約十日のムンバイ滞在を終え、本日午後、無事にデリーへと帰っていった。雨ニモマケズ、風ニモマケズ、毎日二人で外出をし、ずいぶん楽しんだようだ。
今から25年ほど前、転勤の多かったロメイシュは、ムンバイにも2年ほど「半単身赴任」していた。地方によって言語や教育内容が異なるインドにあって、子供たちはデリーの学校に通わせ続けるべきとの亡母の考えかえら、スジャータとアルヴィンドは祖父(亡母の父親)の家に預けられていた。
亡母はといえば、1カ月おきに夫と子供たちの間を行き来する、まさに「二都市生活」を久しく送っていたのだった。
ロメイシュが住んでいたのは、現在の我が家カサブランカの目と鼻の先にあるアパートメント・ビルディング。つまりは彼にとってもここは懐かしい場所なのだ。
夏休みはアルヴィンドやスジャータもここを訪れ、当時は宿泊客以外も会員になれたTaj Presidentのスポーツクラブに入会し、プールで泳ぎ、ペイストリーショップでパンや焼き菓子を食べるのが楽しみだったと、折に触れては話を聞いていた。
その懐かしい場所を、ウマを連れて散策したり、ときに車に乗ってショッピングに出かけたり、旧友らと再会したりと、久しぶりのムンバイを満喫したようだ。
わたしはといえば、確かに家庭内人口密度の高さに加え、相手はやはり義理両親。自分の親や友人を招くのとは異なる「少々の気疲れ」は否めない。とはいえ、お互い干渉することなく、好き勝手にできるのはなによりで、やはりこれは恵まれている状況であろう。
二人だけの日常は、ともすれば会話も「煮詰まりがち」である。わずか十日とはいえ、「人生いつだって重要な岐路状態」に置かれているらしき我が夫アルヴィンドの仕事の話を、一身に引き受けずにすんだという点においては、楽だったともいえる。
ところで、昨日今日とムンバイは強風を超えて豪風、猛風である。吹きすさぶ風の音に、夜中何度も目を覚ますほどに。しかしながら暑さはさほどでもなく、どう考えても福岡母から聞くところによる日本の方が暑そうである。日本は亜熱帯と化しているのだろうか。
●異国で見るオリンピックは、白熱できない。特にインドでは。
オリンピックを見るとき、自分の中の日本人を知る。異国で見るオリンピックのつまらなさよ。なぜなら、日本人がほとんど登場しないからだ。米国時代の4年前も、8年前も、そうだった。
ことにアテネ・オリンピックのときは、日本人選手の活躍をじっくりと見たいと思った。日本でならば、何度も放映されるであろう日本人選手のハイライトを見ることがかなわず、しかしそれでも、米国時代はましだった、と思わざるを得ないインドのオリンピック報道よ。
オリンピックは、DD (Doordarshan) と呼ばれる国営放送で放映されている。
アルヴィンドが、自分がインドを離れて米国の大学に進むことになんら迷いがなかった子供時代を語るとき、必ず持ち出すのがDDの話題である。
「僕が子供のときはね〜。テレビはDDしかなかったんだよ。1チャンネルだけだよ。地方農村の農業の様子とか、伝統工芸とか、民族舞踊とか、そんなのばっかり。全然つまらなかったんだよ!」
さすがインドの国営放送である。開会式の際、途中で電波が途切れて、しばし暗闇となったのには驚いた。その後、オリンピックの様子を知りたいものだと見てはみるが、なにやら構成がだらしない。
大事なところで、国営放送ながらもコマーシャルが流れたりする。それが国営らしく「郵便局を利用しましょう!」などといった前時代的なコマーシャルだから笑える。
さらには、こういってはその競技をしている人々に失礼だが、よりによって地味な競技ばかりが映し出される。
インドは人口10億人を超える大国ながら、スポーツと言えばおなじみのクリケット一色で、圧倒的な人気を誇っている。オリンピックには、あまり力を入れておらず(多分)、出場者は極めて少ない。主にはマイナーな個人競技なのだ。
「アーチェリー」「乗馬」「射撃」「重量挙げ」「カヌー」など、見ていてあまりにも、白熱できなさすぎるものばかり。たまに「飛び込み」「バドミントン」などが花を添つつも。
その割に、レポーターのシャツとネクタイが、妙に派手でまばゆい。一方、解説者がバスケットボールとバレーボールを言い間違えるなど、スポーツ解説に不慣れな様子。
ところで先刻、女子バスケットボール(オーストラリア対ブラジル)が映し出されていたので、どれどれちょっと観戦しようかなと、元バスケ部はソファーに腰掛けたところ、ゲーム残り2分というときになって、いきなり場面はインドのスタジオへ戻ってしまい、結末を見せてくれない。呆然。
確かにオーストラリアが勝利するであろう状況は見て取れたが、それにしたってあんまりじゃなかろうか。
●金メダルを獲得したのは、妙に落ち着き払った男だった
しかしながら、今日はインド人選手が史上初めて金メダルを獲得したとのことで、アルヴィンドと二人、気を取り直してDDの放送を見続ける。
※後日、実は「個人種目として史上初の金」ということがわかった。80年モスクワ大会のホッケー男子で、インドチームが金メダルをとっていたらしい。この事実、あまりにも報道されなさすぎである。
射撃の試合を見るのは、生まれて初めてのことだった。無言で二人、テレビに向かいながら、あまりの地味な試合運びに、笑いが込み上げて来る。すみません。しかしこれはスポーツというよりも、チェスとか将棋の対戦に近いような気がする。
加えて言えば、インドに史上初の金メダルをもたらした選手がまた、見事に淡々としていて年齢がつかめない。周囲の関係者は興奮して喜びをあらわにしているのに、彼はといえば、感情を抑え、悠然とした態度で微笑んでいる。
表情は、円熟味を帯びた熟年の男性のようでもある。が、実際は25歳らしい。おもしろい。
直後のインタヴューでは、「(金メダルをもらったという)結果がすべてではない」などと語っている。いやいや、金メダルを取れたんだから、結果がすべてだと言ったっていいであろう。もっと喜んでいいだろう。
喜怒哀楽をあらわにしてはならない宗教にでも帰依しているのだろうか、とさえ思わせる。
インドの国旗が掲揚され、国歌が流れるシーンでは、アルヴィンドが、
「感動するね」
と一言、口にしたものの、それは一瞬のこと。直後、チャンネルを変え、再びクリケットの試合を見始めたのだった。
「オグシオ」とは、競馬の馬の名前かと思っていた。今日、初めて事実を知った。