それは、あまりにも熱い21時間だった。生まれて初めて乗る救急車。それもインド。そして救急病院でのてんやわんや。加えてドライヴァー問題。
結論から言えば、なんら大事にはいたらなかった。だからこそ、現在こうして呑気にコンピュータに向かっている。
それにしても、濃密な経験であった。いったいどこから書き出せばいいのだろう。そうだ。キレイなブログに記した、このエピソードがきっと始まりだ。
「今回、まだ一度もインド料理を食べていないの」
我が友人たちを前にして、母。
その発言に、愕然とする娘。
いくら夫が日本料理が好きとはいえ、そこはインドへ嫁いだ身。時折、インド家庭料理を、メニューに盛り込んでいます。
先だっては、義姉スジャータも、インドの家庭料理でもてなしてくれました。
更には、ドサやミールス(南インド版の定食)も口にしています。いずれも立派な「インド料理」です。
しかし、母が思うインド料理とは、日本の一般的なインド料理店で出される「カレー主体」のインド料理のようです。
そこで、日本人がイメージするところのインド料理を食しに、UB CITYのKHANSAMAを訪れました。
母は、昔から食欲旺盛だ。食事にせよ、スウィーツにせよ、「若者向け」の食べ物を、口にしたがる。話題のお菓子や、高級な食材に対する関心も、多分高い。
まもなく72歳になる母が、しかしわたしと同じ、ときにわたし以上の食欲を見せることには、今回改めて驚いた。日本人女性にしては、間違いなく「よく食べる方」に属するわたしを凌ぐほど、なのである。
同時に、食べる速度が比較的早い。しっかりと咀嚼していない様子も気になり、この1カ月というもの、折に触れて注意を促してきた。
一人暮らしが長くなると、日常的に忠告をする人もないから、自分のペースで邁進するのだろう。
それにしても、通常、老化するとともに控えられるべき食欲や食事のスピードが衰えてないとは、「健康だから」と見なすべきなのか。
先日、コロンビア・エイジア・ホスピタルで健康診断を受けた。高脂血症と骨粗鬆症、やや糖尿病になりかけている、ということ以外は概ね問題なかった。
渡印当初の1カ月前は、膝の様子が覚束なく、歩き方も重たかったのが、アーユルヴェーダのお陰でかなり状況が好転している。そんな次第で、母も少々、気が大きくなっていたのかもしれない。
さて、火曜日のランチタイム。KHANSAMAにて、喜んでインド料理を食していた母。
翌水曜日は家での食事だったが、木曜日のランチもまた、タイ料理を食べに連れて行った。そこでもまた、母はわたしとあまり変わらぬ食欲を発揮。「おいしいね~」と、喜んで食べていた。
しかしながら、そのタイ料理が、多分間違いだった。
※以下、非常に爽やかではない話題が続くので、読み進められる方は、覚悟の上、お願いしたい。
なお今回のエピソードについては、「母のプライヴァシーの侵害かも」、とも思われたため、母の了承を得た。
そもそも、「悲劇、転じて喜劇。教訓たっぷり」な濃厚エピソードを、書かずにいられようか。いや、いられまい。
●便秘で救急車?! 「108」へ、救急コール
母の「便秘」は、火曜日のインド料理から始まっていたようだ。水曜、そして木曜朝も、その状況は続いていたらしい。しかし、母はそれを口にはしなかった。
普段は便秘症ではないのだが、2週間ほど前、外食のあとに2日ほど便秘になったとかで、ちょっと具合を悪くしていた。それでも数時間、横になっていたら回復していたので、油断していたのだろう。
木曜日の昼、タイ料理を食べ、翌朝。しかしまだ便秘は続いていた。3日以上の不通である。
わたしはその日、リサーチの仕事があったため一人で外出していた。折しも外出先でランチを食べている時、母からと電話があった。「下剤を買って来てくれ」とのことである。
夕方4時ごろ帰宅。下剤を母に飲ませるも、速やかに通じない。
便座に座った母は、脂汗が出て、身体を動かすことが覚束なくなる。ベッドまで連れて行き、横たえる。しばらくは小康状態を保つものの、改めてトイレへ赴くと、やはり便座に座った途端、気持ちが悪くなる。
脂汗と、全身の倦怠感が著しい。全身を軽くマッサージするものの、事態は変わらない。
7時ごろ、夫が帰宅。それでも母の様子は改善されない。このまま夜に持ち越しては、手に負えなくなることが予想されたため、病院へ連れて行くことにした。歩くのも辛そうだったことから、救急車を呼ぶことにした。
