ムンバイとの二重生活を開始して以来、メイドのプレシラには家の鍵を託して、不在時も一日おきに来てもらって、掃除をしてもらっている。
庭師もまた、来てもらっているので、家も庭も心地よく片付いていて、落ち着く。
プレシラが働き始めてはや一年。こまごまとした行き違いやトラブルも、なかったわけではないが、ゆっくりと信頼関係を築きつつあると思う。
お重に上品に盛りつけられた日本料理に感激する。
料理を見るなり、感嘆の声。
「うわぁ! 吉兆みたい!」
「いやいや、吉兆みたいは、褒め言葉にならないわよ」
「じゃあ、なだ万みたい!」
いただく前から、みな興奮気味。
インドで手に入る素材で工夫された和の味。茶碗蒸しもいただいた。どれも、繊細な味わいで、とてもおいしい。
日本料理のすばらしさの一つは視覚的な美しさ。こうして丁寧に盛りつけられていると、お料理の味がいっそう引き立つ。ありがたみも増す。料理にまつわる会話も広がる。いいものだなあと、幸せになる。
前向きな人たちとの集まりは、インド生活の不自由や困ったことも、過ぎてしまった瞬間から笑い話に変わってしまう。各々のエピソードが濃厚で、話しのネタは尽きず、喜怒哀楽はそれぞれ豊かに、けれど主には笑ってばかりの午後だった。
なぜ、わたしはインド人と結婚したのだろう。どうしてインドに住んでいるのだろう。因果関係を問うてみることなど、意味はないと思いつつも、自分の足跡と、これからの行く末に、思いを巡らせずにいられない出来事が続く。
呼んでもいないのに、まるでわたしという磁石に吸い付けられるように、呼ばれるべきなのだろう事柄が、少しずつ、さりげなく、くっ付いてくる。
単に人生の流れと言ってしまうには難しい、あからさまな共時性なども含め。
いやいや、それも含めて人生の流れか。
40代が板に付き、人生の、多分折り返し地点に立っている。
変化の多い日々のなかで振り回されず、自分の両脚でしっかりと屹立していられるよう、そのために学ぶべきこともたくさんあるのに違いない。
自分はあまりに無力のようでもあり、しかし力に満ちているようでもあり。
わたしは、わたしのためだけの、わたしにあらず。
あなたは、あなたのためだけの、あなたにあらず。