と思ったが、あたりさわりのない食の話題ばかりを書いていたのではつまらんな、ということで、異なる話題を。
このところ、顕著に感じる、「個人的な経験に基づく、インド関連の仕事に関して思うこと」を、直裁に記そうと思う。
なお、以下の話は、実際にわたしが関わっているクライアントの方々を指しているわけではない。
加えて、多くの企業の方々が、インド進出に向けて尽力されている事実があることも理解している。
しかし、インドという広大な国家と土壌と市場の可能性に比して、日本企業進出の現状は、決してアグレッシヴでもポジティヴでもないとの印象を受ける。
思うところは、恐ろしくたくさんあるのだが、今日はそのごく一部を、書いてみたいと思う。まとまりのない長文になってしまう予感がするが、夫が出張中の夜長ゆえ、中断されることもない。
思うに任せて書いてみよう。
* * *
「予算がないんです」
日本を離れて16年。日本の人たちと仕事をするときに、決まって言われる言葉だ。
まあ、このご時世、
「予算は潤沢にありますから、好きにやってください、ワッハッハ!」
などと言われる方が気味が悪いが。
米国在住時代はさておき、インド。
この地に移住してからは、インドの現状を積極的に調べるでもなく、「インドって可能性、あるよね?」的なのりで、相談を依頼されることが増えた。
もちろん、インド市場の開拓へ向け、積極的に仕事を依頼してくれるクライアントの方々にも恵まれている。
しかし、それは、ごくわずかな数である。
尤も、わたしは「個人営業」であるから、仕事の数や予算の多さは、さほど問題ではない。量より質を優先している。その際のやる気を左右するのは、心意気の有無だ。
世の中の企業なり個人経営なり、インド進出を「なんとなく」考えている人たちの、踏み込みの足りなさに対し、じれったく思うことが多々ある。
もちろんわたしはフリーランスゆえ、会社規模でビジネスをしている人に比べれば、依頼される数が圧倒的に少ない。あくまでも限りあるケースにおいての印象であるが、あながち的外れではないとも思っている。
まず、情報は無料だと思い込む人たちの多さ。この点には真に辟易する。無料で得られる情報なんて、結局は、それだけの価値しかないのだということが、なぜわからんのだろう。
本気でインド進出を考えるならば、有料のインド情報サイトにお金を出してでも、有料のコンサルを受けてでも、この国のことを知る努力をすべきだと思うのだが。
人とは違う努力や投資をしなければ、先んじて人よりも優れたことをなすことは、不可能だと、単純に思う。
* * *
わたしに関していえば、ホームページに業務内容を記しているとはいえ、所詮は個人。過去のブログをいくつか読んだところで、どこまでわたしが価値ある情報源かを理解してもらうのは難しいのは、もちろん承知している。
しかし、メールでの問い合わせは少なくない。
これまでは、メールで問い合わせのあった方々には、まずは電話をしてほしいと伝えてきた。メールでのやりとりは、時間もかかるし誤解も生じやすい。
これまで、何人もの人々、いくつもの企業に、無料で、インドのライヴな情報を、提供してきた。
そらもう、語らせれば語るわたしであるから、ついつい、さまざまな情報を力一杯語ってしまう。
文章で書くよりも遥かに、濃度が高く的確な話を、提供しているつもりだ。
にもかかわらず、電話のあと、ビジネスに発展するのは1割に満たない。それどころか、お礼のメールすらないこともある。
「インドの現状を知って欲しい」との思いもあったからこそ、これまで無償でしゃべり倒してきたのだが、このままではいかんな、と思い至り、電話相談を有料化することにした。
つい数カ月前のことだ。
あらかじめの調査が必要なことに関しては別途料金を設定するとして、即答できる範囲内の内容であれば、30分5,000円からという「破格の値段」のコンサルテーションフィーをまずは設定した。
企業ばかりではなく、個人経営者の相談も少なくないからだ。
その後プロジェクトが発生すれば、そのフィーは相殺するという「特典付き」で。
メールが届いた時点で、相談料の件を記したメールを返信する。
が、有料だと告げた途端に音信不通になる人の多いこと!