ここからが、ドラマの始まりである。
インドの警察への電話番号は100番。そしてバンガロールの救急車は108番だということは、知っていた。大手の病院が独自の救急車を持っていることも知っていたが、番号がすぐにはわからない。
「超緊急事態」ならまだしも、理由は便秘。無茶苦茶に焦ることもないだろうと、ともあれ、夫に108してもらった。
先方は、母の年齢や症状を事細かに尋ねている。更に、住所を尋ねる。電話のやりとりで、ゆうに5分は過ぎている。緊急ではないにせよ、そのやりとりの「とろさ」に苛々する。
と、同時に、我が家のドライヴァーも呼ばねばならない。折しも、ドライヴァーに関しては諸々の問題発生していたここ数日。
現在、雇い始めたばかりのドライヴァーであるアンソニーが、どうにも、しっくりこない。詳細は割愛するが、そんな次第で、アンソニーにはひとまず内密に、他のドライヴァーを探していた。
次なるドライヴァーも、よりによって「アンソニー」。おまけに、我が家のメイド、プレシラの夫もアンソニー。なぜか知らんが、アンソニー三連発。キャンディ・キャンディも真っ青だ。
そんな話はさておき、現アンソニーAに休みを与え、新アンソニーBを、一昨日、昨日と使っていたのだった。
アンソニーBは、先ほど夫が日当を渡し、家に帰したため、今夜ばかりは、アンソニーAを呼び出そうとするが、電話がつながらない。
アンソニーAの妻が電話に出たところによると、乳飲み子のミルクを買いに行ったという。妻は妊娠8カ月。こんな家庭の大黒柱を解雇するのは気が引ける。しかし背に腹はかえられぬ。
いつだって携帯電話は必携であるはずのドライヴァー。すぐに連絡がつかないこと自体、問題なのだ。
結局、アンソニーAがあてにならないことを確信。解雇を心に決めた。同時にアンソニーBを呼んだところ、すぐに来た。やはりアンソニーBの方が頼りになる。
●大嵐の中、救急車搬送の、てんやわんや
母は、ぐったりと横たわっている。母の身体をさすりながら、夫に救急車の状況を尋ねれば、「10分後に来るらしい」とのだ。
と、突然の雷鳴と共に、土砂降りの雨が降り出した。ここ数日晴れていたにも関わらず、最早、嵐である。なぜ、このタイミングで?
バンガロール。一旦雨が降ると大渋滞は必至。道は水没する箇所も多く、速やかに移動できないのが常なのだ。これでは救急車の到着も時間がかかるだろう。
7時半に救急車を呼んで7時50分。救急車が道に迷っているとの電話が入っている。目印であるITCテックパークについたらしいが、それから先がわからないようだ。
「ITCの裏側の道!」
夫がいろいろと説明しているが、全然理解されていない。おまけに激しい雨音で、先方の声もよく聞こえない。どうやら救急隊員、
「道がわからないから、ITCまで来てくれ」
と言っているらしい。
救急車を迎えに、大雨のなか、なんで病人が出かけなきゃならんのだ! そんなことなら自家用車で運ぶわい!
救急車は救急病院とのネットワークもあるからこそ、頼んでいるのだ。それに母は歩ける状況じゃない。ストレッチャーに載せた方がいいだろうと判断しての救急車なのだ。
そんなこんなで、さらに15分が経過。ようやく救急隊員が到着した。おにいさんが携帯電話の懐中電灯機能で母の眼球を照らす。名前を尋ねる。次いでおねえさんが血圧検査と指先から血液の採取。
取り敢えず、命に別状はない。それはわかるが、とっとと運んで欲しい。しかし、救急車の天井が高すぎて、我が家のアパートメントコンプレックスの地下駐車場に入りきれない。大雨だから、外から運ぶのは大変だ。
一旦、ストレッチャーが我が家に運び込まれたが、しかし地下へのエレベータには入らない。ということに、運び込んだあとに気づく救急隊員ら計3名。
救急隊員がもたもたしている間、わたしは調理中の火の元を消し、戸締まりをして、病院に持って行くものの準備をする。夫は自宅の車であとからついてくるとのこと。
「さて、どこの病院に運びますか?」
と、救急隊員。わたしたちに好みの病院を選択しろという。近場で安全な24時間病院。コロンビア・エイジアは遠過ぎる。マニパールほか、数カ所の大病院を知っているが、いずれも距離はある。
この大雨の中、遠いところへ行くのはリスクが高い。
「病院へは、連れて行くことはできますが、ベッドが空いているかどうかわかりません」
と、救急隊員。病院の電話番号も持ち合わせていない。こんなものなのか?
