福岡の母と電話で話した際、昨日のブログの写真を見て曰く「あれ、うちの近所よね?」という。
うち、とはもちろん、バンガロールの我が家のことである。確かに、我が家の近所と似たような光景であるが、微妙に違う。バンガロール北部、我が家からは車で30分ほどの郊外にあるムスリム系住人の多い村だ。
関西の学生たち19名が、ヴォランティアでバンガロールに来ているという。
約1週間の滞在中、貧困層向けの家屋建設を手伝うのだとか。
彼らが到着したのは、3月11日。
ちょうど地震が発生した日だ。
津波で多くの家が流された日に、インドへ家を造りに来たという皮肉な状況をして、記者は彼らの日本に対する不安な心境をインタヴューしている。
その記事を読み、彼らに会いに行こうと思った。
しかし、村の名前は記されているものの、詳細がわからない。念のため日本領事館に問い合わせたが、情報はないという。
新聞社に問い合わせても、きっと電話がたらい回しにされ、それで一日が終わってしまうことが予想されたので、午後、ともかくは村を目指すことにした。
実は先週、日本から視察旅行に来ていた知人が、日本の学生たちのインド訪問などを支援する立場にある人だった。
ビジネスでの視察旅行もさることながら、常々、学生たちにぜひ、インドの現状を見て欲しいと思っていたことから、学生の訪問が実現すればサポートしますよと話していた矢先のことだ。
異国の地に到着したその日、日本の惨事を耳にし、しかし十分な情報も得られず、さぞかし心配な思いをしていることだろう……と彼らを思う気持ちがある一方で、自分のためにも、動きたかった。
今回の件で、当然ながら、いくつかの仕事がキャンセルとなった。時間に余裕がある。インターネットで余計な情報を得て、心を乱すより、身体を動かす方が遥かにいい。
目的地は、数カ月前に訪れた慈善団体の近く。村の中心部に行って、写真をだれかに見せれば、場所はわかるだろうと楽観していた。
ところが……。村は、広かった。村というよりは、半径数キロメートルの、広大なエリアである。車を乗り降りしながら、大通り沿いの商店などで尋ねるも、右だ、いや左だと、埒があかない。
取り敢えずはポリス・オフィスへ向かうが、ポリスもまたはっきりとしたことはわからないという。ただ、記事の中にあったもうひとつの地名らしきものを認めて、その場所を指示してくれる。
数キロほど走ったところにその場所はあった。200メートルほどの目抜き通りに、商店が立ち並んでいるモスリム居住区だ。
目抜き通りと交差して、いくつもの砂利道が左右に広がっており、それに沿って「スラムよりちょっとまし」な、質素な家々が立ち並んでいる。
いくつかの交差点で、新聞記事を見せながら尋ねるも、誰もわからないという。そもそもこのエリアかどうかも定かではないのに、砂利道を一本一本ジグザグに走る根性もなく、諦めて帰ることにした。
しかし、帰る前に、ヤギやら子供たちやらが、とてもかわいらしかったので、写真でも撮ろうと車を降り、しばらく歩いた。それが、昨日の写真である。
商店の子供に新聞記事を見せた。
すると、「こっちこっち」と言いながら、連れて行ってくれるではないか。
すでに夕方で、日本の学生たちは引き上げたあとだったが、そこは間違いなく、写真にある工事現場だった。
昨日も載せたが、この写真だ。
あ〜よかった、来た甲斐があった、明日の朝、また来よう! というわけで、前置きがたいそう長くなったが、本日、訪れたのだった。
わたしが到着したとき、学生たちは休憩中だった。突然の日本人の来訪に、驚きつつも喜んでくれた。やはり日本のことが気がかりだったようである。
みなさん、ご家族とは連絡がとれたようで、その点においては心配ないようである。インターネットのYouTubeで少々の情報を得た以外は、あまり詳細を知らないとのことで、むしろそれがいいと思う。
大阪教育大学、神戸親和大学、京都産業大学、神戸女学院大学の学生たち19名。HABITAT FOR HUMANITY OF JAPANのヴォランティアに参加して、今回インドへ来たとのこと。
HABITAT FOR HUMANITYとは、米国発の国際NGO。これまで世界100カ国で住宅建築支援を行っているという。
団体の詳細については、下記(日本語サイト)をご覧いただきたい。
■HABITAT FOR HUMANITY OF JAPAN
休憩時間、近所の子供たちに折り紙を教えたりして遊んでいる。こういう交流がまた、とても有意義なことなのだと思う。
