今夜は、OWCが主催するCHARITY BALL & SILENT AUCTIONへ出かけた。会場はLE MERIDIEN。アルヴィンドは、大晦日の雪辱を晴らすべく、シェルワニ姿だ。
このパーティ。その名の通り、OWCが支援する26の慈善団体への寄付金を募るべく、チャリティ・イヴェント。ムンバイと行き来する日々なので、週末はゆっくりしたいと思っていたのだが、数日前、ぎりぎりになってもまだチケットが余っているようだったので、急遽出席することにした。
最初はカクテル。みな美しく着飾っている。インド服姿の男女も少なくなく、とても華やかな雰囲気だ。
米国のミネアポリスから来たという若い夫婦。妻の仕事でバンガロールに2年ほど駐在だという。夫はと言えば自分の仕事を辞め、今は子供の面倒を見ているらしい。
先日、BECの会合でも、自分の仕事は辞め、妻の仕事でバンガロールに来たという男性がいた。
渡印に至っては、夫婦間でさまざまな議論が交わされたに違いないと想像できる。米国の働く女性たちのタフさを今夜もまた痛感する。
上の写真は、サイレント・オークションの様子。在バンガロールのショップなどから提供してもらったテキスタイル製品やインテリア小物、絵画などが対象だ。
売上金はすべて、慈善団体に寄附される。わたしたちは、バルコニー用のカーテンを落札することができた。
それ以外にも、500ルピー分のラッフル(抽選券)を購入したところ、3000ルピーのオベロイホテルのお食事券が当選した。幸運であった。
ディナーを終えた後は、毎度おなじみのダンスタイム。ボリウッドミュージックも織り交ぜられた比較的「懐かしのメロディ」が次々と。今宵も踊りまくる我々であった。
こうしてフレームに入れたものをプレゼントしてもらえた。
さて来週は、わたしはバンガロールで過ごすことにした。
夫は毎度のごとく、「一緒に行こうよ!」と誘うのだが、わたしもバンガロールでやりたいことがあれこれとあるのである。
新規リサーチの仕事も入っている。
一週間くらい、自由な時間をいただきたいのである。
あれこれとやらねばならぬと言いながら、瞬く間に過ぎていきそうな日々。
チャリティ・ボールから戻りし深夜。テレビを見ていた夫がわたしを呼ぶ。映画を一緒に見ようという。"United 93"。9/11。あの日、標的をアタックすることなく墜落した飛行機を巡る物語だ。
ストーリーの苦しさに加え、三半規管の弱いわたしは、揺れまくるカメラワークに途中で何度も吐きそうになりながら、しかし見ずにはいられなかった。辛かったが、見てよかった。
あの日を境に、わたしはさまざまを学んだ。その思いを新たにした。
日々を、大切に。自分を、大切に。大切な人を、大切に。
毎日笑顔で、おはよう、おやすみ、いってらっしゃい、いってきます。
当時、わたしはニューヨーク、そしてアルヴィンドはワシントンDCに住んでいた。結婚直後でありながら、諍いの絶えない日々だった。なにかと衝突してばかりいた。
それでも、彼はわたしにとって、かけがえのない人である。相容れない感情に翻弄される日々。ニューヨークを離れたくない。夫と一緒に住むべきか。いつまで二重生活を続けるのか。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
が、永遠に続くわけではないということが、あのとき、身にしみてわかった。
だからこそ、どんなに喧嘩をしていても、夫を見送るときは、無理矢理にでも笑顔でを心がけることにした。どんなに癪に障っても、気持ちよく送り出す。それは、今でも続けている、わたしたちの小さな、しかし意義深いルール。
誰のためでもない、結局は自分自身のためかもしれない。ともあれ、家族をはじめとする大切な人を、自分を取り巻いている大切な人を、無碍にしてはならないということを、学んだ。それは、義務でも責任でもなく、自らの衝動、欲求として。
そう思える、対象が存在することの、ありがたさ。
ハイジャックされ、墜落することがわかっている機内で、家族に電話をかけ、別れの言葉を告げる人々の様子を見ながら、こうして愛する人のそばにいて、手を触れ合っていられることの喜びを、かみしめた。
実はUnited 93、及びペンタゴンに突っ込んだと「される」2機については、さまざまな不思議がまとわりついている。まず、United 93は、墜落したのではなく軍用機に撃墜されたとの見方、またペンタゴンは実際に飛行機が突っ込んだのではなく、ミサイルで攻撃された、といった内容だ。
ともあれ、「フィクション」として見たとしても、それはそれで、見応えのある映画であった。
このサイトを見てくれているチョウに詳しい友人が教えてくれたところによると、「テンジクアゲハ」という名前らしく、「日本の蝶マニアが欲しい蝶のひとつ」なのだとか。
そうとわかると、ありがたみが増すというものである。
いつまでも、チョウや野鳥がやってくる地であってほしいと、祈るように、そう思う。