結局、我が家からほど近いインディラナガールの、AXONというきいたこともない病院を勧められたので、夫が番号を調べて電話。すぐにドクターが出て、対応できるとのことだったので、そこへ運び込むことにした。
約10分ほどもかかって、ストレッチャーのかわりに、今度は車椅子を持って来た。
うなだれる母をなんとか車椅子に載せて、ブランケットに包み、地下へ。
地下の駐車場についた途端、母を載せた車椅子を、猛スピードで押す救急隊員。これだけゆっくりなプロセスで来ておきながら、なぜ今、ここで走る? 頼む。人間はゆっくり丁寧に取り扱ってくれ。
車椅子から、母をストレッチャーに移す。救急車は駐車場入り口の坂道に止めてある。母を積んだストレッチャーが、この坂でずるずると落ちて来たらコメディだよな。
などと不謹慎なことをイメージして、心中で笑いが起こるが、ここはインド。そんなコメディが起こっても不思議ではない。
日々、是、ドリフのコント。のようなインド生活だもの。
万一のため、わたしも「支え」になるよう、ストレッチャーの間際に立つ。幸い、ストッパーがついていたので(当たり前か)、母はずりおちることなく車内に収められ、わたしも同乗したのだった。
なお、ここに至るまでに、幾度となく救急隊員にシャウトして、すでに疲労困憊の我々夫婦。
なぜシャウトせねばならないか、インドにお住まいの方なら、察しもつくであろう。とにかく、みなが「死ぬほど要領が悪い」のである。が、その実態を伝えるのは難しいので割愛する。
これが真に急患だったら、多分、間違いなく、助かるまい。
真の緊急事態には、使うな108。
●救急車内で、むしろ、わたしが死ぬ目に。
インドの救急車には乗りたくない。そう思っていたのは、その暴走っぷりを目にしていたからだ。サイレンを鳴らしながら、荒い運転で走り抜ける救急車。
それでも、乗ってすぐには写真を隠し撮りする余裕があった。しかし、その余裕は最初の1分ほど。
折しも街は雨。幸い交通量は少ない。いやそれが災いともいえる。普段は渋滞でゆっくりしか進めない道で、しかし猛然とサイレンを鳴らしながら、救急車は暴走する。
スピードバンプ(突起)が多いバンガロールでの猛スピード。それは地獄。スピードバンプの前でもスピードを緩めない上、カーヴも敢えて、「キキキ〜ッ!!」という感じで曲がって行く。
激しく上下する車。時に急ブレーキ。
三半規管が弱く、乗り物酔いしやすい体質のわたしである。たちまち、具合が悪くなる。車内には心電図の装置などもあって、母は取り合えず横たわりつつも生きているが、こっちの方が息絶えそうだ。
大雨。猛スピード。横座りでシートから振り落とされそう。激しいサイレンの音。うぉ〜。と思っていたら、さらに別の、微妙に音程が異なる激しいサイレンの音が重なる。なんだ? と思ったら、救急隊員の携帯電話の音らしい。
携帯電話の着信音を、サイレンの音にすな!
その電話、実は運転している救急隊員のものらしい。暴走運転しながら、携帯電話で話し始めた。
お願い。危ないから、やめて。
●掃き溜めにツル、なドクターに、一安心。
大雨の中、病院に到着。こぢんまりとした5階建ての救急病院。インドにしてはましなほうだが、決してきれいとは言い難い、庶民派ムード漂う病院だ。
あたりを行き交う従業員、看護士らを見ていると、かなり不安になる風貌の人々。彼らの中にドクターがいないことは一目瞭然だ。ドクターはどこなのだ?
なんと差別的な発言を。人を見た目で判断してはならない。
と思われるかもしれないが、ここはインド。見た目でその人のステイタスが、大まかに察せられる場合が多々あるのは、事実なのだ。反論する方もあろうが、わかるのだから仕方がない。
と、ドクターが登場。それは一目で、わかるのだ。
まさに、「掃き溜めにツル」なオーラを放つ、いかにも切れの良さそうな、かつハンサムなドクターだ。彼と夫が交わす会話を聞きつつ、彼になら任せられると安心する。
ドクターは複数の病院を巡回しているらしい。さあらば、この病院の見た目が少々みすぼらしかろうとも、それなりのクオリティがあれば、応急処置は任せていいだろう。なにせ、原因は「便秘」なのだから。
ドクターはてきぱきと、母の症状を尋ねる。結果、取り敢えずICU(集中治療室)に収容し、心拍数や胸部X線など基本的な検査をし、鎮静剤などを処方した後、神経科のドクターに見てもらうとのこと。
意識はあったとはいえ、「気を失いそうになる」状況に達したがゆえ、神経科の診断が必要なのだろう。その後の治療は経過次第。というか、医学用語がややこしすぎてよくわからない。電子辞書を持ってくるべきだったと後悔。
ともあれ、余計な診察を受けさせすぎるのも心配だ。
「約十日ほど前に健康診断を受けた時には、高脂血症と糖尿病になりかけているという以外、問題がなかったのですが」
そう言うわたしに、
「十日前の検査がよかろうと悪かろうと、現状とは関係ありませんよね」
と、厳しい口調で、ドクター。そりゃそうだ。ここはこのドクターに任せよう。一任する意思を告げると、また忙しげに他の患者を見に走るドクター。
「あのドクター、ハンサムだよね〜」
と、夫。さっきまでの苛立ちの表情が、少し和んでいる。