インドでも忍者ハットリ君は人気のアニメーション。手裏剣のおりがみは、彼らの宝物になるだろう。
ところで、こちらが建築現場。現地の現場監督の指示に従い、基礎作りを行ったという。まずは約3フィート(約90センチ)の穴を掘る。
そこに、石を敷き詰め、水で溶いた泥を流す。泥が乾いたら、また石を敷き詰める。その上に、水で溶いた泥を流す……と繰り返すらしい。
正直なところ、このような貧民街の家は、基礎作りもいい加減で、『ブーフーウー(三匹の子豚)』のウーの家みたいに、適当にレンガやブロック塀を積み上げただけだろうと思っていた。
失礼な話ではある。
ところで現在のバンガロールは盛夏。暑い。日陰のない現場では、間違いなく暑さでやられているだろうと予測し、スイカでも差し入れしようと「包丁持参」で訪れていたのだった。
実際、みな暑さでやられ、熱射病気味の人もいる。ドライヴァーにスイカを買って来てもらい、ふるまう。
日焼けアレルギーで肌を傷めている人、下痢気味の人、胸焼け気味の人……予想通りの症状が出ている人も数名いる。
欲しいものが、気軽に購入できるような状態ではないようなので、薬や食料など必要なものをみなに尋ね、近所で調達した。
わずか3名の男子のうち、ひとりの作業服(つなぎ)のお尻から太ももにかけてが、がセクシーにも豪快に破れていたので、それもローカルの衣料品店で調達した。
写真は、ガムテープで止めているの図、である。
ランチを終えて休憩のあと、ホステルに戻った彼らに、品々を渡す。
「ヤバい!」「ヤバい!」
と口々に言う女子。
噂には聞いていたが、今どきの「感情表現のひとつ」をライブで聞けて、面白かった。
彼らとは再び会う約束をし、受け入れ先であるHABITAT FOR HUMANITYのインド・オフィスの担当者と連絡先を交換して、別れた。
わたしにとって初めての海外旅行は20歳の時。米国ロサンゼルス郊外に1カ月のホームステイをしたときだった。
あのときの経験が、わたしの人生を大きく変えた。あの1カ月なくして、今のわたしはない。あのとき、わたしを受け入れてくれたホストファミリーには、本当に感謝している。
滞在中に通っていた語学学校へ、講演に来てくれたロサンゼルス在住の女性の話もまた、わずか数時間のことながら、未だに記憶に残っている。
そんな経験をしているからこそ、若い世代にとって、異国での異文化での体験が、どれほど重要で、その後の人生を左右するかということが、身を以てわかる。
自分が受けて来た恩恵を、少しでも、若い人たちに、引き継ぎたい。たとえ1日、2日でも、少しでもインドでの1週間の記憶の中で、よい経験を増やしてもらえれば、と願う。
帰路、現地スタッフの依頼で、HABITAT FOR HUMANITYのバンガロールオフィスを訪れた。
所長であるジョセフとしばらく話をする。
ちなみにここのスタッフは、マシュー、アレックスと、クリスチャンが多いようである。
ジョセフ曰く、これまでも何度か日本の学生たちを受け入れたという。
「ヴォランティアで家を作る……というのは、あくまでも一つの名目です。
ここに来て、インドの貧しい人たちの暮らしを見て、地元の人たちと交流することにも、意義があります。
家作りだけじゃなく、週末はマイソールへ観光に連れて行ったりと、インドの異なる面も見てもらっていますよ」
約30分ほど、彼らの活動について、また日本の現状についてを話す。話し上手で聞き上手な彼。地震発生以来、どうしても塞ぎがちだった気持ちに、光が射すような、ひとときだった。
今後、日本の学生たちが来た時には、わたしも何らかの形でヴォランティアで手伝う旨を伝えた。
思いがけないところで、自分がやりたいと願っていたことのひとつの、糸口が見いだせたことが、本当にうれしい。
作業最終日の金曜日に、現場で小さな式典を行うらしい。招待されたので、ぜひ訪れようと思っている。
これは、わたし自身にとっても、本当によい出会いだった。
THE TIMES OF INDIAに感謝せねば。
炎天下で立ち話をし、あちこちの商店へ立ち寄り、身体は疲れているが、気分は、かなりいい。今夜はぐっすりと熟睡できそうだ。
今は、コンピュータの画面に向かうよりも、身体を動かすことがずっと大事だということを、痛感する。
今日のところはこの辺にして、そろそろ夕飯の準備にかかろう。
※本日の記事の写真。学生たちの了承を得て掲載しています。