↑遅々として「進んで」いるバンガロール・メトロの工事。なぜか一人だけ、命綱あり。
日本は桜のころだろうか。ワシントンDCもまた、桜のころだろうか。DC在住時は、さまざまな花が開花する今の時期が最もよかった。春先のスイセンにはじまり、サクラ、ツツジ、ハナミズキ、バラ……。
2005年6月に離れて以来、はや5年。一度も訪れていない。ニューヨークへは約半年おきに訪れているというのに。
その半年に一度のニューヨーク行きが一週間後となった。滞在日数は未定だし、他の都市に行くかどうかもまだ未定。ひょっとするとDCに足をのばすかもしれない。春のDC。久しぶりに訪れてみたい。
先日から、トーマス・フリードマンの著書『グリーン革命』(温暖化、フラット化、人口過密化する世界)にちなんで、あれこれと環境問題に関することをまとめて書きたいと思っていたのだが、このテーマ、書くとなるとなかなかに気合いがいる。先日は中学時代の作文紹介で終わってしまったし。
なにかをきちんと書こうとすると書き始められないので、きちんと書こうとは思わずに、心によぎることをバラバラと書いてみようと思う。
インドに暮らすようになって、米国時代に大いに疑問に思っていた「反エコロジカル」なライフスタイルを、改めて認識している。
先進国化することによって、文明が進みゆくことによって、遍く事柄が便利になっていくことによって、同時に喪われてきたものを、明らかにしなければ、発展途上国は同じ轍を踏むことになる。
中国やインドなど、膨大な人口を抱える国が同じことを繰り返しては、地球のダメージたるや計り知れない。その恐ろしさを、「激変するインド」に暮らしているからこそ、痛感する。
すでに高度経済成長を果たし、先進国と呼ばれている国に生まれ育ち、住んでいる人にとって、インドのこの変貌がどれほど恐ろしいものなのかを、理解するのは難しいかもしれない。
たとえば日常。二都市生活をしているとき、バンガロールではタクシーサーヴィスを使っていたが、ムンバイでは自家用車を買った。
米国時代はホンダのアコードに乗っていて、とても乗り心地がよく故障もなかったので、同じものを買おうかと思っていた。しかし、インドではアコードですら「大きな車」に見える。特にムンバイのように、昔ながらの小さなフィアットが走っている中で、アコードはいかにも高級車の部類だ。
結局、シヴィックを買った。乗り心地はよい。しかし、驚かされたのはその燃費の悪さだ。いや、シヴィックそのものの問題というよりも、ムンバイという、慢性的渋滞で、しばしば停車が必要な環境では、それは当然なのかもしれない。
米国時代は、どこにいても大抵スイスイと走っていた。ささっと給油して、燃費のことなど特に考えもしなかった。しかしムンバイでは、さほど移動していないにも関わらず、ガソリンはどんどん減る。ざっと計算してみたところ、1リットルあたり、7キロ前後しか走っていない。
市街でもせめて10キロは走るだろうと思っていたから、驚きであった。自分たちが移動するだけで、こんなにもガソリンを使っているのかと思うと、なんという無駄だろう、どなたか一緒に乗って行きませんか? という気分になる。
もっと小さめの、あるいは低燃費の車を探して買えばよかったとさえ思った。
バンガロールにはREVAという電気自動車の会社があるのだが、主には英国への輸出用だ。大人は2人用の小さな車だが、いつか自分の移動用にはこの車を買いたいと思っている。割高だが、こういう車こそ、この埃まみれのインドの都市には必要だとさえ思うのだ。
ならば公共の交通機関を使えばと思われるかもしれないが、それは簡単なことではない。先進国のそれとは事情が異なる。第一、安全ではない。百歩譲ってオートリクショー。それでも排気ガスがすごい。バックパッカーだった元気な若者時分のわたしなら躊躇もないが、今更それはできない。
個人的に、インドでは日常的にバスや電車を利用して移動することは考えていないから、車での移動をいかに「軽くするか」がテーマだ。
インド各地で深刻なのは、慢性的な水不足。富裕層や中流層は、お金で水を手に入れられるからまだいい。問題は低所得者層の人たちだ。
スラムの傍らを通過するとき、バケツを携えた人々が、給水車からが水を大切にくんでいるさまをしばしば目にする。飲み水も、洗濯の水も、なにもかも、バケツに汲んでとっておかねばならない。バンガロールに限らず、ムンバイでもそうだった。特にモンスーンシーズンの前の乾いた時期は。
しわ寄せは、弱者に来る。
停電もしばしばだ。一日のうちに何度も何度も停電が来る。富裕層や外国人駐在員などが住まうアパートメントビルディングなどは、自家発電装置がついているからまだいい。数秒の間があったとしても、大した問題じゃない。
中流層、低所得者層の住居には自家発電装置がついていないところが大半だから、一日のうちに電気が通らない時間が非常に長い。冷蔵庫や洗濯機など、家電は使えたものじゃない。
電力が安定供給されていないのに、家電はどんどん増える。
道路が足りないのに、標識がないのに、車がどんどん増える。
十億を超えるインドの人々が、今、先進国化、米国化していることを、恐ろしく思う。
わたしは27歳のときに、モンゴルを旅した。今から18年前だ。ペレストロイカ直後のウランバートルは、暗闇に包まれた首都だった。帰国後、旅の記録を自費出版した。その最後に、わたしはこう記した。
