歳を重ねてこのごろは、時間というものが、いともたやすく伸びたり縮んだりするものだということに気づいた。だから4年の歳月が長いのか短いのか、そういうことに思いを馳せても意味がない。
父と汐見の海岸を散歩して、下駄の鼻緒が切れて、おんぶされて帰った日のことも、「歯を食いしばりなさい!」と言われて、力一杯、平手打ちをくらったときのことも、「だいたい、美穂はなにしに東京に行きたいんね」と詰め寄られたときのことも、「僕は、美穂の結婚式のためなら、インドでも、地の果てでも、どこへでも、這ってでも 行くからね!」といわれたときのことも、すべてが鮮明で近い。ようであり、前世の記憶のように遠い。ようでもある。
今朝、朝食を済ませ、庭でコーヒーを飲みながら、書き上げた原稿の校正をしているときに、「あ、そうやった! 今日は親父の命日やった」と、博多弁で思い出した。
慌てて写真を庭に持って来て、線香を焚いて、般若心経を読み上げ、手を合わせた。父一人の写真がないので、母と一緒に写っているものである。
そのあと、写真はいつもの棚ではなく、玄関の、ガネイシャ像などが置かれてるプジャー(儀礼)コーナーに置いておいた。
やがてメイドのプレシラが訪れ、わたしはしばらく庭で原稿を読み直していた。ほどなくして家に入ると、プジャーコーナーに灯りがともされ、庭のあじさいの花が小さく飾られている。
「これ、どうしたの?」
とプレシラに尋ねたら、
「今日はマダムのお父さんの、亡くなった日でしょ?」
と言う。父の命日など教えたつもりはなかったのだが、どうして知っているのだろう。不思議に思って尋ねたところ、彼女は言った。
「マダム。わたしは毎日、部屋の掃除をしていて、あの写真を見ています。あのクマのぬいぐるみについている写真に、亡くなった日が書かれています。マダム、それから、お母さんはまだ生きていらっしゃるんだから、一緒に飾ってはいけませんよ。神様が混乱します」
よくよく見たら、わたしが置いていた両親の写真はもとの場所に戻されていて、かわりにクマのぬいぐるみにつけていた小さなバッジが飾られていた。
言葉に詰まった。
そのクマのヌイグルミは、亡き父が着ていたウールのシャツを素材にして作ってもらったテディベア。母と妹とわたしがそれぞれひとつずつ持っている。
付けていたバッジは、妹が父の写真で作ったもので、縁に亡くなった日が記されている。
その写真を見て、文字を読んで、その日を心に留めておいてくれて、こうして庭から花を摘んで来て、キャンドルを灯してくれた、彼女の心づかいが、本当にうれしかった。
使用人との関わりについて、最近ではあまり書いていないし、彼女とのことも記していない。毎日のように会い、家のすみずみまでを片付けてもらい、不在時には鍵を託し、その関係は、敢えて考えてみれば、非常に奇妙なものである。
彼らとの関わりについては、折をみてじっくりと書きたいと思っているのだが、ともあれ、今日は、今日のこととして、記しておきたい。
昨日も今日も、また心に残る出来事があったが、今、急ぎの仕事を抱えているので、のんびりと綴ってもいられず。
ただ、大きな大きなRAINTREEに降り注ぐ夕立ちが、とてもきれいだったので、写真だけでも。雨の様子は見えないけれど。この地の緑の豊かさの、ほんのひとかけらを。