母の食べ過ぎによる便秘による救急搬送騒ぎに、実は今週、自らも体調が悪かった上、前日はハイダラバード出張で疲労困憊だった夫。うんざりしていた様子だが、ドクターとの会話で一安心の様子を見せている。
さて、5階建てのこぢんまりとしたこの病院。地下が薬局、1階が受付など。2階、3階が病室で、4階がICU。5階がカフェになっているらしい。
4階のICUには、8人ほどが収容されており、母のベッドは最後の一つだった。室内は適度に乱れて汚いものの、設備は整っている。説明が難しいが、ともかく普通にインド的だ。
母は、血圧、脈拍ともに問題はない。点滴を打たれ、しばらくは様子見。時計は9時半をさしている。夫には一旦帰宅してもらい、夕飯をすませてもらうことにした。
加えて、母の携帯電話や、先日の健康診断の結果のファイルなど、もろもろを持参してもらうよう頼んだ。
ところがドライヴァーのアンソニーBがつかまらない。夕飯を食べに行ったらしい。夫は30分ほど彼を待ち、自宅へ戻った。
●慈善団体訪問をキャンセルと、108救急車の真相
母のこと以外に、わたしにはもうひとつ、懸念があった。実は翌日土曜日、BANGALORE EDUCATION TRUSTへ、寄付金を託しに訪れる予定であった。
同行してくださる方々も募っての訪問。前日のキャンセル(延期)とは、いかにも心苦しい。
心苦しいが、この状況での訪問は、無理だ。一人の友人に連絡をし、同行予定だった人たちに連絡を回してもらった。本当に、申し訳ないことであった。
さて、ICUを追い出されたわたしは、夫を待つ間、ロビーの受付の傍らの椅子に座っていた。ロビーのお兄さんに、救急車についての話を聞いてみることにした。
実は108の救急車は無料だと言われ、救急隊員らにはチップを支払っただけだったのだ。お兄さんに聞いたところによると、108は数年前より開始されたカルナタカ州提供の救急車らしい。
連絡網はポリスとも連携されているらしく(定かではない)、ともあれ政府運営だからこそ無料なのだ。無料だから、あの乱暴な運転、そして対処のいい加減さだったのか、とも思う。インドだもの。
受付のお兄さんがイエローページを開いてみせてくれ、各病院の救急の番号などを示す。プライヴェートの救急車サーヴィスも数軒あるようだ。しかし、いずれもかなりの料金を請求されるらしい。
とはいえ、真の緊急事態のためには、108よりもプライヴェートの救急サーヴィスの方がましだろう。今後のためにも、このような情報はすぐに使えるよう、メモをしておくに越したことはないと思う。
●義姉スジャータ&ラグヴァン夫妻の登場で和む
夫が、再び病院へ戻って来たころには11時になっていた。夫が義姉夫婦に報告を兼ねて電話をしたところ、二人は偶然にもインディラナガールのイタリアンレストランで夕飯を食べていた。
そんな次第で、食後、義姉スジャータ&ラグヴァン夫妻が病院に駆けつけてくれた。
なにしろ学者な夫妻。彼らに病院の状況を見てもらえば一安心だ。スジャータがICUの様子を見てくれる。心拍数ほか、なにやら映されているモニターを見ながら、「問題ないわね」と彼女。
点滴の内容物を確認し、まわりの様子を見て、
「一晩過ごすくらいなら、ここで大丈夫でしょう」
とのこと。万一、検査結果でなにか問題があれば、別の信頼がおける病院を探して転院させるべきとのアドヴァイスをくれる。
ともあれ、基本、便秘である。便秘を侮っちゃいかんということは、よくわかったが、しかし、便秘である。大事に至ることはまずないであろう。
さて。母は今夜一晩、病院で過ごすにしても、わたしたちがここで待機するわけにはいかない。なにしろ、ICUには患者以外入場禁止なはずなのに、さっきから何度も出入りしている我々。
ときどき厳しいドクター補佐のような人が来て、「早く出て行ってください」と言われるのだが、母が言葉ができないから、ということでわたしが傍らについている。
しかし、すでに急ぎの検査や処置は終わったし、わたしには最早することもないので、帰ることにした。母に携帯電話を託し、なにかあったら電話をするように言い残す。
異国の、それもインドの病院で一晩を越すのは心細かろうが、仕方がない。わたしも自分の体調を慮らねば。
ICUにいる看護士らに、わたしの携帯電話の番号を教え、いざというときには連絡をと念を押して、病室を離れた。
ICUで携帯電話がかけ放題。
という事実については、突っ込むことなかれ。ここはインドである。ドクターも、かけている。
「ミホは夕飯を食べたの?」とスジャータ。
「ノー、まだよ」
「わたしたちが行ったHERB & SPICE、なかなかよかったわよ。スープかサラダでも、食べて帰れば?」
やさしい心遣いの義姉夫婦。しかしもう、11時半。一刻も早く、家に帰りたい。というのも、昨日も珍しく、諸事情で睡眠不足だったため、疲労感がピークに達していたのだ。
彼らに別れを告げ、ともあれ、帰宅することにした。
●アンソニーBの失態。ドライヴァーを巡る終わらない旅
車に乗り込む。雨は小降りになっている。ようやく家に戻り、ほっと一息。車の鍵を持って来たアンソニーBに、追加の料金を渡そうと近づいたら……。
ん? ん????? お酒臭い!
