3泊4日というのは短過ぎる。あと一日欲しいところだ。と思わずにはいられない、ムンバイ滞在最終日。このごろはインド航空会社が軒並みチェックインの時間を「45分前まで」に厳守し始めた。
普段から、「早め早めの到着」を目指しているわたしは何ら差し支えがないが、実は先日、アルヴィンドは午前4時半起床で5時半に家を出たにも関わらず、7時発のフライトに乗り遅れた。カウンターに到達したのが40分前だったらしい。
以前なら30分前くらいでも問題なかったのだが、このごろは厳しく、カウンターで口論する乗客らも絶えないようだ。
個人的には「早く出りゃいいでしょ」と思うのだが、しかし昨今の交通渋滞などを鑑みるに、時間が読めずに苦労するビジネスマン関係も少なくないと思われる。
一昨日は南ムンバイの南端、以前暮らしていたコラバ地区界隈まで足をのばした。そして昨日はやはり南ムンバイの中程、ウォルリやロウアーパレルのあたりまで。
今回は、いつもに増して渋滞がひどくなっていることを実感する。もっといろんな場所に足を運ぶ予定だったのだが、思うほど速やかに動けなかった。
さて今回、何よりも目に留まったのは、ウォルリ、ロウアーパレル界隈の高層ビルディングの出現である。あれ? こんなところに? という感じで、以前は視界が開けていた場所に、一棟、二棟と、新しいビルディングが建っているのだ。
そう。1カ月ほど前、バンガロールの新聞で広告を出していたレジデンシャル向け高層ビルディング。書き忘れていたが、現在建築中のそれは、なんと、117階立て。
ムンバイで、インドで、117階建て。もう、いろんな意味で、いやすぎる。
わたしはニューヨーク在住時に50数階建てのアパートメントに住んでいた。わたしは18階だったが、19階が火事になって、そ〜らもう、恐ろしい経験をした。ということは、唯一の著書『街の灯』をはじめ、ブログでも紹介して来た。
火事などの災害リスクはもちろんのこと、52階の屋上からですら、特に高所恐怖症でなくとも、下界を見下ろすと「非常に落ち着かない感じ」にさせられるというのに、117階。考えられない。しかもインド。
もちろん、超高級物件である。しかし、「ただで住んでいいよ」と言われても、住みたくない。誰もそんなこと、言わないとは思うけど。
タイミングよく、今朝の新聞(DNA)に、高層ビル建築に関する記事が出ていた。60階建て、80階建て、超高層が目白押しだ。
ニューヨークで火事を経験し、911でワールドトレードセンターの倒壊を身近に経験した立場から言えば、人間、自分の足で「駆け下りて」逃げられるくらいのところに住んでいるのが、精神的にも身体的にも、いいような気がする。
あの火事の日、消防隊員が重装備で、19階までの階段を駆け上っている間に、火はどんどんと広がっていた。
摂氏零度の凍える空の下、薄着で震えながら燃え盛る火を見つめているわたしに、消防関係者が言った。「はしご車で消せるのは、10階が限度」「高すぎる場所に、住むものじゃない」と。
火元は映画俳優のマコーレー・カルキンの家族。高級アパートメントだったにも関わらず、消火器もスプリンクラーも設置されていなかった。そんなアパートメントビルディングが、マンハッタンにはいくつもあるという。
まあ、火事が起こるなんて言うことは「滅多にないこと」といえばそうで、高層だろうが低層だろうが、助かる人は助かるし、助からない人は助からない。
だからいたずらに恐れるのはナンセンスだとは思うが、一度、経験したわたしにとっては、ともかく、二度と御免だ。なにしろ4名が非常階段で落命したのだ。煙にまかれて。
12年前の火事の際、ニューヨーク・タイムズにインタヴューされた記事が、今でもサイトに出ている。かなり臨場感たっぷりの、わたしのコメントも出ている。
■4 KILLED FLEEING BLAZE IN HIGH-RISE(←Click!)
■[Bangalore] 久々バンガロール。火事の記憶。テロだけでなく。2008/12/11
さて、ハイライズなビルディングが林立するであろうそのエリアはまた、スラムがびっしりのエリアでもある。たとえばその界隈にあるフォーシーズンズホテル。
その上階からの眺め。スラムの屋根屋根を眼下に、彼方にはアラビア海の麗しき風景が眺められたとしても。
雲の上に住まう人と、地を這うように暮らす人。
これほどまでの、あからさまな「雲泥の差」が混在する場所は、世界広しといえども、ムンバイ(ボンベイ)くらいのものじゃなかろうか。
奥に見えている建築中のビルディング。
これはリライアンスグループの長男、ムケシュ・アンバニの個人宅だ。
閑静な住宅街(通りの反対側、即ち裏側は大使館などが点在する高級住宅地)に出現したこのビルディング。
屋上にはヘリポートもできるとのことで、地域社会からは顰蹙を買っているとのこと。
もっと郊外の静かな場所に建てればいいものを、わざわざ物議をかもす場所にと思わずにはいられない。
兄弟喧嘩をはじめ、何かと話題性に事欠かない新興財閥である。
■今月の西日本新聞:激変するインドは財閥「リライアンス」の話題
■[Bangalore] 座布団一枚! 乳製品大手AMULの広告
ところで、2008年11月26日、テロリスト攻撃の標的となり、惨事の舞台となったホテル、THE TAJ MAHAL PALACE。すでに新館その他の営業は徐々に再会していたが、8月15日の独立記念日に、旧館の客室が営業を再開するという。
ダメージが大きかったこのエリア。テロの後はずっと閉じられていたこの吹き抜けが、一昨日訪問した際、以前のように解放され、太陽の光が遍く差し込んでいるのを見て、本当にうれしかった。
悲喜交々の出来事を包み込みつつ、これからも時間を積み重ね、歴史を紡いでゆくのだろう、このホテルは。
■テロから一年。インドの歴史を物語るホテル (←Click!)
■昨年アップロードしたTHE TAJ MAHAL PALACEの動画
そう。今回のムンバイ訪問。たとえ2泊3泊の短い滞在だったとしても夫の出張に同行して来ようと思っていたのは、まもなくムンバイを離れるユカコさんとビルに会っておきたかったがためだった。
初日にユカコさんと会って、ゆっくりと二人で話をし、翌日に、夫たちを交えて4人で再会した。ジュフにあるイタリアンで、美味なる料理と、奮発してイタリアンワインなどを注文し、本当に楽しい夜。
気の利いたことも少々は話したいと思っていたけれど、なんだかしょうもない話題で笑ってばかりで、わたしが笑いを炸裂させるたびにアルヴィンドから「美穂、声が大きい!」とたしなめられた。いかんいかん。
同じムンバイに住んでいても、そうしょっちゅう会っていたわけではないし、今回4人で集まるのも実は半年ぶり。
だから世界のどこにいても、会おうと思えばすぐに会えるような気もするのだが、やはり5年間同じインドに住んでいた彼らが離れるのは、寂しいものだ。
遠くない将来の再会を約束して、別れた。
彼らの新しい旅立ち。幸運を祈りつつ。
最後にまたしても、布の話題である。たまたまサリー専門店街で年に一度のセールを行っていたので、つい。見事な手織り、手刺繍のテキスタイルの一部をご紹介しているので、キレイなブログをご覧いただければと思う。
インド発、元気なキレイを目指す日々(第二の坂田ブログ)(←Click)
■一期一会だもの。今日は見逃せない!
■濃密な時間。ムンバイ(ボンベイ)滞在!