今日は、8月31日。我が誕生日である。
ヨガに行く。スジャータにおめでとうと言われる。「修行中」の日本人カップルからもおめでとうございますと言われる。『街の灯』の著者紹介で知ったらしい。
家に帰ると、日本の母と妹から、祝いの電子メールが届いていた。ほどなくして、デリーの義父ロメイシュ、そしてダディマ(祖母)から電話。昼過ぎには、シンガポールの娘宅に滞在している義継母のウマから電話。
午後、デリー出張の空港にて、ラグヴァンから電話。デリーのアルヴィンドの従兄弟の妻タヌーからも電話。
そしてもちろん、朝一番に、ムンバイにいるアルヴィンドからも電話があった。
我が家の身内は、本当に少なくて、それは心もとないくらいの小ささだけれど、こうして互いの存在を気にかけ合っているというのは、温かいものだと思う。
アルヴィンドからは、先日パシュミナのショールをもらっていたし、わたし自身は昨日、Rain Treeというバンガローを改装して作られたショッピングスポットにて、自らへのギフトを購入しておいた。
ゴア拠点のデザイナー、Wendell Rodricksのブラウスやスカートなど。それから毎度おなじみANOKHIで、日常着に欠かせない木綿のブラウスを。
インド発のファッションは、すてきなものが続々と誕生していて、うれしくなる。しかし、インド発「洋服」の多くは「着にくい」ものが多い。見た目は「十分に入るな」と思っても、頭の部分がきつすぎたり、ジッパーがないため、すんなりと着用できなかったり。着てみると窮屈だったり。
試着するたびに、よほど身体が柔軟でヨガの心得でもないかぎり、腕を通すことはできまい、という服が多いことを実感する。脱ぎ着しているうちに破いてしまいそうで怖い。
まだ洋服文化が浅いが故かもしれない。加えて、伸縮性のない木綿素材が多いのも理由だろう。
しかし、さすがにANOKHIなどは、外国人の顧客も多く、木綿でも着やすいものが多いので、買わずにはいられない。安いし。会合などに参加すると、必ず同じような服を着ている人がいるのが難と言えば難であるが。
さて、今日は一日中、調べものをしたり原稿を書いたり、いただいた本を読んだりして過ごした。かつてなく、平穏な心持ちの誕生日である。
夕方には、夫もムンバイから戻って来た。すべてが概ねうまく行き、ボスも喜んで香港に戻り、いい出張だったようだ。しかし、今回は4泊5日と少々長めだったのに加え、普段よりもより真剣勝負の出張だったせいか、見るからに疲れている。
外食続きの体調の悪さが、顔や身体にあらわれている。誕生日のディナーは週末にすることにして、今日はモハンに軽い夕食を作ってもらうことにした。
夫はレポートを仕上げねばならないというので、妻は一人でワインを開け(いつものことだが)、誕生日を祝する。
去年の今頃はカリフォルニアに住んでいて、ちょうど母も来ていたのに、突然のインド出張が決まり、わたしも夫に同行することになり、どたばたとしていた。誕生日は、ムンバイのタージにあるモリモトさんの店、WASABIで迎えたのだった。あれから一年。
いろいろと、変化に富んだ、そして充実した一年であった。
「40歳からはインドで仕事」
と、数年前から勝手に目標を掲げていたが、それがぎりぎりのタイミングで実現したことは、すばらしい。
夜は、母に電話をした。
「もう、41歳ね〜」
そう言われるたびに、他人事のように思う。自分たちに子供が授からないとわかったころからなおさら、自分自身が生まれて来られたことの、有り難さを思う。まさに、「有り易い」のではなく「有り難い」のである。
いろいろあったが、結果的には自由にさせてもらえたことを、いや、いつだって父からの拘束を激しく振り切ってきたとはいえ、その振り切る力を育んでもらったことを、感謝する。
ちなみに亡父は、わたしが他県(といっても福岡から山口。隣よ)の大学に進学するため家を出ると決めたときも、米国に1カ月ホームステイしたいと言ったときも、そして大学卒業後に上京するときも、猛烈に反対して、こてんぱんに打ちのめすような人だったのである。
わたしの「真剣味」を試しているつもりだったかもしれないが、そういう反対の仕方は、今でも賛成できない。
高校ぐらいまでは、ちょっとでも口答えしようもんなら、パコーンと張り倒されてたし。なんというか、ワイルドな父親だった。野蛮よね。たまらんよ。まあ、そういうわたしも、妹と取っ組み合いの喧嘩なんかしょっちゅうやってて、ワイルドの極みだったけど。
「ま〜た、美穂がつまらんこと書きよるが!」
と、言われそうである。てへ。……なにがてへ、だ。
そんなわけで、今後も、健康に留意し、家族円満を心がけ、元気でやっていこうと思う。
ぐんぐんと、真夏のひまわりのように。と言いながら、マリーゴールドではあるが。