なんだかんだで、バンガロールを離れて3週間もたっていた。まるで海外旅行にでも出かけていたかのような気分だ。明日、久しぶりに気候のよいバンガロール宅に戻れるのがうれしい。ガマオは元気だろうか。
アルヴィンドは月曜日、再びムンバイに戻って来るが、わたしは来週一杯をバンガロールで過ごす。ムンバイ宅はこの一週間で快適に暮らせるよう調ったし、メイドのジャヤもよくやってくれているので、わたしが不在でもなんとかなるだろう。なんとかしてほしい。
●インドだもの。トラブルはあるのだ。
水道管の詰まりやギザからの水漏れなど、インド的な細かいトラブルはやはり発生し、関係者を呼んで微調整をする日々。今週一杯はムンバイにいてよかったと実感する。
さて、この項、爽やかではない話題なので、お食事中もしくは気分が冴えない方は、読み飛ばしていただきたい。
「ミホ! トイレがたいへんなことになった!」
朝、アルヴィンドがバスルームから叫ぶ。トイレが詰まって流れないらしい。
流してはならないものを流したわけではないようだ。いったいなぜ詰まってしまったのか。
あの、トイレ詰まりを解消する大きな吸盤のような器具。名前がわからぬが、あれが欲しいところだが、さすがに調達していない。
8時にメイドのジャヤが来たので、アパートメントの配管工を呼んでもらう。30分後に来るといって、ようやく来たのは10時ごろ。30分ほども「柄付き大型吸盤」で、スポン、スポンと、作業をしているのだが、水は流れない。
どうやら排水管に問題があるらしい。
アパートメントに出入りしている配管工は高い値段を要求するから、大家の会社の配管工に連絡するよう言われていた。従っては彼らに電話をするのだが、今日は来られず明日になるという。
トイレはもうひとつあるが、しかし明日からはバンガロール。このままの状態で放置しておく訳にはいかぬ。少々高くても、アパートメントの配管工に頼むことにした。
ほどなくして配管工親分、子分の二人がやってきた。
あれこれと、排水管を確認している。親分はといえば、ここは17階の高みだというのに、もちろん「命綱」などせず、トイレの窓から外に出て、外壁から管をチェックしている。うううぅぅぅ。
風がビュウビュウと吹きすさぶなか、プチ家作り時の「上海雑技団」どころではない危険度である。
なにかと作業を見守りたがる我ではあるが、見ていられなくなり退散。が、ほどなくして気になりトイレをのぞく。
……と、便器が取り外されて、ごろりと横たわっているではないか! うううぅぅぅ。
力なく横たわるその便器は、あたかも哀しみが具現化されたオブジェのようである。
見ていられなくなって、再び退散。と、しばらくして「詰まりの原因」が発見されたとの朗報。
トイレの洗浄をすみやかにするための、「便座に引っ掛けるタイプのプラスチック容器入り色付き液体」があるのだが、そのプラスチックの容器が詰まっていたらしい。以前の住人が流していたのだろう。
およそ7×6×3センチほどもある。そんなものが詰まっていてなお、ここ数日、流れていたことが不思議である。
しかし、問題はここで解決しなかった。便座と水道管を接続するパイプの部品(大きなネジ)が損傷してしまったのだ。そのネジは輸入品らしく、近所では手に入らないだろうと親分。
が、一応、探しに行ってもらったところ、結局見つからず。大家がこじゃれた便器を付けてくれたのはいいが、こういうところで不便なのがインドである。
壊れやすいが、修理もしやすいのがインドの機械、器具、その他であるが、部品がなければ話にならない。
バンガロール宅のあらゆる部品を国産にしておいたのは、調達に便利だという理由があってのことだ。
結局、離れた場所にある市場まで行ってもらい、部品を購入。午後4時頃になってようやくもとの姿となった。
今日はこれと並行して、SONYのスタッフによるオーディオ類の取り付け及び説明にはじまり、本棚の配達と組み立て作業、加えてギザ(湯沸かし器)の水漏れ工事など、あれこれあり、人の出入りが激しかった。
わたしがムンバイにいる間に問題が起こってくれるのは、むしろその方がいいのだが、ひとつひとつがすみやかに進まず、3歩進んで2.9歩下がる感じがじれったくもあり。
●好感度高し。ムンバイのメイド、ジャヤ
メイドのジャヤは毎朝8時にやってきて、2、3時間掃除をしていく。非常にさばけた人で、スローなバンガロールメイドのプレシラに比べると、体重は半分、スピードは2.5倍といったところか。ごめんよプレシラ。
使用人業界の女性たちはお洒落さんが多いのだが、プレシラやジャヤもしかり。毎日、色合いのきれいなサルワールカミーズを着てくる。アイロンもきちんとかかっている。ヘアスタイルもきちんと束ねられ整っている。
どう考えても、マダムな我の方が、みすぼらしい容姿である。こんなことではいかんと髪をときなおしてみるも虚し。
さて、ジャヤの仕事ぶりは、迅速であると同時に丁寧、確実である。飲み込みも早く、こちらの要望を速やかに理解してくれる。
ヒンディー語しかできないと聞いていたが、英語も結構通じる。勉強をしたことはないが、周りがしゃべっているのを聞いて自然と学んだらしい。賢い人なのだと思う。
さて本日、配管工に来てもらっている間、彼女が次の職場へ行かねばならない時刻となった。
時間は大丈夫なのかと問うわたしに、彼女曰く、
「男性が二人いるのに、マダムを一人残して去るわけにはいきません。次の職場には、電話をして夕方行くことにしますから、大丈夫です」
とのこと。なんとやさしい気遣いであろうか。そういう類いのことを言われたことがほとんどないので、妙に新鮮かつ、うれしかった。
●大家族主義のひとびと
人の出入りが激しかった本日。玄関を開け放ちておいたら、知らない婆さんが我が家に入ってきてうろうろとしている。「17階4分の3は一族郎党」のうちのいずれかの、老婦人であろう。
「失礼ですが、お隣の方ですか?」
わたしがやさしく問いかけるも、「英語はできぬ!」という態度で、何やら愛想もない。どう考えてもわたしをこの家の主とは思っていないようである。直後、一族郎党のご友人であるマダムがやってきた。
どうやらお隣のおばあさんらしい。さっき、TVを取り付けるのに、壁にドリルで穴を開けたのが、ひょっとするとうるさくて気に触ったのか。かなりの老齢で、少々、夢見心地のご様子でもある。
ご友人マダム、老婦人を引き取りつつ、
「このアパートメントは、もともと彼らのものだったんですよ」
わかってます。知ってます。知ってますとも。
その後もまた、エレベータホールに出るなり、人に会う。まだアルヴィンドと二人が一緒に落ちついて挨拶にいける状態ではないのだが、わたしは一人ですでに大勢と会って挨拶を住ませている塩梅だ。
それにしたって一族郎党が多すぎると思ったら、近所のビルディングに住む家族や親戚も行き来しているらしい。インドらしい、家族のつながりの濃厚さである。
が、インドに暮らすようになって、それはよい習慣であると、このごろは思うようになった。
週末、また義姉スジャータとラグヴァンに会えるのが楽しみなのだ。義父ロメイシュと義継母ウマにも、ムンバイ宅へ泊まりに来てとすでに誘っている。
諍いがなくて、本当に、幸せだ。