20代やら30代のうちから、
「わたし、おばさんだから」
「わたし、もう歳だから」
などと鬱陶しいことを言うのは、多分日本の女子くらいだと思う。そんな女子らは自分たちが40歳や60歳や、80歳を過ぎたときのことを想像すらしないだろう。どれだけばばあだ、という話だ。
世間の話はさておき、しかしだからこそ、あまり寄る年波については言及したくないのだが、昨今のわたしは若干、大人になった(歳を重ねた)ことを実感している。
身体のたるみなどは、とうの昔から始まっていたが、このごろは少々、疲れやすくなったように思う。たとえば朝、目覚めるのが辛い。睡眠不足というわけでは決してない。なにしろ我々夫婦はよく寝る。最低でも7時間。8時間が理想である。
しかし最近は、うっかり8時間さえも超えて目覚め、朝のヨガをしないまま1日を始めたりする。さらには、午後の外出から帰宅して疲労困憊の際には、昼寝さえもしてしまう。
そんな不調に対して、夫からの同情を得たく、弱音を吐いてみた。
「最近、とても疲れやすくて、朝起きるのが辛いし、午後も時々昼寝が必要なの。やっぱり、歳をとってきたのかなあ……」
すると、夫、
「大丈夫だよ。歳をとったら、普通、眠れなくなって、早寝早起きになるんでしょ。寝られるんだから大丈夫だよ」
そ、それは……。
眠れなくなるとは、老人の話ではあるまいか。まだ誰も、そこまで歳をとったという話をしているのではないのだが。
妻の、たとえば更年期障害だのなんだのを認めたくない気持ちはわからないでもないが、そこまで一足飛びに語っての楽観視はいかがなものか。
自分の身は自分で守るべし。改めて決意する夕餉の食卓。
●インド人に嫁いだ世界各国の女性が集まる
インド人を伴侶に持つ海外国籍の女性たちのグループの存在については、以前も一度ここで触れた。Aadhaarと呼ばれるその会。興味がないわけではなかったが、積極的に参加しようとはまだ、思っていなかった。
ところが昨日、INDUSの会合で、何人かの女性に声をかけられ(新人にはみな、気を配って積極的に声をかけてくれるのだ)、そのうちの一人がAadhaarの役員をしているとのこと。
「ちょうど明日、ランチ会合があるから、あなたもぜひいらっしゃいよ」
と誘われる。明日は原稿を書こうと思っていたが、まだ締め切りまでには時間もあるし、場所はブリーチ・キャンディと南ムンバイでさほど遠くないし、それではと、参加してみることにした。
場所は荒波打ち付ける海辺に位置するBreach Candy Club。古くからのソーシャルクラブのようで、外国人メンバーが多いようである。
本日集まったのは、20名ほどの女性たち。メンバーは実際に70名ほどもいるらしい。
若い女性から年配女性まで、国籍も豊かに、しかしインド人が伴侶という唯一の共通点でつながっている。
話した詳細をくまなく記したいほど、かなりユニークな集まりであり集いであった。周辺には、デンマーク人、カナダ人、オーストラリア人、米国人数名がいて、それぞれの話を聞く。
在印数年から十数年まで、そのインド歴はさまざまで、生き様もまた、多彩だ。夫の家族とともに暮らしている人が大半なのは、ムンバイの住環境からしてもうなづける。
数年前まで洗濯機がなかった家庭がほとんどで、十数年、ジーンズを手洗いしていたという同世代の女性もいる。最近乾燥機を買ったことに罪悪感を覚えている女性もいる。
乾燥機については、わたしも書きたいことがあるのだがこれはまた、別の機会に。
印象的だったのは、昨年米国から移って来た女性。彼女はニューヨークのウォールストリートで9年ほど働いていたのだが、教会のヴォランティアにも積極的に参加していて、ムンバイを訪れストリートチルドレンや風俗業界で働く貧しい女性たちと接して来た。
そんな中、ムンバイで現在の夫と出会い、結果的にはキャリアを捨て、夫もまた当時持っていたキャリアを捨て、二人でNGOを発足したという。
世間にはいろいろなNGOがあるが、信頼できる組織は決して多くない。それはわたしも痛感しているところだ。だからこそ、彼女たちは、自分たち自身で組織を立ち上げたのだという。
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南ムンバイからはかなり遠いが、いつか彼女たちのところを訪問させてもらいたいと思った。
2時間あまりの間に、いろいろな会話があった。わたしは途中でくたびれて、しばらくはただぼんやりと、周囲の話し声を聞いていた。わたしの目の前の、老齢のご夫人が、そんなわたしを見て声をかけてきた。
彼女は、もう何十年も前に、カナダからインドへ来たという。夫は他界して久しく、子供もおらず、カナダにも身内はほとんどおらず、だから一人でムンバイに暮らしているのだという。
遠い先のことを、考えても仕方ないと思う。
しかし、ふと自分の未来を重ねてみた。わたしたちも子供がいない。夫の方が若いとはいえ、どちらが先に亡くなるかなどわからない。スジャータやラグヴァンはヨガをやっていてヘルシーだから長寿なカップルになるかもしれぬが、彼らの寿命だって、わからない。
わたしがもしも、インドで一人になったら、わたしはどうするのだろう。
日本へ戻る自分を想像できない。
人手過剰なインドで、何人かの使用人の助けを借りて暮らすだろうか。バンガロールの自宅は、そのころどうなっているだろうか。デリーの両親が残すであろう家や土地は、いったい誰が管理しているだろうか。
いろいろとあっても、有効に使わなければ意味はなく、子供がいないということは、引き継ぐ人がいないわけで、近い将来、遠い将来のヴィジョンを、夫はまだしもわたしは少しずつ、考えながら生きて行く年頃になってきているような気がする。
体力があれば、世界のあちらこちらを旅しながら生きるだろうか。それとも、ニューヨークのセントラルパークを見下ろすアパートメントでも買って、一人でのんびり暮らすだろうか。ほんの数十秒、思いを巡らせたが、ともあれ今は、考える時期ではない。
なんにしたって、決め手は体力精神力だな、との答えに行き着いて、やはり健康管理をしっかりやろうと思うのだった。