バンガロール宅に一旦戻って来たものの、しかし今年も旅が多い。せめてここにいる間に、こまごまと片付けておきたいと思う。
今日は外出をせず、片付けとデスクワークに集中することにした。我々の不在中は、メイドのプレシラが管理をしてくれていたものの、今まで見て見ぬ振りをしてきた物置(使用人部屋)が、混沌世界となっていた。
最近でこそ、ないところもあるが、インドの家屋にはあらかじめ使用人部屋が備え付けられているのが一般的だ。ムンバイのアパートメントにもあったし、ここにもある。しかしプレシラは住み込みではないので、物置にしている。
物置にあるものを、ともかくすべて外のバルコニーに出してもらい、それらを取捨選択する。4年前の移住時にアメリカから持って来たものが、未だ残っている。
役に立たないにもかかわらず、場所をとっているものにミーレ(ドイツ製)の掃除機がある。毛足の長い米国のアパートメントのカーペットに対応すべく、吸引力のない米国の掃除機に見切りをつけ、超奮発して購入したものだ。インドでは電圧の違いがあるため使えない。
いや、電圧が同じでも、ほとんど使うことはない。というのも、未だインドでは、「掃く」&「モップかけ」が一般的なのだ。
と、掃除機で頭を悩ませていると仕事がはかどらないので、ともかく数年間必要なかったものは、寄付するか廃棄処分にするかを仕分けて、多数を手放すことにした。
それにしても、プレシラは、あらゆるものを「ぐいぐいと無理矢理、袋に詰め込んで、袋の口をしめて、奥深くしまう習性」があるようだ。たまらん。
もっと早く気がつくべきだった。几帳面になりすぎないよう、彼女の実力に応じて的確に指示するのは、塩梅が難しい。ともあれ、一度すべて自分で片付けて、見本を示すのが一番だと判断した。日本人のように几帳面で収納上手な人種も珍しいのだから。
と、自分に言い聞かせながら、「やさしく指示しなきゃ」と思いながらも、口調は鋭くなっていたのだろう。わたしの声を聞いていた夫が言う。
「ミホ、プレシラに、もう少しやさしくしたら?」
自分が思っているよりもずっと、わたしは口調がきついらしい。声がでかいせいもあるが。
夫と口論しているときなど、たまに自分の声の大きさにギョッとすることさえある。怒声が腹の底から出ている自分に感嘆する。マイクなしでカラオケOKなほどの声量を、有効利用できないものだろうか。わたしは何を書いているのだろうか。
そういえば、先月の「賀詞交換会」があった夜、帰路、夫がしみじみと言ったのだった。
「日本の女性って、本当にやさしくて、丁寧で、ソフトな雰囲気だよね〜。どうしてミホは、違うの?」
「あのねえ。日本人の女性は、外ではやさしく見えても、家では変身するの! 声なんか全然違うはずよ。わたしとたいして変わらないって。あなたはなにも、知 ら な い だ け !」
「え〜、そう? ○○さんも、◎◎さんも?」
「あったりまえよ」(○○さんも、◎◎さん、ごめん)
「え〜僕はそう思わないなあ」
「あなたは世間を知らなさすぎる」
「僕は、ミホが攻撃的すぎるだけだと思うけど」
「失礼な。じゃあ、攻撃度を10段階で判断するとして、わたしは日本人女性の中でどれくらいだと思う? 平均を5としたら」
「ん〜〜。25!」
25かよ! それ、振り切り過ぎやろ!
「じゃあさ、インド人女性と比べたらどうなわけ?」
「5」
ほほう。ってことは、日本人女性はインド人女性に比べると、著しく温和だということになるらしい。ま、わからんでもないな。
……などと、どうでもいいことを、この疲労困憊の夜に書き続ける我。そろそろ寝るとしよう。昨日の話題に関連して、あれこれと書いておきたいことがあるのだが、別の機会にしたい。
それにしても、2月は逃げるし、3月は去るものである。日々を大切に、生きたいものである。
今日の夕飯は、久々にマナガツオの塩焼きだった。ヒマラヤ産コシヒカリを炊いて、野菜炒めを添えて、食べた。おいしかった。コシヒカリやら炊飯釜については、「キレイなブログ」↓に書いているので、どうぞ。
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■ヒマラヤ産コシヒカリをマニプールの釜で炊く。
■地元市場、ラッセル・マーケットへ。