでもなりたいのか、という話しだ。
毛穴のこと以外にも考えることはあるだろう。いや、毛穴のことしか考えていないわけではないだろうが。
以前訪れたときには日曜日で閉まっていた商店街が今日は開いていた。
前々時代的な、古びたアーケードで、裏寂れたムード満点なのであるが、なかなかに便利である。
酒屋に薬局、DVDショップ、クリーニング店、文房具店、衣料品店、雑貨店、花屋、宝飾品店などが並んでいる。
徒歩5分圏内にこういう商店があるのはありがたい。どんなに廃れて寂れたムードでも、それはそれだ。
バンガロールでは徒歩で買い物に出かけるということがまずない。日用品や食品の買い出しという点においては、ムンバイの方がかなり便利であると思われる。
来週はバンガロールに帰る予定だったが、結局来週の金曜まで、ムンバイで過ごすことにした。バンガロール生活の比率が、ムンバイ生活よりもかなり短くなることは間違いなさそうだ。いろいろと揃っているのはバンガロール宅なのだが。
小さく、いや、かなり大きく、複雑な気持ちである。
ムンバイは、エンターテインメントが充実していると聞いていながら、どこのシアターにも足を運んだことがなかった。
ニューヨーク時代のご近所、ブロードウェイのシアターやホールのことを思い浮かべてはいけないと思いつつも思い浮かべてしまい、そういう観劇関係は、半年に一度の渡米時にまとめてしまえばいいのだという思いもあった。
とはいえ、ムンバイならではのものを見てみたい。インドならではの古典芸能なども見に行きたい。
かくなる次第で、夫がナリマンポイントのオフィスのすぐそば、オベロイホテルの向かいにあるNCPAというシアターで、演劇のチケットを買って来てくれていた。
"Me Kash & Cruise"というお芝居である。
主人公は若い女性1名、男性2名。
そして脇役でさまざまな役をこなす男性1名。
20年前から10年前にかけてのムンバイが舞台。
演劇、映画俳優を目指す男女三人が、変貌を遂げるこの街の、さまざまな宗教が入り乱れ、将来を考察し、テロが起こり、貧富の差はあらわで、欧米かぶれの、一方でこてこてにインド的の、いくつもの言語をあやつり、共存し……。
日常的にこの街で起こっていることが、演劇の中で凝縮され、再認識させられたようで、やさしく見応えがあった。
それにしても、抜群だったのは脇役の男性。どことなく「ナン男」な竹中直人を彷彿とさせる人で、あるときはポリスマン、あるときは祭司、あるときは欧米かぶれのビジネスマン、あるときは食堂の給仕、そしてあるときはカウンセラーと、その役柄を見事に演じ分けていた。
なによりも驚いたのは、こてこてのヒンディー語しか話さず、そぶりそのものも、まったく洗練されていない給仕の役柄を、まるでそのあたりの食堂にいるおじさんそのものの風情で演じた後に、アメリカ英語を駆使して、気取った物腰で話をする映画プロデューサーとして登場したときの、その雰囲気の違いである。
うまくいえないが、同じ人間が、これほどまでに異なる職業、階層、コミュニティの役柄を演じきれることに、驚いた。なにしろその差異は、あまりにもインド的なものの中にあるもので、だからこそ「特殊な印象で持って驚嘆した」のである。
以前、わたしは書いたかと思う。ここに暮らしていると、自ずと人の階級や職業の様子を区別できるようになると。その区別の境界を軽く超えて、一人の人間が演じていることに、驚いたのだ。
ここで文章でもってうまく説明することはできない。
見えているものにばかりに頼ってはならないと、自戒させられるほどに、インパクトがあった。あの俳優の演技を、また見てみたい。
●価値観など。軸はぶれてばかりだ。
遅めの夕食をとろうと、ご近所のTaj President Hotelへ。
このホテルにも数カ月滞在していて、お気に入りだったタイ料理レストラン"Thai Pavilion" の食事も食傷気味となっていたのだが、雰囲気もよいことだしと、久しぶりに訪れた。
土曜の夜、店内は込み合っていて、カウンター席のみ。
しかし、顔なじみのウエイターが、我々の好みを覚えていて、塩分スパイス控えめの味付けを確認してくれる。
料理人たちが調理する光景を眺めながら、料理を待つ。非常に清潔感のあるキッチンで、それだけでも気分がよい。
エントランスからは、サングラス、バッグ、ベルト、靴……。高級ブランドのファッションで身を固めた人々が、次々に入ってくる。
思えば、昨日のINDIGOの前に停められた車、シアターの前に停められた車もまた、印象的だった。
メルセデス、メルセデス、ヴォルヴォ、ホンダ、ホンダ、ホンダ、メルセデス、メルセデス、トヨタ、ヴォルヴォ、メルセデス、ホンダ、トヨタ、ホンダ……といった顔ぶれ、いや車ぶれ、である。それらが、集中する場所には、集中している。
高級ホテル、高級アパートメント、会員制クラブ、高級レストラン……。
インドでは、特にムンバイではホンダは高級車としての位置づけで、メルセデスやヴォルヴォに及ばないものの、その二番手につけている。
アコード、シヴィック、そしてシティ。アコードがたいそうな高級車に見えるのだ。
何が書きたかったかといえば、もうよくわからない。この街に暮らしていると、物事の価値を定める自らの尺度がぐちゃぐちゃになって、なにがなんだかわからなくなる。
価値観の、軸がぶれぬようにぶれぬようにと、努力したところで無駄だとすら思えるときもしばしばで。
なにがなんだかわからない毎日だが、取りあえずは、バトルを展開しつつも夫とともに、幸せな感じで暮らせていけることに感謝である。と、結婚記念日につき、強引に円満に締めくくるとする。