「アンソニー。あなたまさか、お酒飲んでる?」
「飲んでません、マダム」
としゃべった先から、酒臭い!
わたしの鼻の穴は、だてに大きくないのだ。嗅覚抜群なのだ。騙されんぞ。
「あなた、明らかに飲んでるわね! お酒のにおいがしてるじゃない! いったい、いつのんだの?」
「もう、デューティーは終わってましたから」
「終わってましたからって、あんた7時過ぎに来たときは、飲んでなかったじゃない。ってことは、病院で待ってる間の夕食時に飲んだわけ? 正直に言いなさい。正直に!!」
「すみません、マダム」
嗚呼。アンソニーAよりも、全体においてよかったはずのアンソニーB。飲酒運転するような男だったとは。もう、なにもかもが、信じられない。信じられないが、もう、どうでもいい。
アンソニーBは却下だ。当たり前だが即、却下だ。
少々、不都合があったとしても、飲酒運転されるよりはるかにまし。再びアンソニーAである。しかし、この件がなければ、アンソニーBの失態に気づかなかったわけで、人を選ぶことの難しさを痛感しつつ、疲労困憊……。
●イサブゴルを、常備せよ!
アンソニーAへ、明日の朝、来るように電話をして、ようやく一段落。台所を簡単に片付け、コーヒーを煎れる。と、夫が台所へ。
「イサブゴル、どこ?」
「ないよ」
「イサブゴル、なんでないの? お母さんにも飲ませておけば、こんなことにはならなかったのに! パパは毎晩飲んでるよ。年寄りはイサブゴルを飲んだ方がいいんだよ、毎晩」
「そんなこと言ったって、うちの母は日本人だからね。イサブゴルなんて、知らんよ」
「いいから、イサブゴル、買っておいてよね」
「わかったよ。買っておくよ」
「だいたい、なんでミホのお母さんは、食べ過ぎたんだ。食べ過ぎの便秘で、こんなことになるなんて。イサブゴルを飲ませときゃ、よかったのに!」
夫も疲労困憊とみえ、何度もイサブゴルを繰り返す。わかった。よ〜くわかったから。母にはこれから、イサブゴルを飲ませるから。
イサブゴルとは、天然の食物繊維。インドではISABGOL PSYLLIUM HUSKという商品が一般的だ。
イサブゴルという植物の繊維で作られた粗いパウダーで、腸内を洗浄する効果があるほか、高脂血症の人にも勧められている。便秘にも効く。粉薬のように水で飲むほか、ジュースやラッシー、ヨーグルトに混ぜてもよいらしい。
日本ではイサゴールと呼ばれており、ダイエット食品に利用されているようだ。
歳を重ねると、腸の働きも弱くなる。便秘傾向のある人は、寝る前に飲むのがいいというのは、理解できる。下剤などを飲むよりは自然でよいだろう。
さて、コーヒーを片手にコンピュータに向かう。「便秘」についてインターネットで調べておこうと思ったのだ。
すると、わたしが思っていた以上に、「便秘で死にかけた」人がたくさんいることに、驚かされた。若い人たちの多くが便秘に苦しめられており、日常生活に支障がでるほどだという人のレポートもある。
わたしは、そこまでひどい便秘を経験したことがないので知らなかったが、慢性的に苦しんでいる人はかなりの割合でいるのだということも知った。
こうなっては、「便秘で入院、恥ずかしい!」などと言っている場合ではないかもしれないと、思わされる。
シャワーを浴び、ベッドに入るも、病院に置き去りにしている母のことが、気にならないわけがない。しかし、命に別状があるわけではない。万一、何かがあったとしても、それはそのときだ。これ以上のことはできん。
そう自分に言い聞かせて、浅い眠りについたのだった。
●土曜の朝。病院へ。神経科のドクターと対面
神経科のドクターは、「朝の8時半から10時半の間に来院」とのことだった。どうせ早くいったところで、来ていないだろうと思い、9時過ぎに病院に到着する。
