オーヴンの修理、変圧器の取り替え、電源の修理、不良品の返品……。なにかにつけ、苦情を申し立てる機会の多いインド。米国時代から鍛えられているがゆえ、それなりの基礎体力や対処能力はある。
先日も、バンガロール在住の年少マダムが怒りに打ち震えていたのを、「大人っぽく」たしなめたばかりだ。ふふふ。
が、そもそも、わたしは喜怒哀楽が激しいのを、少々コントロールしているだけで、実際、折に触れ、耐え難い「怒」に襲われるのである。と、敢えて告白するでもなく、「熱い」気性が行間から滲み出ているかもしれないが。ともあれ。
今夜が、それだった。
先週の土曜夜、プリンタのトナーが切れた。あいにく翌日曜日は夫が使っているコンピュータショップは閉まっている。トナーは何度か取り出して振り振りすれば、だましだましで100枚は印刷できる。月曜日に頼めば大丈夫だろうと思っていた。
ところが、週末、わたしも夫も多量に印刷し、もうカラカラの状態。従って本日朝、開店間際から何度も電話をいれ、11時にようやく、担当の男性をつかまえた。トナー2本と、印刷用紙を5パック、注文する。
「30分以内にお届けします、マダム」
随分、調子がいいな。とはいうものの30分は有り得ないだろう、1時間後だな。と踏んで、作業を進める。やがて正午。そしてランチを終えて1時。まだ誰も来ない。電話を入れる。
「トナーが品切れていたので、今取り寄せています。紙はそろってます。あと1時間以内に届けます」
ここでマダム、やばいな、と悟る。調子のいい人に限って、時間を守らんのだ。午後3時。まだ来ない。再び催促。
「今、トナーと紙、両方揃いましたが、配達人がまだ出先から戻らないのです。戻り次第、即、送ります」
午後5時。まだ来ない。業を煮やしてマダム、またしても催促。
「あのね、わたしは明日の朝、大切なプレゼンテーションがあるの! 少なくとも200枚は印刷しなきゃならなくて、絶対に、今日中に必要なのよ! あなたが配達するっていうから、ほかに買いに行かずに今まで待ってたのよ! わたしはこれから外出するけど、とっとと配達して、ガードマンに預けておいて! 絶対よ!」
「ノープロブレム。配達します」
プレゼンテーションの話は嘘である。「切羽詰まっているムード」を演出するための手法である。
しかし、大量に印刷したいのは、真実でもある。わたしは仕事用の原稿を書くとき、いちいちプリントアウトして読み直さなければ、気がすまないのだ。画面上では、誤字脱字や誤表現を見つけにくい。だから、ともかく、いちはやく、トナーが欲しい。印刷した物を読みたい。
ともあれ、一日中、家で仕事をしていたマダムは、気分転換を兼ねて近所のモールに出かけ、カフェコーヒーデーでお茶を飲みつつ、文字校正をする。なんだか米国時代、近所のカフェで気分転換しながら仕事をしていたころを思い出して、懐かしい。
そして夕方7時。小雨のあとの涼しげな町を歩き、気分よく自宅に戻る。
ま〜だ来てない。どういうこっちゃ。電話をする。
「あ〜、もうすぐ出ます。もうちょっと待ってください」
夕飯を終えて午後8時半。とうとう来ない。もう、諦めた。が、マダムはしつこい。もう誰もいないだろうと思いつつ電話をする。と、まだいた。
「ちょっとどうなってるの? わたしは今か今かと待ってるのよ!」
「マダム、今日は配達人が来なくなったので、配達できません。明日の11時でいいですね」
よくないってば。全然だめだってば。
「雨が降ったので、来られなくなったのです。だから明日になります」
今日は小雨しか降ってないって。洪水が起こった訳じゃあるまいし、そんな言い訳、言い訳にもならん。
もう、トナーは諦めた。諦めたが、その悪びれた様子が一切ない男の態度に腹が立つ。これはもう、米国時代のサーヴィスの悪さを凌ぐ、飄々とした「天然系無罪悪感」だ。そのストレスのなさ、責任感のなさ、お見事である。
でも、今日のわたしは寛大ではなかった。どうしても、わびの一言を言わせたかった。それがバンガロールの常識に反していようとも、言わせたい。だからって、尊大に「謝れ」と言うのは、さすがに問題がある。
と言いながらも、ほぼ怒鳴りながら、電話口に向かって問いかける。
-Anyway, don't you feel sorry? (だいたい、あなた、悪いと思わないの?)
"No."(思いません)
Excuse me?! Don't you feel sorry?! (なに? 悪いと思わないわけ?!)
"No, Madame." (思いません、マダム)
- Oh my goodness! You don' t feel sorry at all! I can't believe it! Thank you very much for your great service!
(なんてこと! この期に及んで、悪いと思わないなんて、信じられない! すばらしいサーヴィスを、本当にありがとう!)
業を煮やしきったマダム、荒々しく電話を切る。ああもう。トナーの予備を準備していなかったわたしたちも悪いのだが、しかし届けると一日中主張しながら届けない店が一番悪いだろう。それで悪びれていないところが、たまらん。ばかたれ!
……と、ふと脳裏をよぎった。
否定の疑問文……。と、それに対する返事の仕方。
米国と日本では、Yes と Noが逆になる。でも、わたしは米国生活が長かった故、すっかり米国式がなじんでいたが、インドでは確か、日本と同じではなかったか。
それが、ヒンディー語の用法なのかどうかはよくしらないが、英語でも、逆に言うという話を聞いたことがある。ということを思い出した。
無論、欧米の英語に慣れ親しんでいる人ならば、
-Anyway, don't you feel sorry? (だいたい、あなた、悪いと思わないの?)
と尋ねられた場合、
"No, I don't."(いいえ、思いません)
と答えるところだろう。しかし、そうでない人は、
"No."と言いながら、それは、
(はい、そう思います)のつもりであることも考えられる。
もしも、店の担当者が後者のつもりで答えたとしたら……。
「悪いと思っています」というたびに逆上するマダムに、混乱すること頻りだったであろう。無論、どっちだったのか、結局わからないのではあるが。でもって、いずれにしても、先方が悪いことには変わりないのであるが。
で、我が家のトナー、いったいどうなるのだろう? 明日、別の店に買いに行くべきか。それとも同じ店に配達してもらうべきか。ああもう、いやだわ〜。
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ところで、家政夫モハン、今朝は元気に復活し、ヴァラダラジャン家へ出張サーヴィスに出かけて行きました。めでたし。