Peepal Treeと聞いていた、その裏庭から我が家の庭へせり出している大樹の別名が、「インド菩提樹」だということを、数日前に知った。シッダールタが、その下に座し悟りを開いた、インド菩提樹である。それを知った途端に、今までよりいっそう、この樹がありがたく思える。
実はこのインド菩提樹。ここ1カ月ほどが落葉のころで、その枯れ葉を庭一杯に落とし、ときに小枝を落とし、庭師の仕事を殊更に増やしていた。
ぼたぼたと、黒い実が、やはり庭に落ちて来て、汚いと言えば汚いのだが、同時にここ1週間ほどは、熟れた木の実を求める鳥たちが集まって来て、それはそれは賑やかなのだ。
鳥だけではない。リスたちも喜んで、キィキィと鳴き声を上げながら、木枝を駆け巡っている。
訪れる鳥は、軽く十種類を超えている。名前も知らぬ、見たこともない、美しい鳥たち。鳥の図鑑が欲しくなった。それから双眼鏡なども。
しっかりとしたカメラを持っていないので、レンズを望遠にしても届かない。鳥たちは落ち着きなく枝から枝へと舞い飛び、緑に紛れ、うまく撮れない。
あんなにも、夢のように舞い飛ぶ鳥を、わたしたち二人だけで眺めているのが、もったいないほどだ。
しばし見上げ続けた後、ふと目を落とせば、小枝がそこに。
小枝、じゃない?
それは小枝のふりをした、カマキリのような昆虫であった。
なんという、生き物に溢れたこの庭。
先日は、とても小さな小鳥が、舞い飛ぶ黄色いチョウをつかまえては放し、つかまえては放し、と遊んでいるのをみた。
食べてしまうのではなく、それは遊んでいるとしか思えない、繰り返しだった。
チョウにしてみれば、いい迷惑なのだろうけれど。
ところで我が家をうろつくネコには、先日のモカ以外にも何匹かいる。
よくやってくるのが、ひどく人相、いや猫相の悪い、薄汚れてどっしりとしたネコと、その子分のような貧相な子猫のペア。またしても、夫の命名により、どっしりとした方が「ランボー」、子分が「ジュニア」と呼ばれている。
モカと二人組、いや二猫組は仲が悪いらしく、というよりも、モカがおびえていて、彼らを見つけると後退する。
モカは上品な顔立ちで、ミルクを与えても、わたしの目の前では近寄らず、わたしが隠れると静かに近寄っていき、静かに少しだけ、飲む。ときに素通りさえする余裕を見せる。
一方のランボーは、ミルクを見た途端、我がものと駆け寄って、すべてを平らげる貪欲さだ。さらには、たいそう下品なスタイルで、放尿するのである。しかも何度も。ネコを飼ったことのないわたしは、その様子に目を見張ったものだった。
わざわざ庭の中心に、フンを残していたネコは、モカではなく、ランボーに違いないと確信している。
先日、そのランボーが、まさにランボーらしい光景を、目撃した。
ネズミ対策に野良猫を放置しておくのは効果的だと思っていたのだが、なんと、ランボーは先日、ネズミならぬ「リス」をくわえていたのである。インドのリスは小振りで、ネズミと変わらないくらいなのだが、驚いたのなんの。
まるでマンガのキャラクターのように、ネコたちの個性が、ただごく稀に見るだけなのに察せられて、面白いったらありゃしない。
それにしても、この庭には、小さな生き死にが、毎日のようにあふれている。
外壁の小さな穴で、もぞもぞと動いているトカゲがいたので、なにをやっているのかとのぞいてみたら、なんとそこには小さな卵が2つ。トカゲの卵を見るのは初めてで、非常に興味深かった。
きれいなチョウが息絶える様子も、幾度となく、見た。ハチやトンボの最期のあがきも。
ちょうど一年前の今頃は、内装工事に追われていた。ここに住まい始めて、そろそろ丸一年を迎えようとしている。
夕暮れ時、庭に落ちた鳥たちの羽根を眺めつつ、また来年の木の実のころにも来てほしいと願う。