夫には「あとから来れば?」と言ったのだが、ドクターとのやりとりは、わたしの英語力では心配もあるのか、ついてきてくれるという。
電子辞書を持参してはいるものの、確かに医学用語は難しい上、診察の有無の判断を下すのは簡単なことではない。
ICU。母の隣には赤ちゃんが寝ており、時折泣くこともあり、夜は眠れなかったらしい。それでも、取り敢えずは細切れに睡眠を取ったに違いなく、そこそこに顔色もよく、一安心だ。
案の定、神経科のドクターは10時を過ぎても来ない。別の病院で足止めを食っているらしい。
その間、地下の薬局で、今回使用した薬品や注射器、点滴などを購入する。ICUでは使用された薬品などは「貸し出している」という形。患者の関係者に使用リストを渡し、薬局で購入させて返品させる仕組みらしい。
ほどなくして、ロビーにひときわのオーラを放つ男性が登場。日本で言うところの、「イケメン」である。言われるまでもなく、彼が神経科のドクターだとわかった。彼もまた、「掃き溜めにツル」である。
昨日のハンサムドクター(総合医)よりも更に、ハンサム度が高い。
神経科のドクターとともにエレベータでICUへ。ドクターは患者一人一人のチェックをする。そして母の番。母もまた、ドクターのイケメンぶりに感心していたようで、退院後、
「ドクターたちは、ハンサムだったわね〜。わたしは朝のドクターが好みだった」
などとコメントしていた。
さて、神経科のドクターに事情を説明。彼曰く、現在のところ、検査結果に異常は見られないが、年齢を考慮して、MRIを取っておいた方がいいだとうとのこと。
「若い世代の同じトラブルなら、そこまではしません。ただ、歳をとると、同じ現象が起こっても、他に問題がある場合がありますから」
検査は急ぐ必要はなく、こちらが不要と判断すれば退院してもよいとのことである。
母は一刻も早く病院から出たいようだが、しかし、もうこの際だ。ついでにMRIも取ってもらっておこう。
「MRIの機材は、ここから車で数分の別の病院にあります。午後、彼女をそちらに運んで検査をし、結果を受け取って問題なければ帰宅できます。今日は土曜なので時間がかかるかもしれませんが、4時ごろには終わるでしょう」
とドクター。
母にはもう少し辛抱してもらうことにして、わたしたちは一旦、病院を出てカフェに行くことにした。ちなみに病院のカフェは、夕べの雨漏りで床は水浸し。
カフェというより、掘建て小屋状態であり、とても利用できる環境ではない。
「MRIを取りに行くときは、わたしたちが同行します」と、各所に伝えて病院を離れた。
●本気ドイツ料理で思いがけず充実のランチ
夫もわたしも、睡眠不足に加え、書き尽くせぬ細かなトラブルで、疲労困憊だ。ともあれ、コーヒーでも飲み、軽くサンドイッチでも食べようと思う。
「南インドのコーヒーが好き」などと言いながら、このごろは英国のコーヒーチェーン、COSTA COFFEEも気に入っているわたしは、病院からほど近いCMH ROADのCOSTA COFFEEへ入ろうとした。その瞬間、
「ミホ、こっちにMAX MUELLER BHAVANがあるよ。ここのジャーマン・カフェ、なかなかいいらしいよ。行ってみよう!」
急に張り切る夫。MAX MUELLER BHAVANとは、「ドイツ会館」のようなもの。その上階に、通称ジャーマン・カフェと呼ばれるドイツ料理の軽食店「CAFE MAX」があるのだ。
眺めのよいそのカフェに入るなり、ほっと人心地がついた。焼き菓子類が並んだカウンターが魅惑的。せっかくだからと、ソーセージとシュニッツェルを一皿ずつ注文。シェアすることにした。
これが、なかなかにいける!
