雨期のころの夕暮れの、雲の多いその隙間からこぼれる青空は、突き抜けるように高く澄んで、灰色の雲の濃淡が、陰影が、物語るように漂っている。
ランチタイムのお招きを受けて訪問した友人宅。食べて飲んで語って、我に返るころにはもう、夕暮れで。高い場所から、バンガロールの町を見下ろし、空を見上げる。
二都市生活が緩やかになり、このごろはバンガロールに滞在する時間が長く、多くの友人知人と会い、話す機会も多く、多分、わたしのこれまでの人生のなかで一番「仕事関係以外の人たち」と、会っている気がする。
さて、来週は火曜から金曜までの3泊4日、1カ月ぶりのムンバイだ。今回の滞在先は、北ムンバイのバンドラというエリア。いつもの南ムンバイとは異なる、新しい北ムンバイのスポットなどにも、足を運ぼうと思う。
と言いたいところだが、ムンバイはモンスーン絶好調。果たして自由に動き回れるのか。すぐに水没する道路。車中で身動きがとれなくなることも珍しくなく。せめて「軽い雨」であってほしい。
上の写真。今朝の新聞のバンガロール地方版。先日の「インディア・フェスティヴァル」の写真が載っており、わたしたちの姿もあった。
ムンバイのそれは、もっと「派手&華やか」なファッションが多い。
インド服も少なからず見られるが、バンガロールのそれは、昨今「洋服」ばかり。
特に若い世代の人々は、パーティなどにサリーを着ることが、もはや「ダサイ」とか「古くさい」を通り越して、「着たことがない」世界に突入している。
そんな中、敢えてインド服着用のイヴェントの写真は、全体に晴れがましく、インドっぽくて、楽しい。
突然だが、我が家は食事の際、ダイニングルームを利用する。もちろんテレビはない。テレビを見ながらの食事は原則的に禁止である。
しかし、例外的に、夫が「どうしても見たい!」と主張するクリケットの試合などが行われている時には、テレビディナーが許可される。
そういうときの夫は、非常に積極的に、食卓の準備をする。小さなサイドテーブルをソファーの傍らに運び、トレーやマットなどをてきぱきと準備し、普段見せない「手際よさ」を発揮する。
さて、お察しであろう。
サッカーのワールドカップが行われているここ数日。しかしわたしはいつものように、ダイニングルームのテーブルをセットしていたら、夫が帰宅するなり言う。
「ミホ。君の母国が今、戦っている! それを見逃していいのか?!」
見逃してもよい。
と思っていたわたしだが、そう言われると、見ぬわけにはいかない。
あの髪型は、なんなのだ? あれがかっこいいのか? などと、最初のうちは、関係のないところに注意が引かれる。
しかし、真剣に見始めると、1点を先取した日本が勝ち越せるかはらはらして、食事に集中できない。
「ミホ。僕はね、カメルーンじゃなくて日本を応援してるんだよ。どうしてだかわかる?」
そう言いながら、微笑みかける夫。なんなんだその質問は。
「それは、愛する妻が日本人だからっ♥」
とでも、答えて欲しいのか。
しかし、日本勝利の瞬間、立ち上がって歓声を上げるのは妻ばかり。夫は冷静なものである。
さて昨日は、夫の好きな肉料理を作っていた。と、帰宅するなり、またテレビディナーを主張する。試合は長いのだから、食事の間は集中してよ、というのだが、
「ミホ、ワールドカップとは、4年に一度のことなんだよ!」
と、譲らない。
複数の料理をすべて大皿に「どんぶり盛り」状態で、再びテレビディナーだ。こんなことなら、適当な夕飯でよかったとさえ思う。料理にまったく注意がいっていない。
「ひとこと、言わせてね。以前、ある英国のサイエンティストの調査レポートを読んだんだけどさ。テレビを見ながらの食事は、見ない場合と比べて、消化率が60~70%に低下するんだって。更には、味覚中枢の機能は50%程度にも落ちるらしいよ。つまりテレビを見ている人には、おいしい料理を出しても意味がないってことよね」
その瞬間、目を閉じてゆっくりと咀嚼しはじめ、「おいしい」とつぶやく夫。その素直さがすてき。
ちなみに英国サイエンティストの話は、「嘘」だ。わたしの作り話である。
しかし自分で言うのもなんだが、とても信憑性がある。自分で書いておきながら、真実のような気さえする。夫には嘘だと言っていない。
よそで流布されたら困るような、いや困らんような。
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