まあ、このブログでは、仕事のことより、自分の個人的なライフの情報を載せていることもあり、情報の重みを理解してもらえないのかもしれぬが、それにしたってだ。
その5,000円は、10万、50万、場合によってはそれ以上の価値さえもあると、わたしは思っている。
インドへは、まず、来るべきだと思うが、どうしても来られない人にとって、この国は想像上のものでしかない。どんなに関連書物を読みあさろうと、ネット上で情報を収集しようとも、決して同じ情報は得られない。
と、わたしが力説したところで、虚しいばかり。
5,000円の価値もないと判断されているわけだ。
あるいは、5,000円の投資すらもできないのかもしれない。
わたしとしては、有料化することで、気兼ねなく仕事として相談をしてくれる人が増えると思っていたのだが、見込み違いだったようだ。
* * *
わたしは個人的に、無償で人になにかをやってもらう方が負い目を感じるので、無償で人の労力をわけてもらおうとする人の気持ちに共感を持てない。
このブログでさえ、広告を入れたくないこともあり、お金を払っての有料サーヴィスを用いている。
仕事にまつわる事柄において、ただで何かをしてもらうのは、極力避けている。ただでやってもらうと自分がお願いしたいことをきちんと頼みにくいということもある。
ただより高いものはない。
異論を唱える人もあろうが、これはわたしの、社会人になってまもないころからの方針なので、変えるつもりもない。
* * *
インドに限らず、どんな仕事であれ、人と違うことを、他の人よりも早くやるためには、予算を捻出してでも、投資すべきところは投資して、活路を見出すべきである。
会社が予算を出さないのなら、自分の休暇を使ってでも、自費で視察旅行を敢行するくらいの熱意がなければ、と思うのだ。
まあ、それは極端な言い方だとは思うが、敢えて書いておく。
「次はインドか?」と思うのならば、ともかくインドに来ること。
この国ほど、「百聞は一見にしかず」ということばが該当する国はない。
来て、肌身に感じてみなければ、何一つ始まらない。日本で山ほど情報を収集したところで、全てが水泡に帰すことさえある。
さらにいえば、現地で適当な通訳を頼むのではなく、しかるべき知識のあるコーディネータに案内してもらうことも肝要だ。
ある程度、インドを知り、日本を知り、できれば世界を知り、「日印二国間」だけでなく、アジア周辺や欧米の事情にも明るい人から、この国の実態を聞くべきである。
なぜなら、この国を「日印二国間」のみで比較し、限定的な視野で見てしまうと、あらゆる誤解や思い違いを生むからだ。
この国は、日本よりも遥かに、英米の影響を受けている。
その点を理解していないと、これがインド独自のマーケットであるとか、インド富裕層ならではの傾向だと勘違いしたまま、方向性を見誤ることがある。
と、この点については語り始めるときりがないので、割愛する。
* * *
日本から初めてインドを訪れるクライアントの方々が異口同音に言うのは、「想像の域を超えている」ということ。
いい意味でも、悪い意味でも。
インドは一つの国家だが、一括りに語れる国ではない。
欧州全体を語るのと同じか、それ以上の多様性と濃密度だ。そのことも、念頭においておくべきである。
だからこそ、「インド通」は存在しないのだ。
インド人ですら、インドの全容をくまなく語れる人など、いないのだから。
* * *
インド進出チームを組んで、半年近くプロジェクトを温めているという企業の人から、電話相談を受けたことがある。複数名いるチームメンバーのうち、ひとりもインドを訪れたことがないというのを聞いて、驚いた。
「今すぐ、インドに来るべきです!」と力説した上で、その理由を説明した。
そのときの30分ほどの会話で、そのプロジェクトの方向性が根本的に変わるほどの情報を、わたしは提供したと思っている。
