■映画を見に行くその前に、久々のドサ
日曜日の今日は、義姉スジャータとラグヴァンと4人で映画を見に行くことにしていた。チケットは電話で予約し、チケットそのものを自宅に配達してもらっていた。すでに席も決まっていて、だからチケット売り場で並ぶ必要も、席を選ぶ必要もない。こういうところはインドのよきところである。
1時の上映を前に、ブランチを食べて出かけることにした。本日は、夫の熱意に押されて「ドサ」を食べに。米の粉で作られたパンケーキ的ドサは南インドの名物であり、バンガロアにはおいしいドサを出す店が多いようだが、実は移住以来半年間、本気のドサを食べる機会を逸していた。
妹が来たときにも「行きたい!」と言われたのだが、やはり行くチャンスのないままであった。本日訪れたのは、かつてオートリクショーのドライヴァー、ラルに教わった店である。
スジャータたちもここに来るのは十年ぶりとのこと。他にもMTRとかいう超人気店があるが、スジャータたち曰く、油っこくてへヴィー過ぎるらしい。ギーを多用しているのが理由らしい。
さて、ぱりぱり香ばしいドサの、わたしはプレーンを食す。スパイスの利いたジャガイモを巻き込んでいる「マサラドサ」が人気だが、なにしろスパイス敬遠週間なのでね。あとグレープジュース。夫はマンゴージュース(またかい!)。美味なるランチであった。
■予防接種、不要。……?
インドに長期滞在する駐在員及びその家族は、出発前に母国で各種予防接種を受ける。ということは知っていた。しかしわたしは、1本たりとも打たず、現在に至る。
「夫の祖国に住むっていうのに、予防接種なんて不要。」
という、それは潔さである。というか、面倒だったってこともあるんだけどね。
第一、予防接種で余計に具合が悪くなるかもしれないし、あれはしょっちゅう(年に一度?)打たなければ効果はないみたいだし、今後、永住するかもしれんことを考えると、自らの免疫力を高める方が先決であるとも考えたわけだ。
お腹を壊すとか、熱を出すくらいは、あるかも知れぬが、それを乗り越えてこそのインド在住であろう。
ところが先日、エミさんと話していて、エミさんですら、打って来ている、しかもたくさん(合計5本だっけ?)打って来ていると知り、ちょっとたじろぐ。エミさんですら、という言い方もないが、彼女はニューヨークから来ているし、数カ月に一度は米国に戻るというし、なんとなく身軽にインドに来ているという印象があったのだ。
いや、予防接種をしたから身軽ではない、というわけでもないのだが。思えばショーンは駐在員で、エミさんはその夫人だし、「きちんとしていて」当たり前なのかもしれない。
やっぱ、わたしも2、3本くらい、打っておくべきなのかなあ。でも、アルヴィンドはもちろん、スジャータもラグヴァンもロメイシュもウマも、だれもそんなもの、打ってやしないものねえ。インド人だし。
どうしたもんだ。という疑問を本日、スジャータ博士、ラグヴァン博士に問うた。案の定、答えは「不要」。だった。
予防接種には副作用のあるものもあるし、わたしのように長期間暮らすとなると、頻繁に接種することになり、それはむしろ身体に負担をかけるとのこと。一時的な駐在員家族は別だろうが、わたしは打たずともよい。との判断をくだされ、安心した。
「熱が出たり、下痢をするくらいのことはあったとしても、それはそれだしね」
と、野生児なラグヴァン博士の言葉に共感。
「マラリアなんかはもう、運だしね」
それもそうなのだ。マラリアの場合、免疫力云々の問題じゃないからね。アルヴィンドはもう2回やってるし、ラグヴァンの歯科医は7回やったっていうし。一方、スジャータとラグヴァンは未経験だし。
ただし、水には注意すること、と念を押された。店で出される水は飲まない(ボトル水を注文)。露店の果物などを食べない(トウモロコシは大丈夫よ)。野生児的スジャータだが、野菜や果物のクオリティにはこだわり、しっかりとした洗浄を勧める。わたしがラッセルマーケットで果物の味見をしてから購入している旨、告げたら「それは……」と絶句していた。
なにしろナイフに雑菌がついていることがあるからね。切り目を避けて味見をすればいいわけだ。あとみかんやぶどうなんかは、皮をむけばいいからね。過信して痛い目に遭わないよう、今後、気をつけたい。
考えてみれば、この半年間、コラマンガラのモールの最先端映画館で、超大画面の映像に酔って具合が悪くなった以外、何ら体調を壊したことはないのだから、まあ大丈夫なのだろう。
この調子で免疫力を高めてゆこうと思う。
■『Munich』を観た。
さて、本日鑑賞した映画は『ミューニック(ミュンヘン)』である。1972年のミュンヘンオリンピックで起こったテロを素材にした、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画だ。映画の概要などは、こちらのサイトなどをご覧いただきたい。
映画のコンセプトを鑑みるに、あらかじめ予習が必要であろうと思い、このようなサイトで予備知識を得ておいた。得ておかないと、理解できない部分がある映画であった。
ひとつひとつのシーンが、緊張感に満ちていて、痛ましい。殺戮、流血シーンが苦手なわたしには、本当に辛い映画ではあったが、ストーリーとして観ておきたいと思える映画だったので、気合いを入れて見に行ったのだった。
なのに、だ。わたしの隣にずらりと並んだインド人一家総勢6名程度。笑えないところで笑うのだ! テロ実行犯らの、切羽詰まった状態でのジョークや軽口は、むしろ痛みで悲しみで、笑えるものではない。
なのに、隣でも、背後でも、いちいち笑うのね。しかも大声で。確かに本当に笑えるところは数カ所あったけれど。
阿呆なボリウッド映画ばかりを観ているから、映画館で笑い癖がついているのか、と厭味の一言でも言いたかった。夫も憤慨していた。
あるいは、テロ慣れしている国民性故、切羽詰まった殺人すらも「お笑い」となる、あるいは達観、大らかさ、なのか。神妙に観ている我々がむしろ、滑稽なのか。
コメディ、という視点で見ると、確かに、滑稽だ。テロの首謀者たちを見つけ出し、「四苦八苦して殺し続けてゆく姿」は、滑稽と言えなくも、ない。
どこまでも続いて行く殺し合い。あまりにも露骨な暗示の、最後のシーンのマンハッタン摩天楼。
「笑い」の効果により、別の側面からの見方を余儀なくされ、複雑な気持ちにさせられた、映画鑑賞後であった。