●哀れまれて複雑な気持ち。
ムンバイにはいろいろな集まりがある。今日はWRITERという名の引っ越し業者が主催するコーヒーモーニングが、近所のテキスタイルショップSOMAで開かれたので、立ち寄った。
引っ越し業者がなぜ「WRITER」かという話はさておき、この引っ越し業者には2度お世話になったことがある。とてもサーヴィスがよかったという話もさておき、十名余りの女性が集まっていた。
SOMAでは買い物をしたかったこともあり、商品を眺めつつ、知り合いと挨拶を交わす。と、知り合いの米国人女性が、やはり白人の、50歳前後とおぼしき女性を紹介してくれた。
挨拶をし、名前を交わし合った直後、いきなり、
「あなたのご主人は、どちらの会社にお勤め?」
と聞かれて驚いた。日本人以外で、いきなり夫の会社の「社名」を聞く人に遭遇したのは初めてだったからだ。わたしはこういう会話の流れが苦手である。
大雑把に職業を聞くならまだしも、会社名。夫の話よりもまず、わたしのことを聞けよ。と、思うのだが、質問を無視するのもなんなので、会社名ではなく、
「投資関係の仕事をしてます」
と言ったところ、二人して、
「あらまあ、たいへんですわねえ」
と、わたしを憐憫の目で見る。
なんなんだこの人らは。
世の中には投資関係、金融関係、いろいろな会社がある。たった数十秒前に会ったばかりで、夫の国籍も会社名も、具体的に何をやっているかもしらずに、哀れまれるのはどうしたものだ。
リーマン・ブラザーズが倒産したからって、世界中の金融業界が没するわけではない。
「別に、なにもたいへんじゃありませんわよ。
「そもそもうちの夫は、高級車を乗り回したり、高級ブランドのスーツやら靴やらバッグで身を固めたり、高級レストランでドンペリをじゃんじゃか開けたり、プライヴェートでもビジネスクラスで飛び回ったり、中洲のバーで女の子たちをはべらせて大騒ぎしたり、というようなバブルな暮らしはしておりませんの。
「パンツや靴下は穴があくまで履きますし、シャツなんて、まだ亡父のおさがりを着ているんですわ。こないだなんて、輸入のハーゲンダッツのアイスクリームが高過ぎるからと、いったん支払ったのに、返品したんですのよ、おほほほほ。
「そんなわけで、百万が一、何かがあっても、さほどダメージはありませんの。ご心配にはおよびませんわ。ごめんあそばせ」
とでも言いたいところだったが、言ったわけでは、もちろんない。しかし、気分が悪かったので、すぐその場を離れた。離れながら思った。なぜわたしは、気分が悪いのだろう。もしかしてわたし、かなりプライドが高い?
確かに、低くはないようだ。
彼女たちに悪気はないとわかっているのに、気分を害する自分に、正直なところ呆れた。この間、Eさんの夫がリーマン・ブラザーズだという話を聞いたときに、「なんてことでしょう」とシンパシーを寄せた自分と、矛盾してもいるではないか。
そんな正体不明に高飛車な自分が、よくわからない。
価値観のこと。仕事のこと。景気のこと。お金のこと。このあたりについて触れたいと思いつつ、テーマがテーマだけに書けぬまま、歳月が流れている。
わたしがなぜ、夫が米国ではなく、インドに来るべきだと実感したかについても、もう少し掘り下げて書きたいとも思っている。
わたしはなにも、米国の暮らしに飽きて、インドに刺激を求めたかったがために、移住しようと夫を促したわけではない。まあ、それももちろん、あるけれど。
ヴェンチャーキャピタルやら、プライヴェートエクイティといった資本主義炸裂の投資関係の仕事についている夫と、彼を取り巻く同じ業界の米国人を見ていて、わたしはさまざまな意味で、違和感や危機感を覚えたのだ。
彼が、米国の、この業界に身を置き続けるべきではない思う出来事が、あれこれとあった。本人はそんなことは思っていなかったかもしれないが、わたしはそばで見ていて、そのことがよくわかった。
途方もない大金持ちたちが、なぜプロザック(抗鬱剤)を飲むのか?
