昨日とは打って変わって、冷たい風が吹き付ける街。部屋の窓から見下ろせば、強風に煽られるようにして、肩をすくめ歩く人々。
アルヴィンドは、叔父ランジャンとのランチに出かけた。わたしも誘われていたのだが、二人でゆっくり仕事の話をしたほうがいいだろうと思われ辞退。今日は一人で行動しようと思っていた。
あれこれと、行動予定を考えていたのだが、なにしろ悪天候。この天気のなか、外出する気持ちにならず。ランチだけは、しかし近所の寿司屋へ足を運んだものの、わずか数ブロックを歩いただけで、傘があまり役に立たないほど濡れてしまい、ホテルへ舞い戻る。
紀伊國屋で購入していた本を読んだり、インターネットを巡ったりして過ごす午後。
アルヴィンドはランチのあと、ランジャンのオフィスに赴き、いくつかの打ち合わせに参加したとかで、午後6時を過ぎてホテルに戻って来た。
ランジャンはニューヨークでヘッジファンドを経営しており、その業界ではかなり知られた人物である。
いつもは彼の妻のチャンドリカや、義妹でペプシコのCEOであるインディラ・ヌーイのキャリアにばかり触れていて、ランジャン自身のことはほとんど書いたことがなかったが、アルヴィンドの血縁であるところの彼も、すばらしいキャリアの持ち主である。
しかしながら家族みんなで会うと、どうしても女性陣のパワーが強く、ランジャンや、インディラの夫の物腰が柔らかすぎて存在感が弱く「やさしいおじさん」というイメージしかなくなってしまうのだ。
つい数日前、ランジャンはブラジルへ出張から戻ったばかりらしい。BRICsの"B"である。投資における同国のポテンシャルの高さを熱く語っていたらしく、その熱をそのまま、アルヴィンドがわたしに伝えるように語り始める。
あれこれを克明に説明してくれるのだが、ブラジルに行ったことのないわたしは、イマジネーションが今ひとつ曖昧だ。南米。まだ見ぬ大陸。世界は広くて、未踏の地はまだまだ多い。
さて、夜はカーネギーホールへ。カーネギーホールには大小いくつかのホールがある。大ホールではクラシックなどのコンサートが行われるが、小さなホールは、バラエティ豊かな演目のコンサートが行われる。
どのような審査基準があるのかはよくわからないが、ステージの借用料を支払えば、かなりハードルが低く借りられるように思う。
たとえば各国のミュージシャンが、ニューヨークでコンサートをした、という事実をキャリアの一つに折り込みたい時、このコンサートホールを使うという話もよく聞く。
1995年、わたしが渡米する1年前、日本カラオケ協会の主催で、カーネギーホールで「カラオケ大会」が行われたらしい。
いくらお金を出せば借りられるからといって、そしていくらカーネギーホールが許可をしたからといって、それはいかにも、恥ずかしいことだと、わたしは思った。今でもその気持ちに変わりはない。
その23歳のミュージシャン、Mayra Andradeにとって、米国ツアーは初めてのことらしい。キューバに生まれ、カーボベルデに育ち、パリに住んでいる彼女のことを、わたしたちは知らなかったのだが、金曜の夜をどうすごそうか、とカーネギーホールのポスターを眺めていて見つけたのだった。
彼女の声も旋律もすばらしかったが、なによりバンドもよかった。
特にドラム。
ものすごく「大忙し」の様子で、自分の周りに取り付けた「音の出るあれこれ」を巧みに操る彼。
なにしろ、笑顔がよくて、楽しそうなのだ。
歌もだけれど、彼の演奏を、しばらくは間近で聞いてみたいと思わされた。
わたしもなにか、楽器を操りたい。音を奏でたいと、強く思わされる夜。
世の中には、「よきもの」もまた、溢れている。
※このホールは写真撮影禁止ではないので、フラッシュを焚かずに撮影しました。