しかし、その後、彼らからの連絡はない。
「インドを訪れる際には、コーディネーションをお願いします」
とそのときは言われたが、梨の礫だ。
そういう例がいくつも続くと、さすがにわたしも、腹立たしくなる。ひとこと言わずにはいられなくなる。
そこでこうして、ひと言どころか、延々と書き続けている。
無礼の域を超えた「個人の読者」からの、旅行やらなんやらの相談のメールなどは、無視するか、目に余る時は、逆切れされるのを承知で、断りのメールを送れる。
そういう人たちの共通点は、本名を名乗らず、友だち感覚で、情報提供をしてもらうのが当然だと言わんばかりの内容で、メールを送りつけてくるところだ。
しかし仕事のムードが漂っていると、無視するわけにもいかない。だからこそ、有料化したのだが、それが実らぬのが現状だ。
* * *
この際、わたしの仕事のことはさておいてだ。
蛇足な話題かもしれんが、「インドに行ったら必ずお腹を壊す」などと言い、ネガティヴな理由で来印を敬遠している場合ではない。
正味な話、お腹を壊すのは、壊すような飲食をするからである。
それに加えて、「お腹を壊したらどうしよう……」と、ネガティヴなイメージばかりを膨らませているからである。
わたしと、わたしの知る仕事関係者は、「インドでお腹を壊すクライアントはほとんどいない」ということで、意見の一致をみている。
そもそも、そんなこんなの理由で渡印を躊躇していたのでは、話にならない。ここに駐在し、仕事をしている日本人とて、たくさんいる。その人たちはいったいどうなるのか。
日々、お腹を壊しまくっているのか、という話だ。
渡印前の意気込みや気の持ちようが、滞在中の体調に大きな影響を与える。睡眠をしっかり取り、食べ過ぎず、油脂を避け、安全な水を飲むなど、心がけるべきことを守っていれば、ノープロブレムである。
短期間の視察旅行にさえ、二の足を踏んでいるのでは、インド進出が実現するとは考えにくい。
そんな姿勢で取り組んでいたのでは、インドへの駐在員が「島流し感覚」に陥ってしまうのも、無理はなかろう。
テロがあったから視察はキャンセル、なんてことを繰り返していたのでは、話は決して進まない。テロは、しばしば起こっているからだ。
ここでも記したが、次なる犯行声明でも出ていない限り、テロの直後は警備が厳重になり、むしろ安全なのが常である。
* * *
それからついでに。
インドは物価が安いから、それに関わるコーディネーションだのアテンドだのの費用を安くあげようとする人もいるが、それは間違いだ。
ニューヨークでアテンドするよりも、インドでアテンドする方が、遥かに準備がたいへんで、遥かにリスクが高い。
インドだからこそ、安全な車、確実な通訳、然るべき高級なホテルの手配、お腹の弱い人にはローカルフード探検隊で訪れるような店ではなく、清潔感満点の店で食べていただく必要がある。
もっといえば、準備万端に整えていても「ドタキャン」やら「予期せぬトラブル」が軽く起こるお国柄だ。問題発生時の臨機応変な対応も望まれる。
なんにせよ、一筋縄ではいかない。
そうなると、予算は先進国並み、あるいはそれ以上に必要になって、不思議はないのだ。
だからといって、わたしは個人営業であるから、そこまで高予算を請求するつもりもない。一方で、安請け合いをするつもりもない。
しかし、値切られるどころか、「無料でお願いします」攻撃さえも受ける。業を煮やすというものだ。
* * *
その代表的な例が「写真」。
自分たちの「商業目的」のサイトや出版物に、写真を提供してくれとの相談も少なくない。日本の人たちは必ず「ご協力をお願いします」と書いてくる。
「ご協力」とは、「無料で使わせろ」ということだ。
