一体全体、どれ程、眠っていただろう。
目覚めたら、懐かしい顔の御婦人が、俺に触れていた。鍵を持って隣に立っているのは……。ああ、思い出した。此の店の主人だ。
御婦人は、英語を話してはいるが、間違いなく日本の奥方であろう。頻りと俺の文字盤の、"Made in Japan"のあたりを、眺めている。
「もともと、所持者は15000ルピーで売りたいと、おっしゃっていたんですよ。でも、この通り。何年も売れないままですからね。ついには6000ルピーまで、値下げを交渉した次第で。お買い得ですよ」
……何て事だ! 俺が眠っている間に、そんなにも価値が落ちていたとは。
おい、主人よ。真鍮の燭台やら、木彫りの象やら、他の有象無象らと十把一絡げで、埃っぽい店頭に俺様を晒したきり、碌に磨きもせず、これじゃあ、誰も買わぬのは当然だ。
「6000ルピー、高すぎませんか? 百年もたっているなら、もう動かないかもしれないし、買ってすぐ壊れたらいやだし……」
「では、5000ルピーでいかがでしょう。ほら、ちゃんと動いていますし、鐘だってなりますよ。お聞かせしましょう」
「もうちょっと、考えてみます。どうもありがとう」
ちょっと待って呉れ、日本の奥方! 俺は今でもちゃんと動くぞ!
それにしたって、何て騒がしい往来なんだ此処は。二輪自動車、三輪自動車、四輪自動車、埃を撒き散らして全く。此の国の、此の混雑の有様ってのは、昔から少しも変わっちゃいないな。
俺が極東の島国、日本で生まれたのは、明治30年ごろだったか。西暦で言えば1897年って処か。そうだ。20世紀を迎える間際のことだ。精工舎が、掛時計を初めて世に出したのが明治25年。3年後には、海外輸出を始めた。俺は輸出組として製造されたって訳だ。
長い長い船旅の末に辿り着いたのは、英国の港だった。やがて倫敦の時計商に買い取られた。英国製は勿論、独逸製、仏蘭西製の掛時計と並んで飾られ、俺様も随分と得意だったものさ。あの店主は俺たちを、実に丁寧に扱って呉れたものだ。
あれから、いくつかの家族に引き取られ、時を刻み続けてきたのだが……。新しい時代の、新しい時計が世界を席巻し、動かすのに手間がかかる時計は、相手にされなくなってしまった。
それにつけても、此処は夜更けまで賑やかな処だ。
……。朝だ。未だ動いている様だな、俺は。無論、あと数時間もすれば再び、深い眠りに就くことになるだろう。
おや? あの日本の奥方は、昨日の奥方ではあるまいか? こちらに向かって来るぞ!
「やっぱり、この時計、買うことにしました。5000ルピーですよね」
俺を買って呉れるのか!
「何か、持ち帰るための箱はありますか?」
「ないんだなあ。このビニル袋に入れてくれ。あ、ちょっと待って。発泡スチロールがあったはずだ。探してくるよ」
どうした店主だ。埃まみれのゴミ袋に、俺様を放り込む気か。まあ、何れにしても、今日が最後だ。
「ときに奥様。ドイツ製の掛時計があるんですが、見て行きませんか? すばらしい音なんですよ!」
おやじ! 余計な口出ししやがって! ボンボン時計の俺様よりも、ウエストミンスターだか何だかの鐘の方が、いい音に決まってるじゃないか。奥方の気が変わったらどうして呉れるんだ!
「わあ! すばらしい音ですね! これはおいくら? 6000ルピー。これもいいなあ。でも、わたしは、この時計の外観が好きだし……、それにわたしと同じでMade in Japanだから、これを買います」
嗚呼、何と言う幸福!
矢張り、奥方は日本の御婦人だった。百年振りに、祖国の人の手に渡るとは。人生、何時、何が起こるかわからぬものだな。
生きていて、良かった。