3泊4日を経て、今夜、バンガロールへ戻る。向こう3カ月のムンバイでの滞在先も決まって一安心だ。
それにしてもムンバイの物価の、ホテル室料の、不動産の高さといったら、何度も書くようだが、呆れるばかりだ。
古くからの中心街であるムンバイ南部(コラバ、ナリマンポイント界隈)においてのサーヴィス・アパートメント(家具や家電が完備されたホテルタイプのアパートメント)といえば、TAJ系列のWELLINGTON MEWSが唯一。
ここは、夫の遠縁にあたるアトランタ出身のNRI男性が開発を担当しており、彼も数年前からここに住んでいる。わたしもこれまで何度か訪問したことがあり、その家賃の高さは知っていたはずだった。
ホテルの部屋にはキッチンがついていないが、ここには完備されている。健康的な食生活を心がけている者としては、キッチンがあるとありがたい。更には洗濯ができるのも便利だ。少々高くても数カ月のことだから、ここにしようかと話し合っていた。
ところが今回、改めて家賃の確認をしたのだが、どう思い巡らせても、数年前よりもかなり値段が上がっている。
キッチン付きステュディオ(一部屋)という最も狭い部屋で、1カ月400,000ルピー。これに税金やサーヴィス料などが追加される。1ベッドルームだと600,000ルピー、2ベッドルームだと700,000ルピーを超えるのである。
日本円に換算するには2.8倍。追加料金を考えたら3倍程度か。つまりステュディオですら、1カ月の賃料が軽く100万円を超え、2ベッドルーム、3ベッドルームは200万円以上になるのである。
今、過去の記録を見て再認識した。3年前から、確かに、大いに、高騰していた。
たとえば、「セントラルパークを見下ろす絶景の立地」だとか、「シャンゼリゼまで徒歩3分の好ロケーション」だとか、「部屋を出れば白砂が広がり、透き通る海が広がっている」といった場所であれば、値段が高くても納得できる。
しかし、WELLINGTON MEWSはさにあらず。まず、窓を開けられない。なぜなら、魚臭い風が吹き込んで来るからである。界隈に広がるスラム化した漁村から、今はまだ涼しい季節だからいいようなものだが、夏場ともなると、魚の腐敗臭などが攻撃的に漂って来るのである。
漁村の人たちは、歩道で「小エビ」を干したりもしている。臭すぎるのである。従っては、散歩など、できたもんじゃないのである。(したけど。)
ムンバイ空港より北部に広がる新興エリアの、たとえばANDHERIやMALADといった地区には、「平常心で受け止められる値段設定」のサーヴィス・アパートメントはある。
しかしムンバイの交通渋滞は他都市同様著しく、ナリマンポイントにあるオフィスまでの通勤に、軽く1時間以上はかかってしまう。それでなくても二重生活。不便な場所に住むつもりはなく、選択肢外である。
結局、週末にはバンガロールに戻るわけだから、長くても週に5泊、少ないときは4泊の滞在となり、そうなるとホテル滞在の方がフレキシブルで無駄がないだろうとの判断から、最終的にホテルを選んだのだった。
それにしても、昨今のインド都市部における、この狂ったような室料の高さは、どうしたものだろう。それでも高級ホテルはどこも満室満室。バンガロールやデリーとて同じような状態だ。値段をつり上げても需要があるから、手加減しないのか。
今回滞在しているオベロイにしても、隣接するヒルトンにしても、世界各地から訪れていると思しきビジネスマンらの姿があふれ、朝な夕な、ロビーも、カフェも、ラウンジも、活気がある。
それに加えて、レストランの料金の高さ。2004年以降、ムンバイには何度も訪れているが、いやムンバイに限らず、インド都市圏にあるホテル内のレストランは、値段がみるみるうちに上昇している。
最初のころは、「味わいは今ひとつだけれど、先進諸国に比べるとかなり割安」のイメージがあったが、今はそうとも言えない。ワインリストの値段にも驚かされる。
海外産のワインならまだしも、インド産ワインのSULAですら、グラスが650ルピー前後、ボトルが2500ルピー前後である。店頭で買えば、ボトル1本がわずか450ルピー程度なのに、である。笑っちまうぜ、ってなものである。
物価が高くなるのは、現在のインド経済の趨勢を鑑みるに、やむを得ないということは実感している。ただ、わたしがここまで過剰に反応してしまうのは、貧富の差の、物価の差の、あまりにも著しい違いを日々目の当たりにしているせいだろう。
ところで夕べは、来月中旬以降の第二の我が家となるTAJ PRESIDENTへ赴いた。
ここにあるTHAI PAVILLIONというタイ料理店はわたしたちのお気に入りのレストランだ。
最近全面改装したらしく、まるで別の店のような洒落た雰囲気になっていた。
メニューの内容も向上しており、料理もおいしかった。
ムンバイの、こうしてホテルをうろうろとしていると、夫の米国時代の仕事関係者とも、偶然に顔を合わせる機会がしばしばある。
自分が米国にいるのだか、インドにいるのだか、感覚が混濁してしまう瞬間が、時折、ある。ぐるぐると、目が回るような感覚。
わたしの家は、バンガロールにあり、ムンバイにも住んでいて、でも米国もまた近い場所で。
夫の仕事。わたしの仕事。これからの在り方。
いつも思い、綴っていることではあるが、改めて、自分自身の軸が揺るがぬように。
身の丈を、見極めがたい身の丈を見極めながら。
取り巻く事象が目まぐるしく移り変わるなかで、自分の所在を確かにすることが、結局はなによりも肝要なのだ。
それにしても、今の時代のこの国で、一筋縄では語れぬ価値観の渦巻く国で、国籍の異なる夫と家族を持ち、飽くことなき出来事に遭遇しながらの日々は、「いとをかし」という表現がぴったりだ、と我がことながら、そう思う。