●久々に晴れわたる日曜の爽やか
金曜の夜、ムンバイからバンガロール自宅へ戻って来た。
バンガロールの喧噪の空港の、しかし降り立てば包まれる涼し気な風に、いつだって、ほっとする。やっぱり、この街は、心地がよい。
季節外れの雨が降り続く数週間だったが、今日は久しぶりに青空の日曜日。洗濯物がよく乾く。
●土曜の夜は、賑やかな酒宴。楽しき会合
夕べは久しぶりにユカコさんとビル、そしてJ君を招いての夕食。久しぶりの手料理は、「ブイヤベース風魚介類のスープ」と「ポテト&コーンサラダ」。ユカコさんは「インド風スパイシーサラダ」と、「自家製くるみパン」を作って来てくれた。
思えば数週間前に体調を崩して以来、アルコール摂取をやや控えていた身の上であるが、昨日は絶好調。Sula のスパークリングワインに始まり、白、赤ワイン、夕食を挟んで、ビルのカリフォルニア出張の土産であるところの「麦焼酎(日本製!)」、シェリー酒などを飲みつつ、しゃべるしゃべる。
みなでワイワイと賑やかに食べる料理はまたおいしく、本当に幸せなひとときである。
普段はあまり飲まないアルヴィンドも久しぶりに酔っぱらって、かなりご陽気。自分のくだらない話に自分で大受けして笑い続けるという、「箸が転げてもおかしい年頃状態」に陥っていて、滑稽である。
大丈夫かこの男は。と、我が夫ながら、そう思う。
齢2カ月の新人J君は、会うたびことにハンサムになっていく。生まれて数日後からの様子を見ているせいか、まるで親戚の子供のような親しみを覚えてしまう。かわいい。ついつい、触りたい。
なんという、すべすべのお肌であろうか。思わず頬ずり&ほっぺにチュ〜したい衝動を抑える。わたしって、子供好きだったの? と思う今日この頃。そういうお年頃なのだろうか。どういうお年頃なのだろうか。
三人は月末から米国&日本へ旅行だという。双方のご家族も、J君に会えるのをきっと心待ちにしているに違いない。ああ、そういえば、わたしたちも来月は、半年に一度の米国行きだ。
目まぐるしすぎる日々の流れ。目まぐるしすぎる、しっかりつかまって、振り落とされぬよう。
●シルヴィア&アンドレイに久々の再会@ムンバイ
ワシントンDC時代からの友人、ルーマニア人のシルヴィア&アンドレイと、わずか2時間ほどではあるが、ムンバイ国際空港近くのホテルで会った。
現在、シルヴィアは相変わらずワシントンDCで働いているが、アンドレイは昨年からロンドンに暮らしている。
シルヴィアも数カ月後にはロンドンへ移るそうだ。
そんな二人がなぜムンバイかといえば、2週間ほどまえに友人の結婚式に参席するべくデリーを訪れ、それからインド各地を旅していたのだ。
本当はデリーでゆっくり会う予定だったのだが、わたしのテレビ取材が入ってしまったため、帰国直前のムンバイ空港近くで会うことになった次第。
旅慣れた二人だから大丈夫だろうとは思っていたけれど、インド各地を飛行機や列車を使って旅していながら、体調を崩すことなく元気だった彼らに会えて、とてもうれしかった。
彼らが旅してきた場所は、わたしたちがまだ訪れたことのない場所ばかり。
インド。住んでいながらも、遠いインド。
2年も暮らしていながら、まだまだ知らない場所が果てしなく多く。今は海外へ出ることのほうが多いけれど、これからは敢えて、国内を旅する機会を設けたいと、彼らの旅の話を聞きながら、改めて思わされる。
ともあれ、彼らがロンドンに移れば、インドからも近くなる。今度はぜひバンガロールの我が家へ遊びにおいでね、また近々会おうねと、別れを惜しんだのだった。
●消え去る食器の悲しい法則
平穏な日曜の午後。
鳥のさえずりと、緑のざわめきを突き破るが如く、「ガラガラガッシャ〜ン!」というダイナミックな音がキッチンから響いて来る。
ああ。いやな予感。キッチンで洗い物をしているのはメイドのプレシラだ。これまでは、あまり物を壊すことがなかったので安心していたのだが……。
せっかちだった過去の使用人モハンの壊しっぷりは派手だった。なぜか、大切にしている食器やグラスばかりが最優先で、割られてしまうのだ。
ガラス製の、義理祖父の写真をいれたフレーム。十数年前、スウェーデン取材で買って来ていたお気に入りの花瓶。イタリア製シャンパングラス2個。フランス製のワイングラス2個。インド移住の記念に夫とお揃いで奮発して買った、象の絵柄入りマグカップ。友人夫妻から結婚祝いにもらっていたお気に入りの急須……。
慌てなくていいから、時間をかけていいから、物を壊さないように丁寧に扱ってくれと頼んでいるのだが……。わずか一年の間に、次から次へと消されてしまった大切なモノら。上記以外にも、実はあれこれと、壊されていた。
さて。今日は何が起こったのだろう。憂鬱な気持ちで、階段を下り、キッチンへ入れば……。
これらを洗うときは慎重にね。
と敢えて念を押していた、買ったばかりのイタリア製、クリスタルのシャンパングラスと、シンガポールで買っていた日本製の急須。どちらもお気に入り。本日は一気に二つ、さよならだ。
ちなみに普段、大切な物は自分で洗うようにしている。たまたま昨日は「泥酔状態」だったので、最低限の食器だけを片付け、グラス類は本日に持ち越していたのだ。
形ある物は、壊れる。仕方ない。しかしなぜ、インドのどこででも手に入るカジュアルな食器は健在で、どこでも手に入らない大切な物、あるいは高価なものから先に消えてゆくのだろう。
壊れるのは仕方ない。わかっている。彼女を責めるのは意味がない。でも、
「ここに重ねていたステンレスのボウルがすべって、グラスと急須に当たったんです」
と、いかにもステンレスのボウルが意思を持って、グラスと急須を攻撃したかのような言い訳をするから、口調が厳しくなってしまうのだ。
使用人に言い訳が多いのは、一般的なことだ。腹立たしいが、ここで感情的になってはならない。と思うのだが、しばしばこういう事態に遭遇すると、なってしまう。
モハンのときもそうだった。「割られ事件」が頻発していたある日。友人からもらっていた大切な急須に「触らないで」と言っていたにも関わらず、洗ってくれて、そして割ってくれた。
いつものことながら、彼は断じて謝らなかった。
「このステンレスの流し台の角に、急須が当たって割れたんです」
と、いかにも急須が意思をもって、自ら流し台に突撃して自爆したかのような言い方をするのだ。
こういう思考回路がインド使用人業界の倫理観なのか、とさえ思えてしまうほどの自然さで。
彼らが自分の非を認めなければ、同じ失敗が繰り返されることになる。ステンレスの流し台に、ステンレスのボウルに、罪はないのだ。そのことを、認めさせなければならない。
仕事が遅いながらも、あれこれと行き届かないところが多いながらも、日頃プレシラは、彼女なりに、一生懸命やってくれているので、わたしはかなり厚遇している。モハンのときで懲りているので、「厚遇の仕方」にも注意を払っているつもりだが、しかし思い通りに事態が運ぶわけではない。
人を使うということは、実に難しい。「自分でやらない」=「楽なこと」では決してない。それを日々学ぶ、インドでの日々である。
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ところで、上の大きな写真は、ムンバイのホテルのバンケットルームで開かれていた女性用ファッション関連商品のエキシビション。ハデハデな富裕層マダムらでごったがえしていて圧倒された。
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