どうでもいいと言えば、どうでもいい話だが、かなり衝撃的だったので、書く。今日、ボリウッドダンスのクラスが始まる前、先生(青年)と話をしていたときのこと。
「あなたの顔は、日本の伝統的な踊りの……顔に似ていますね。白い顔の……」
「伝統的な、踊り……? 白い顔って、あの、マスクを被ったやつ?」
「そう。丸くて、白くて、目がすーっとして……いつも思ってたんです。とても、日本的な顔ですよね、あなたは」
それって……能面の、こと? 般若じゃなくて、あの、おかめでもおたふくでもなく、あの、なんだっけ、女形の能面?
確かにわたしは、ダンスのときは、髪をひっつめている。確かにわたしは、一重まぶたで、「切れ長の目」と言われてきた。その褒められてるんだか慰められているんだかわからないところの「切れ長の目」の定義がよくわからず、子供時代は不満であった。
子供時代はあれこれあったが、さすがに大人になってからは、自分のすべてを受け止めようと、自分の顔に対しても、寛大であろうと心がけてはいる。しかし、「切れ長の目ですね」と言われても、今なお、うれしくない。
それにしたって能面とは、これいかに。ところで能面とは、厳密にはどんな顔だったか、じっくりと見たことはない。これを機に、確認してみようではないか。と、いくつかのサイトをチェック。そして、見つけた。
……。
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認めたくないが、上まぶたの、山形の曲線といい、うつむいた際の目といい、確かに似ている。眉は、似とらんぞ!
ああ、思い出した! 高校時代の生物の時間、先生が実験中にわたしの班に来たとき、しみじみわたしの顔を見て言ったのだ。
「あなたは、眉を剃っているのですか?」
「え〜、剃ってません! もとから薄いんです!」
「ほう。薄くて、幅がひろいですねえ。平安時代のような、眉ですねえ」
「も〜、先生、なん言いよ〜と〜、すか〜ん、もう!!」
乙女心に傷ついたね、あのときは。
今でこそ、眉墨で眉の調整ができるけれど、高校時代は「素のまま」だったのでね。生まれてきた時代が時代なら、わたしは「いけてる女」だったかもしれん。
無論、すでに日本を脱出して久しく、外国ではこの「和風顔」が、むしろ受けることもあるにはある。あらゆる意味で、海外に出たのは正解だった。
いや、しかし夫をして、
「ミホの顔は、Broad(広く)て、Flat(平坦)で、まるでFullmoon(満月)みたいだよね」
と評価される我。そりゃあ、インド人顔の濃密さ、充実度に比べると、あっさりしたものよ。放っといてくれ。
それにしても、能面って……。気分悪いけど、ボリウッド先生、結構観察力、あるかも。