今朝、新聞が一部、誤送されてきた。地元カナラ(カンナダ語)の新聞。インクの匂いがきつく、紙質も、印刷技術も低く、断ちも悪い。
その新聞を広げながら、時空が歪むような、奇妙な感覚に襲われる。
わたしは、どこに住んでいるのだ?
見慣れた英字紙と比べれば、まさに異国情緒漂うその新聞。
これこそが、この地のローカルのものであり、多くの人々の目にするものである。オートリクショーのドライヴァーが、信号待ちで読んでいるのも、カナラ語の新聞だ。
わたしはといえば、あくまでも異邦人の、この地に新しい人間であるにも関わらず、知ったような顔をして、ここに暮らしてはいるけれど。
カナラ語どころか、公用語のヒンディー語さえ使えやしない。
紙面を開けば、映画の広告も、芸能面も、激しく「昭和なムード」が漂っている。時代が、遡っている風に見えて現代だ。
ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教……。
一枚の紙面にそれぞれの宗教の、なにが書いてあるかはわからんが、なにかが書いてある。
ともあれ、複数の宗教が、紙面上でも共存している。
★
宗教色と言えば。
昨日、友人とランチをとっていた折、ケララ州のクリスチャンの話が出た。
先日、ヴィクラム・キルロスカー氏と話していた際に教わったケララのことを、みなに話したところ、友人の一人が、その古い宗派のことを聞いたことがあるという。
しかしその宗派がなんという名前か、なじみがなかったので思い出せないということで、話はそのままになっていた。
さて今朝。
日本の震災の直後に抜けた巨大銀歯クラウンの治療をしに、ここしばらく歯科へ通っていたのだが、今日が最終日であった。
支払いをすべく、歯科医の名前を小切手に書き込みながら、ふと、思い当たった。
RAPHAEL……。
「あなたは、クリスチャンですよね。ご出身は、どちらですか?」
「僕は、ケララ州のクリスチャンですよ」
「ケララ州のキリスト教は歴史が古いと聞いたのですが、なんという宗派ですか?」
彼曰く、それは、Syrian、つまりシリア正教と呼ばれるものらしい。紀元数十年ごろに、聖トーマスによりインドのケララ州にもたらされたとのことで、ローマなどを経ていない、極めて古い宗派なのだとのこと。
子どものころは、シリア語による聖書を用いていたという。歯科医の一隅で、小切手を切りながら、またしても、時空が歪む。
この国の、一筋縄ではいかない感じの、この上なさ。
ケララ州の中の、シリア正教……。その歴史の遡り。このようなコミュニティが、インドには、無数にある。
先日の、親戚の結婚式で初めて知った、ゴアにおけるEAST INDIANのコミュニティの存在。
クールグの、アレキサンダー遠征軍の末裔の話もまた、衝撃的だった。
その帰路の、バイラクーペ。チベットからの亡命者たちの村。
ポンディチェリに残るフランスの文化も興味深い。
無数にあるインドのコミュニティ。わたしが知るのは、ほんのごく一部に過ぎない。
たとえばゾロアスター教徒(パルシー)であるタタ・グループのように社会に影響力のあるコミュニティであれば、世間に知られるところであろう。
しかし、そうでない、ひっそりと(少なくとも部外者にしてみれば)、しかし確実に、歴史を刻んでいる独自コミュニティの豊かさに、思いを馳せる。
そういう多様性が、共存して一つの国であるということが、また改めて、偉大なことであると思わずにはいられない。
■シリア正教 ←日本語による詳しいサイト
備忘録として昨日の会話から。布の話をしているときに、「モスリン」の話題になった。モスリンとは、日本では羊毛のものをさすことが多いらしいが、実は木綿が起源である。
語源はイラクの都市モースルからもたらされたことに由来しているらしい。しかし、実際の起源は、バングラデシュのダッカ、つまりインド亜大陸にあったという。
ダッカで作られた高品質なモスリンが、陸路を経てモースルに運ばれたとのことだ。
さて、話の核心はここからである。
英国がインド亜大陸を統治していたころ、モスリン、つまり綿織物の、あまりにもすばらしい技術を持つダッカの職人たちに脅威を感じた英国人は、高度な技術を持つ職人たちの指先を、ことごとく、切り落としたのだという。
な、なんてことを、しやがる!!!
こういう話を聞くと、本当に、たまらん。文化大革命といい、なんといい。文化を冒涜することの、なんという、なんてこったい、という感じ。
タージマハルの建築に関わった人たちが、その後、目を潰されたという話も聞いたことがあるが、人類の歴史において、こういうことは、「ありがち」だったのであろうが、しかし!
堪え難い、やりきれなさだ。人類の歴史の、ウォォォ〜! ともう、言葉にするのも、まどろっこしいほど、たまらん。
ダッカの商人から買ったあのサリー。せめて、大切に着ようと思う。
それにしても、その、いにしえの、ダッカのモスリンを、見てみたい。触れてみたい。まとってみたい……。
ところで、こちらはいつもの、今朝の新聞。国勢調査の結果が出始めているようだ。インドの人口が、12億人を超えた。
識字率が10年前の65%から74%に上昇しているところが、すばらしい。
すばらしいが、それは同時に、まだまだ3億人もの人が「文字を読めていない」「教育を受けられていない」ということでもあり、そう考えるとすばらしくない。
しかも、男性のそれが82%、女性のそれが65%というところ、未だ女性の地位の低さを物語っている。
そして、男性よりも女性の方が明らかに少ない人口。女児が中絶されるのを防ぐため、インドでは出生前診断による性別の告知が禁止されている。
にもかかわらず、女性の人口が少ないという事実の裏になにがあるのか……。推して知るべしである。
以下は過去、持参金などについて記したものだ。参考までに。