「ウランバートルは、これから先、どんなふうに発展していくのだろう。束の間の旅人の、身勝手な言葉をきいてもらえるならば、いつまでも、暗闇が美しい、世界で最後の首都であってほしいと願う」
この一文をして、読んでくれた人からやさしい批判を受けた。それは先進国に住むもののエゴであるといったような。それは十分に承知している。詳細は説明しないがわかっている。だから「身勝手な言葉」と書いた。
わかってはいるが、夜、無駄に明るい必要があるだろうか。そんなに煌煌と、灯りを付ける必要があるだろうか。
わたしは今でも、バンガロールやムンバイやデリーなどのインドの都市に、夜、着陸する時、深海のような暗闇が広がる大地を見下ろしながら、小さく安心する。
目を凝らしても、何も見えない暗闇があることに、安心する。夜がある、と思う。
米国がたどってきたような、先進国に向けての道のりを、インドや中国がたどっていいのだろうか。否。それははっきりと言える。
あの無駄なセントラルヒーティング。アパートメントビルディング全体が、冬になると暖まった。外は零下なのに室内では暑いくらいだった。スイッチを入れなくても、ビルディング全体が暖まる。
一方、夏になると、恐ろしい勢いで冷却だ。ビルディングも、車内も、なにもかも。
すべてが大きく、大雑把。家電にしても、たとえば乾燥機。巨大なドラムで、強烈な熱風で、衣服が干涸びるくらいに。
洗濯機もまた巨大で、無駄にぐるぐる回って、衣類が引きちぎれるくらいに。
紙も、プラスチックも、ビニルも、あらゆるものが、膨大なヴォリュームで、消費、消費、消費……。
そしてまた、燃費の悪い大型車(4WD)。一人での移動も大型車。荷物がなくても大型車。その必要が、どこにあるのだろう。しかしそれが、普通なのだ。普通なのだ。
昨今のインド。欧米メーカーの日用消費材(FMCG)が怒濤のように流れ込み、スーパーマーケットには強力な洗剤や石鹸が並ぶ。訪れるたびにそのスペースは増えている。
米国時代はまだ、WHOLE FOODS MARKETなどで環境にいい洗剤が入手できていた。割高でも、それらを使っていた。しかしインドにはまだ、その選択肢がない。
だからつとめて、環境に、自分によい商品を見つけて使おうと努力するようになった。
ここでも紹介したが、生ゴミはコンポストで処理をしている。だからわが家から出るゴミは、限られたビニル袋やパッケージだけだ。
「石けんの実」を見つけてからは、メイドが「泡立ちが悪いですよ」と不満を言おうとも、それで洗濯をしている。まったく問題ない。
食器用洗剤もまた、ムンバイの自然派商品を扱うブティックで、天然素材のクレンザーを購入して使っている。これまたメイドから「泡立ちが悪すぎます!」と言われるが、使っている。
夕飯のあとの食器洗いは自分でしているが、これだと手にもやさしいから泡立ちが悪かろうと、ゆっくり時間をかけて洗う。そうすれば落ちる。
サランラップも、アルミホイルも、わたしはほとんど使わない。容器に入れて蓋をすればいい。なければないで、さほど困らない。
ティッシュペーパーもほとんど使わない。使わない生活に慣れれば、要らないのだ。タオルや台拭きなどで代用できることがほとんど。鼻水? ほとんど出ない。出たとしても、洗面所で水洗いすればいいのだ。
トイレットペーパーも最低限。インドには、便利な「手動ウォシュレット」があるから、水洗いの後、拭くために使用する程度。
更には、女子向けの話題だが、1年ほど前から布ナプキンを使用している。これは身体のためにも非常によい。
リネン類は、多少高くても、オーガニックコットンの商品を買い始めた。これには別の理由もあるが、長くなるので割愛する。
ともあれ、あまりにもささやかなことだが、こうして自分の身の回りを「原始」に戻していくと、いかにシンプルな暮らしが実現できるかを実感するのだ。
同時に、先進国型のスーパーマーケットで購入する商品が、非常に少なくなることに気づかされる。
先進国由来の「便利なもの」を目指して、目新しい日用消費材を購入する中流層が爆発的に増えているインドにあって、わたしのような逆行は、焼け石に水にもほどがあるというものだとわかっている。
それでも、あまりにもささやかでも、せめてライフスタイルを代えなければ気持ちがおさまらないという、その環境が、今のインドには満ちあふれているのだ。
■芋づる式エコロジカル生活。ゴミで堆肥作り。
■100%ハーバルな食器洗い洗剤を発見!
■マクドナルドで思う。インド十億人と、たとえば紙の消費。
なんだかまとまりのない内容となったが、まとめようとすると時間がかかるので、ともかく書いた。なぜ書き急いだかといえば、実は理由があったのだ。ふふふ。
なにがふふふかといえば、車の燃費について調べていた時、「低燃費」をキーワードとした、非常に面白い動画を発見したのだ。
日本に住んでいる方ならもうご存知なのであろう、日産の「低燃費少女ハイジ」。このアニメーションがもう、たまらん。今ある6話まで全部見た。中でも5話が気に入ったので、ここに動画を貼っておく。
実は、毎朝、「ミホ! きれいな蝶だよ!」と庭の蝶を見つけては、いちいち妻を呼ぶ夫に、このごろは、「いい加減にせい」の気分だった。「チョウチョ、超うんざり!」といいたいクララの気持ちがよくわかって、もうたまらん。
随所でクララのキャラが、自分にかぶっているような気がして、シンパシー。そして夫に、ハイジ的な要素を見る。どんな夫婦だ。
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