疲れきった身体に、こんなパンチの効いた肉類を食べて大丈夫なのか? と思ったが、妙に食が進んで、二人して完食。
食事の途中、病院に連絡をして、母のMRIへの移送時間を確認したら、30分から1時間後、ということだったので、わたしは食後のコーヒーを。夫は焼き菓子まで注文した。
「ミホ、パンも買って帰ろうよ」
「いや、今日はいい。今、パンを買う気分じゃないから」
食事を終えて、さて病院へと思った矢先、母から電話。
聞けば、救急車に閉じ込められているという。車に乗せられたまま炎天下に放置され、誰も来ないとか。
「ともかく、暑いの。なんとかして」
よりによって午後2時の暑い日差しが照りつける中、なぜか放置されたらしい。
「今すぐに行くから! っていうか、車の窓、開けたら? 窓、あるでしょ?」
思えば、身動き取れない病人ではない。自分で起き上がって窓を開ければいい話である。しかし寝かせられていると気持ちも受け身になるのか、寝転がったままでいるらしい。
俄然、血圧が急上昇する我。
車へ向かって、呑気に歩いてくる夫に向かってシャウトし、車に飛び乗り、病院へ。同時に病院に電話をかけ、事情を説明する。彼らは「今、移送をしているはずですが……」と埒のあかない返事をするばかり。
数分後、わたしたちが病院についたころにはすでに、母はMRIに運ばれていた。病院に着くなり、激昂した夫、受付の担当者に、猛然と怒声を上げる。
「いったい、病人を一人で救急車に放置するとは、なにごとだ!!」
「そもそも、僕たちが戻るまで待っててくれと、言ってたじゃないか!」
たいてい時間通りに進まないのに、なにゆえ、張り切って時間より早く移送しようとしたのかも、理解できない。まあ、呑気にドイツ料理を食らっていたわたしたちも、わたしたちなのだが。
と、そこへイケメンの総合医ドクターが登場。彼の責任ではないとはわかっているものの、彼に向かっても事情を説明。
「取り合えず、終わったことですから、先に進みましょう」
と言われ、怒りの矛先を失う。ドクターも外部の人間。どうしようもできないのだ。ともあれ、わたしたちも、ぷんぷんしながらMRIの病院へ。
と、今度は、すでにアポイントメントが入っているはずの検査なのに、アポイントメントが入っていないという。従っては、これから45分から1時間ほど待たねばダメだと言われて、夫、再び激怒。
母は、一般の患者の待合室で、一人ストレッチャーに寝かされている。異様に狭苦しい待合室には、大画面のテレビでクリケットの試合が放映されている。しかも大音量。うるさい。とても落ち着けたものではない。
食べたばかりの肉類が逆流するような気分で、わたしはもう、疲労困憊だ。
もう、MRIはいい。帰ろう。こんなところにいたら、むしろ病気になる。
だいたい、食べ過ぎによる便秘による不調なのだ。脳の検査をせずとも、いいやろ。
無駄に、疲れた。もういや。
しかしながら、夫が激しつつ交渉した結果、ともかく現在の患者の検査が終わった後に、母を検査してもらえることになった。
アポイントメントの有無については、どちらの病院側に問題があったのかわからない。しかし、もう、そんなことはどうでもいい。
どうでもいい。
と、待合室の椅子に座って、悄然としながら、思う。
病人や高齢者の介護とは、どんなにか、たいへんなことだろうか、ということを。
確かにインドは、何をするにしても疲労度が高い。運び込んだ病院を間違っていたとは思うが、仕方がない。
しかし、それにつけても、たった1日半で、これだけ神経をすり減らし、疲労感を募らせられる。インドでなくとも、身内の身を案じて東奔西走する思いは、同じだ。
日本でさえ、「救急病院をたらいまわし」という話はよく聞く。インドとは違う意味での、問題も多いに違いない。
このような経験を、わたしはほとんどしたことがなかった。これは、やっておくべき、経験なのかもしれないと、疲れきった頭で同時に、考えるのだった。
●なにゆえ、わたしまで、大音響を?
さて、ほどなくして母の検査の番である。母は言葉が通じないからと、わたしが付き添って検査室へ。母が機械のベッドに移され、頭にカヴァーのようなものをかけられ、ブースに収められるのを見届ける。
と、看護士の一人がわたしにコットンを手渡しながら、
「これを耳栓にしてください。うるさいですから」
と言い、椅子を勧めて、立ち去った。ちょっと待って。みんなは出て行って、なぜわたしは、ここに残るの?
っていうか、どうして耳栓? 何がうるさいの? っていうか、MRIって何?
正直な話、MRIのなんたるかすら、よくわかっていなかったわたし。脳の輪切り写真……よね。ってことは、CTスキャンとはどう違うの?
と、今更のように思いめぐらせているうちにも、猛烈にうるさい音が室内を満たし始めた。
な、なんだこの音は?!
聴覚検査? 聴覚から脳の様子をどうかして見るの? え? う、うるさいんですけど!!! 耳栓、意味ないんですけど。
っていうか、なんでわたし、ここに放置されているの? わたしがここに同席する理由はなに?? ソーセージもシュニッツェルも、全部逆流しそうなんですけど!!!
