ヒンドゥー教における正月であり、光の祭りであり、女神ラクシュミーの祝祭でもあるディワリ。異文化と異習慣が混在するインドにあって、ほぼ全国的に「盆正月とクリスマスが一度にやってくる」ような騒ぎとなる。
町中がきらびやかに飾り立てられるばかりでなく、ディワリ前後、世間は花火と爆竹で毎夜うるさい。世間では、28日火曜日がディワリとなっているが、バンガロールでは月曜だ、デリーは火曜だと、なにやら日にちもはっきりしない。
さて、我々夫婦は、義姉スジャータ&ラグヴァン宅で一足早くディワリを迎えるべく、本日彼らの家に赴いた。
彼らが花火を準備してくれるとのことだったが、夫アルヴィンドが自分たちも購入すべきだというので、途中で花火屋に寄ることにした。
花火屋はディワリ前だけの特設店だ。米国時代、7月4日の独立記念日前に、やはり特設の花火屋が街に点在していたことを思い出す。
映画館前の広場に、その花火屋はあった。店舗が二つあり、一つは「バラ売り販売店舗」、もう一つは「箱入り販売店舗」である。バラ売りの方は長蛇の列。箱入りは割高らしいが、延々と並ぶ根性と時間がなかったので、箱入り店で買うことにした。
それにしても、ダイナミックな花火の数々。色とりどりのパッケージが、否応なく花火気分を盛り上げてくれる。
みな、何種類もの花火を山のように買っていく。どれがどのような花火かを熟知している、慣れた感じの買い方が憎い。
「段ボール箱買い」される花火。花火や爆竹、というよりも、「爆弾級」の轟音を響かせるまさに、Bomb(爆弾)系の花火が多いのも特徴だ。アルヴィンドが購入したのは右上写真の左の箱。内容物が列記されている。
ちなみにタミール・ナドゥ州のシヴァカシ(Sivakasi)という町がインドにおける花火及びマッチ製造の中心地らしい。近年、中国などから花火製造の技術を学び、バラエティ豊かな品揃えの花火を製造しているとのこと。
今年は例年以上に価格の幅が広く、つまりは階級差を超えて多くの人々が花火を楽しめることになりそうだと予測されている。
ところでシヴァカシでは、花火製造に携わる子供たちの「児童就労問題」が、しばしば取沙汰されている。看過できない「光と影」の問題を、この国はあらゆる場面で抱えている。
さて、ヴァラダラジャン家に到着すれば、一室にプジャー(儀礼)の準備がされていた。
一応ヒンドゥー教に帰依しているマルハン家であり、ヴァラダラジャン家であるが、どちらもあまり(ほとんど)敬虔ではない。
米国旅行の際には、ビーフステーキを食べだめる、くらいの人たちである。
まったくもって、敬虔ではない。
しかしながら、昨年他界したダディマ(マルハン家の祖母)が、折に触れて口にしていた「祝祭日のプジャーはちゃんとやりなさい」との提言を受けて、今年はスジャータがミニマム(最小限)にプジャーの準備をしていた。
スジャータが書いてくれたマントラを、彼女の先導によってみなで唱和する。……ことにしたのだが、文中に知らない単語を見つけては、アルヴィンドが、
「これどういう意味?」
と、質問を繰り返す。
スジャータも、ラグヴァンも、もちろんわたしもわからず、みなで、わからないことがおかしくて、一人が笑い始めたら、みな笑いがとまらず、一同、箸が転げてもおかしい年頃と化す。スジャータは、
「わたし、本当はこんなこと、やりたくないの。苦手なんだから。でも、みんながやれっていうから、やってるんだから、ちゃんと真剣にやってよね」
といいつつ、
「オーム」
と始めれば、アルヴィンドが笑い出し、それにつられてラグヴァンも笑い出し、まったくもって、神聖な雰囲気がない。
途中でラグヴァンの弟、マドヴァンもやってきて、茶々を入れるものだからまた笑い始める。
ようやく気を取り直して始めたかと思ったら、今度はわたしの「へんな発音」の唱和がおかしいのか、またみなが笑い出す。
「みんな、真剣にやろうよ!」
と、このわたしが言い出す始末であった。
それでもなんとかマントラを読み上げ、最後は各自がしばらくお祈り。ひとまずは、無事に終了することができた。
それにしても、真面目なんだか不真面目なんだかよくわからない感じが魅力のヴァラダラジャン夫妻である。
そういえば、去年のディワリのときも(←文字をクリック)「プチ・プジャー」をして、笑ったことを思い出した。なんと不謹慎な我らであろうか。
チャナ豆の煮込みとバトラ(揚げパン)。
チャナ・バトラと呼ばれるこの料理は、北インドでは非常に一般的な「スナック食」である。
揚げたてのバトラがかなりおいしく、何枚も食べてしまう。
スナック食とはいえ、すぐに満腹になってしまう一品だ。
食事をすませたら、デザートはあとから、ということで、早速みな、花火をするべく準備をはじめる。
ゴミ入れ用のバケツやら(毎度、消火用の水はない)、ロケット花火用の台となるボトルやら、キャンドルやらを手に手に、屋上へと向かう。
30、40の中年男女5名が、なにをそんなに張り切って花火だろうか。
と、冷静に事態を振り返ったりしないところがインドである。
すぐさま「童心に帰って」花火である。
というよりも、「常に童心が共存している」と言った方が、的確かもしれない。
そんなことはさておき、我々が購入した箱入り花火は、箱入りだけあって品揃えがまずかったようだ。
まずいというより、やばい。「ボム系(爆弾系)」がやたらと多いのだ。
「爆発ものは、嫌いだから、やらないでよね!」
と、スジャータ姉は厳しい。
それにつけても、この品揃え。
その殺傷力やいかに?!
いったい、どういう花火セットですか、という話だ。
さて、ボム系を除く花火の大半を、1時間あまりもかけて、ほとんど遊び尽くした。なんだかよくわからんが、楽しかった。
まだインドに移住する前の2004年。わたしたちはアルヴィンドの出張でインドを訪れ、バンガロールで家族一同がディワリを過ごす機会を得た。
あのとき、初めて体験した花火(←文字をクリック)の盛り上がりを、懐かしく思い出す。
わたしもすっかり、インドの生活になじんでしまったものだと、感慨深く、火が消えれば、空気がしんと冷え込んで、寒いくらいだ。木々の緑の冷たい香りに包まれながら、耳に爆竹の余韻を残しながら、部屋に戻る。
ワインを飲み、スイーツを食べ、語り合い、深夜近くになって解散。帰路へと就いたのだった。いい夜だった。