自宅に空港が必要なのか? 自宅に高級レストランのシェフを引き抜いて置く必要があるのか? 生涯で飲みきれないほどの稀少ワインを貯蔵しておく必要があるのか?
と、この話になると長くなるので、また時をあらためたい。
●さよなら、Mac Book。
なんと刺激的でスリリングなんだろう。我が日常生活よ。
結論からいえば、MacBookはハードディスクドライヴ(HDD)が壊れていたらしく、データの救出は、不可能であった。どこか特別な救出センターへ持っていけば、治る可能性もなきにしもあらずだが、それも諸事情により、諦めた。
Muse Publishing, Inc.の設立と同時に1997年、初めてアップルコンピュータを購入した。以来、十年余り、5台のコンピュータを使って来たが、こんな壊れ方は初めてであった。
ひょっとして、埃っぽいインドのせい? バンガロール宅では電力安定供給装置を通して使っているが、ムンバイで使っていなかったので、それが原因? などと、こちら側の非を探してみたりもするが、しかしアルヴィンドのコンピュータは埃にまみれていようが、粗雑な扱いを受けようが、何年も元気にしている。
帰国の際には、一応マックを一台新調するが、非マックのPCも買うと、強く心に決めた。
さて今日は、コーヒーモーニングの後、アップル関連の店へ赴いた。
アトリアというショッピングモールの中に、アップルのImagine Storeがあるのは知っていた。アップル直のApple Storeはインドにはないので、バンガロールでもコラマンガラにあるこのImagine Storeを利用することになる。
が、数カ月前、リライアンスグループの弟、ムケシュ・アンバーニの会社が、アップルと提携してiStoreをムンバイにオープンした。バンガロールはUBシティに店舗がある。ムンバイ店はアトリアへ行く途中にあることは知っていたので、一応立ち寄ることにした。
店は、狭かった。バンガロールのほうが遥かに洗練されている。スタッフは男性1名。見るからに、コンピュータには詳しくなさそうだ。「ここで修理を受けられますか」と聞けば「ここではできないのでサーヴィスセンターへ持っていってください」という。
こんなことでいいのか、ムケシュ。兄弟喧嘩ばっかりせず、もっとクオリティの高い店舗展開をしてほしいものだ。ところで彼と、スティーヴン・スピルバーグ率いるドリームワークスとの提携が決まったようである。エンターテインメント業界でも、インドの経済力が動き始めている。
ムケシュはかつて、たいそう肥満していたらしいが、いまはスリムだ。いったいどのようなダイエット法で痩せたのだろうか。
そんなムケシュの話はさておき、サーヴィスセンターはどこかと聞けば、そのスタッフの兄さんは即答できずもじもじしている。と、店内にいた女性客が、「アトリアモールよ」と教えてくれる。やはりアトリアモールへいくべきだなと、車に乗り込む。
アトリアモールのImagine Storeへついた。修理はできますか、と問えば、できるという。あなたがエンジニア? と問えば、いいえという。エンジニアはどこ? と聞けばトイレだと言う。じゃあ、待ちますと答えると、ぼくに説明してくださいと言う。
あなたは、エンジニアではないんでしょ? 説明しても意味がありませんから待ちます、と言うと、黙る。が、しばらくしてまた、そのコンピュータ、どこが悪いんですか、ちょっと見せてください、と言う。いいからほっといてくださいと言う。
あああ。果てしなく、インド的。
そうこうしているうちに、エンジニアの兄さんが来た。我がMacBookの立ち上げにトライしてみるが、うまくいかない。バッテリーをはずしてシリアルナンバーを確認する。インターネットで検索し、保証期間が来年11月までとのことをチェックする。
「これはハードディスクが壊れているようですから、サーヴィスセンターに持っていってください」
「え? ここがサーヴィスセンターじゃないの?」
「いいえ。ここから車で10分ほどのところです」
やられた。
取りあえず、バックアップ用の外付けのハードディスクを購入し、店を去る。
その謙虚なまでの小さなリンゴマーク(看板の右上)は、いったいなぜなのか?