そもそも、嗅覚だけでなく聴覚も敏感で、しかもノイズが嫌いなわたしである。最早、拷問状態だ。
わけがわからぬまま、十数分を過ごし、ドロドロになって外に出る。踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
ちなみにMRIとは、Magnetic Resonance Imaging system(核磁気共鳴画像法)のことらしい。
強烈な磁気を発生させる際に、音が出るのだという。もう何がなんだか、よくわからない。会計や、検査結果の受け取りその他についての手続きは夫に任せ、わたしは母とともに救急車に乗り込んで、病院に戻る。
病院へはわずか2分ほどのドライヴなのに。サイレンを鳴らし、猛スピードで走る救急車。頼む。今、急がなくていいから。サイレンも、要らないから。お願い、静寂を、プリーズ。
●そして、ようやく、濃厚な21時間が終わる。
病院へ戻り、母を病室に戻し、あとは検査結果のデータを総合医ドクターがメールで受け取った後、ドクターから所見を聞き、カルテ一切を受け取って帰宅となる。
ロビーで1時間ほど待機し、総合医ドクターの個室へ。
MRIの結果も、概ね問題なし。完璧とはいえないが、少々の問題は「高齢ゆえ」のものであるとのこと。
いずれにせよ、検査結果のデータや出力フィルムは持ち帰られるので、気になるようであれば、日本に帰国した後でも専門医に見せて確認すればいい。
便秘に起因して、身体が硬直し、神経に支障が来され、このような結果となったが、しかし根本的に何かが悪いのではなく、これはもう、「便秘にならないようにするしかない」ということであろう。
1分たりとも無駄にできない、というムードを漂わせたドクター。しかしながら、わたしたちカップルのことが気になる様子。
「なぜ、日本人とインド人が結婚したの? あなたが日本に行ってたの?」
と、夫に尋ねる。
「いや、ニューヨークで出会ったんですよ」
と、にこやかに、夫。
聞けばドクターの弟は、大阪で仕事をしているらしい。
「僕の弟は、日本人との結婚話、出てないなあ」
と笑っている。どんな場面でも、ついついプライヴェートな話が出るあたり、インドである。
そんなこんなで、ドクターの承認をもらい、母を引き取りにICUへ。着替えをさせて、21時間ぶりに自分の足で歩き、車に乗り込んで、帰宅。
夕方、自宅についたときには、心底、ほっとした。
メイドのプレシラが片付けてくれた部屋で、母もまた、リラックス。まずは、日本茶を入れる。このようなときに飲む日本茶は、なによりも、五臓六腑にしみわたるのだ。日本人だもの。
夕べから何も食べていない母に、お粥などを作って、出す。シャワーを浴び、早めに就寝してもらった。
わたしたちもまた、午後10時にはベッドに入り、10時間ほども爆睡したのだった。
そして今日、日曜日。ゆっくりと家で過ごし、夕方からは、ご近所さんに招かれていたのでおじゃまして、さきほど帰宅した。
母も今日は、軽めに、しかし三食、きちんと食事をした。身体全体が強ばっているらしいが、しかし調子はよさそうだ。
普通に歩いている母を見て、夫。
「おかあさん、もう、歩けるんだ。すごいね」
驚くのも無理はなかろう。昨日は、重病人のような様子で、ICUに横たわっていたのだから。
先ほど、母の部屋でお茶を飲みつつ、「ずいぶん、いい経験をしたね」などと語り合う。
「ほんと、一昨日はたいへんだったわね。みんなに迷惑かけて……」と母。
「え? 今なんて言った? 昨日のことだけど」とわたし。
「あら、そうだったわね。MRIの音で、ちょっと頭がおかしくなってるみたい。そうね、昨日のことだったのね。なんだかずっと前のことみたい!」
と笑っている。笑っている場合か。
ともあれ、母。今回、自分の食生活やライフスタイルについて、反省してたようだ。
正味な話、わたしたちのヘルシーな食生活を、母は少々、「しょぼい」と思っていたらしい。おいしいお菓子の買い置きもないし、高級食材などを蓄えているふうでもない。
ま、インドにはそんなものがほとんどないから、そもそも無理な話なのだが。もっとも、あったとしても、ファンシーな食品を買い貯めることは、多分しない。
わたしが食べているビスケットは、物乞いにあげるために車に積んでいる物と同じもの、というのも、母にとっては衝撃的だったようだ。
だって5ルピーのビスケット。シンプルで、おいしいんだもの。しかし、母は心中にて、「なんと安っぽい」と思っていたようだ。
「食」に対する考え方もまた、母子でありながら、かなり異なっていたわたしと母。わたしの手料理は、母にしてみれば、「おいしいけれど、地味な感じ」だったのに違いない。
しかし、地味食は滋味食でもあるのだ。わたしも夫も、おいしいものを食するのは愉しいことだと感じているし、食への関心も低くはない。しかし、その関心の対象や、食に対する姿勢が、多分異なるのだ。
まずは健康第一。
今回の件を通して、さまざまに、教訓を得た。それについては、また改めて記そうと思う。備忘録のつもりで書き始めたが、恐ろしくも超長編となった。明日は月曜日だ。
そろそろ、寝よう。
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