「何年何月何日のブログの**の写真」といった指定で、多い時には十数枚の写真を、印刷物に対応すべく「高解像度で送ってください」と要求して来る。
なんでわたしが、見知らぬ誰かの予算削減に貢献すべく、無償で高解像度の写真を発掘して送付せねばならんのか。
尤も、非営利団体からの依頼や、ヴォランティア目的のことであれば、喜んで提供する。
しかし当人は利益がある「ビジネス」でやっておきながら、そのソースを無料で得ようというところが納得がいかない。
写真に関しては、最低でも1点500円を要求しているのだが、それさえも払えないというところが大半だ。
こうなるともう、価格の問題というより、仕事に対する考え方の問題だ。
そういう仕事のやりかたに、明るい未来はあるのですか? と問いたい。
* * *
自分のことを書くと、それはそれで鬱陶しく思われるかもしれんが、それを覚悟で書くならば。
わたしは、どんなに貧乏なフリーランスの時代でも、創業当初、財政難だったミューズ・パブリッシングでも、お世話になっている下請け会社、即ち印刷所やデータ出力会社やクリエイターの人たちへの支払いを、決して遅らせなかった。
INVOICEを発行するのと同じくらい、チェック(小切手)を切ることにも、心を込めてきた。
自分の仕事を助けてくれる人たちは、真の意味で、クライアントよりも大切だと実感していたからだ。
クライアントは、もちろん大切だ。しかし永遠ではない。いつ切られるかわからない。万一のときは、営業を頑張れば、新たに見つけ出すことはできるだろう。
しかし、こちらの要望を速やかに受け入れてくれ、スケジュール通りに納品してくれる下請けの人たちとの絆は、一朝一夕では築けない。
きちんとお金を払っていれば、いざというときに、仕事を優先してもらえる。助けてもらえることもある。彼らのクライアントを紹介してもらえることさえ、ある。
結局は、自分の身に返って来る。
* * *
と、ここまで書いて思う。
こういうことをはっきりと書くことで、尚更、敬遠されるかもな、と。最早、日本人的な謙虚さは、ここにはないと判断されるだろうし。
それはそれで、最早、構わない。
わたしは、わたしを有効に活用してくださるクライアントの方々に対して、期待以上の仕事ができるよう、楽しみながら努力するまでである。
……と、ちょうどいいところで、夫がムンバイから戻ってきた。すでに11時半。何を熱く語っているんだか。
* * *
来週はしかし、とても楽しみな仕事が待っている。日本からのクライアントの来印で、1週間余りのアテンドだ。
力一杯、偉そうなムード満点に記したが、こういうことしつこく延々と書いたのは、インド移住後、これで二度目。5年前に一度書いたきりだ。
稀有なことゆえ、許されたい。
さて、わたしもわたしとて、つべこべ言わず、目先の有意義な仕事に対して心を込めて、一つ一つ丁寧な仕事をしていけるよう、初心を忘れずがんばろうと思う。
* * *
上記、夜のうちにアップロードしたので、内容が感情的になりすぎているのではなかろうかと不安になり、今朝、読み返した。
まあ、感情的だが、今回はこのまま載せておこうと思う。
付け加えるならば、当然のことながら、インドは進出前よりも、進出後の方が、そらもう、苦難は多いものである。
インドの暮らし方を知る人からのアドヴァイスがあるとないとでは、インド生活の快適度が著しく異なる。予期されるトラブルに気づかず自爆される方も少なくない。
「インドならではのサバイバル術」を身につければ、インド生活はそれなりに快適になる。
そのためのレクチャーも、今後は積極的に行う予定だ。
「インド生活サバイバル講座」。来年1月には第一回を開く予定なので、ご希望の方は、ぜひ声をかけていただきたい。
なおこの件については、仕事というよりも、インドで暮らしている人たちに、少しでも快適に楽しんで欲しい、と思う願望のようなものである。