できることなら、その存在を知られたくない理由でもあるのか?
ドアをあければ、6畳一間ほどのがらんとした小さな部屋に、窓口があり、机が二つ。
アップルコンピュータが2台置かれていることで、辛うじてそこがアップルのサーヴィスセンターであることが推測できる。
受け付けにいたお兄さんが、奥から外付けのハードディスクを持って来て、それで立ち上がらせようとするが、うまくいかない。
「ハードディスクがだめになっているようです。取りあえず、細かいチェックをするために、お預かりします。ハードディスクがだめになっていた場合、保証期間内なので、新しい物と取り替えます。ハードディスクはバンガロールから取り寄せるので、3日ほどかかります」
「古いハードディスクは、どうなるの?」
「あくまでも、新しいものと交換ですから、古い物は引き換えに渡すことになります」
わたしがこまごまと未練がましい質問を繰り返すのを聞きながら、彼は伝票を作り、
「今日の5時半に電話をください」
と言って、奥の部屋に消えていった。
6時頃電話をしたら、やはり、だめであった。ハードディスクを、専門の救出センターみたいなところに持っていけば、ひょっとするとデータを取り出せるかもしれないが、難しいだろうとのこと。修復目的で古いハードディスクを自分で持っていたいのであれば、新しいハードディスクを購入せねばならないらしい。
8月末までのデータは、取りあえず、外付けのハードディスクに取ってある。メールの保存だけがうまくいっておらず、2年分を失った。しかしこれと、この半月の写真とデータを取り返すためだけに、骨を折るのはもう面倒だとも思う。
諦めることにした。
今後はもっとこまめにバックアップを取り、大切な書類はこまめにプリントアウトをし、機械に頼りすぎないようにしようと思った。
そんな次第で、これをお読みの友人知人各位。下記のメールアドレスに、名前を書き添えたメールをお送りいただけますか?
お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。
どことなく、ブルーなときには、おいしいものを食べるべきだ。
遅いランチをとろうと、Indigo Deliへ赴く。
スイカジュースを飲み、ピザを平らげ、食後のカフェラテを飲む。
データが戻らないことを仮定して、その損失についてあれこれと思いめぐらす。
なんとかなるな、と思う。
さて、パンでも買って帰ろうかと、トイレに入り、トイレから出た途端に、知り合いの日本人ご夫婦に遭遇。
しばらく立ち話。
The Taj Mahal Palaceにある小物店MALABARの話を聞き、噂には聞いていたが行ったことがなかったので、帰りに立ち寄ることにした。
かつてはグランドフロアにあったらしいが、数年前に奥の方に移動したらしいのだ。
ホテルに入り、ひんやりとした空気と、芳しいフレグランスの薫りに包まれた途端、ほっとする。
本当に、このホテルは落ち着く。
インドの日常のごちゃごちゃが、す〜っと溶けていくような気持ちになる。
お気に入りのシーラウンジの前を通り、左に折れてバンケットルームの方へ向かい、右へ曲がって直進した果てに、その店はあった。
すてきな雑貨やジュエリーがあれこれとあり、いくつかを買い求めた。
その中でも本日のヒットは下のシューケースだ。移動の多いわたしにとって、このシューケースは、とても便利。とりあえず3セットを購入した。
店番をしていた女性スタッフに聞いたところ、この店は50年前からこのTAJにあるのだという。5年前に現在の場所に移ったのだとか。またときどき、訪れてみようと思う。
その後、書店でしばらく過ごして、帰路についた。
いろいろあったが、概ねいい一日だった。