ついには、スリランカを離れる朝。
今日はこれから、スリランカ最大の都市、コロンボへ向かう。コロンボで、この記録の最初に記した、夫のビジネスフレンドであるニハール夫妻とランチを共にした後、空港へ向かう。
目覚めて、身支度を整えた後、一人で近所を散歩する。まだ歩く人も少なく、本当に静かな、取り残されたような街。ときどき、土地の人たちと顔を合わせ、挨拶を交わす。
3泊の滞在では、朝食メニューも、ちょうどいい塩梅で、全種類を試すことができた。これは自家製バナナブレッド。
ブレッドと呼ぶには、ちょっと甘すぎるケーキだが、その甘さもまた好意的に受け取れるほど、気持ちがこのホテルに入ってしまった。
リヴィングの窓から見える、街の、日常の光景。毎日、女性らが洗濯物を干す姿が、眺められた。
チェックアウトのとき、このホテルのマネジメントを任されている男性と、しばらく話をする。
そもそもは、オランダ統治時代のウエアハウスだったこの建物。
数十年間放置されたままで、ぼろぼろの廃屋だった建築物は、2003年に買い取られ、2年近くの歳月をかけて改築された。
しかし、ブティック・ホテルとして開業した直後、スマトラ沖地震が起こり、ゴールは津波の被害に遭う。
ゴールだけで、数千人もの人々が亡くなったという。しかし、このフォートの中だけは、まさに砦に守られて、津波の被害を受けずにすんだ。
当時を知る人は、周囲の惨事とは裏腹に、別世界のようだったという。
津波後の一時期、ここは、世界各地から集まった救援隊やNGOの拠点として使われていたという。
この小さなフォートの中だけでさえ、さまざまにある、ブティック・ホテルや、おしゃれなショップ。それらの多くは、英国人、オランダ人、オーストラリア人など、海外の人々の手にかかったものが多く見受けられた。
それは過去とは違う形での、東西のコラボレーションであるとも、いえるのかもしれない。
今日という日もまた、明日には歴史。
■そして、日本風情漂う高速道路で、一路コロンボへ
「高速に乗っても、下りてからの道が込み合うから、さほど早くはつきません」
ともかくは、高速道路を使いたがらなかったドライヴァーのサミート。では、最大で何時間かかるのかと尋ねると、「4時間です」という。
しかし、周囲の誰に聞いても、高速を使った方が早いという。当たり前である。
高速道路の走行時間は実質1時間ちょっと、それ以外の道路の渋滞を含めても追加1時間で、合計2時間もあれば到着するというのだ。
「高速は有料ですよ」
それくらい、払うて。なにしろ、時間通りにコロンボに到着することが最優先、なのだから。
最後まで、高速乗りを渋るサミートを説得して、高速を選んだ。
予想した通り、彼は高速道路を使うのが、これが初めてであった。
なにしろ、料金所では、窓口から遠〜いところに停車して、腕をぐ〜んと伸ばしてチケットを受け取ろうにも、届かない。
いつまでも測道を走り続けて、なかなか本線に合流しない。路上にシマシマ模様が見えてはじめて、慌てて車線を右に移す。
最初からもう、緊張感がバリバリ伝わって来る。
これは、気が抜けんな。
と、妻は彼の運転の様子に、注意を払わずにはいられない。
急にスピードを上げてみたかと思えば、我に返ったように突然下げてみたりと、不安定な運転を展開するサミートの緊張感とは裏腹に、この高速道路の爽やかなこと。
実はこの高速道路。日本の支援によって建設が実現したという。それはもう、見るからに「日本的」な高速道路で、日本が支援したことは一目瞭然だ。
■日本の支援で初の高速道路開通、スリランカ (←Click!)
と言ってしまいたくなる。なにしろ、ガードレールが日本。ついでに周囲の田園風景さえ日本。
サミートはと言えば、追い越しをかけるときに、前の車に向かって警告するべく「ホーン」を鳴らす。このあたりのセンス、インド的、である。
ここで何かを言うべきか。いや、彼は何かを言われると、余計に緊張するだろうと思い、我慢をしていた。
ひょっとすると、高速でホーンは、スリランカの常識かもしれんし。
などと有り得ないことを考えてはみたものの、他の車はきちんと、方向指示器を出して追い越しをかけている。
4、5回目の、サミートによるホーンを聞いた時に、やっぱり、だめだと思った。諸々、危ない。
「サミート。高速道路では、ホーンは鳴らさない方がいいですよ。そのかわり、追い越す時には、右側の方向指示器を出して、追い越し終わって元の車線に戻る時には、左側の方向指示器を出して、他の車に知らせるといいですよ。他のドライヴァーもそうしているようですから」
極めて丁寧に、「お願い」をしたところ、素直にしたがってくれたサミート。よかった。
それからまるで、「おもしろがっているかのように」、方向指示器を出しつつ、追い越しを繰り返す彼。いやいや、そんなに急がなくてもよいのですが。
結局、高速に乗っていたのは1時間余り。高速の出口から市街までの20キロ程度が、非常に込み合う道で、ここでは1時間ほどを費やした。
面白かったのは、高速を下りた後も、サミートは「方向指示器で追い越し」の癖がついたようで、やったらカチカチ鳴らしていたこと。
渋滞の中、車窓から街の様子を眺める。相変わらず、あちこちの看板に、JAPAN, TOKYOなどの文字が見られる。
「ミホ。最初のドライヴで見た、あのオナラって看板、おもしろかったよね〜。あれってレストランだったっけ? レストランでオナラって、ないよね〜」
夫が笑いながら回想する。
また、くだらんことを思い出している。と知らんふりして外を見た瞬間!
「ミホ、オナラ、オナラだよ! 早く、早く写真撮って!!」
興奮状態のマイハニー。
「わ〜! すごい偶然だよね〜。信じられる? 僕がオナラのことを話した直後に、オナラって出てくるんだよ。すごいよね〜」
そんなことがすごくて、いったい何がいいというのだ。
無駄に運を使ってはいまいか。そういいながら、激写する妻も妻。……もう、ほんと、ばカップル。
ちなみにオナラとはレストランではなく、カーステレオの広告であった。少し安心した。
それはそうと、「オナラ」とは、シンハラ語にある単語なのであろうか。非常に気になるところだ。どうでもいいっちゃどうでもいいが。
■コロンボ Colombo: 思いがけず、すてきな場所で、知人らとともに、美味なるランチ
さて、ランチの待ち合わせ先は、ビジネスフレンドのニハールに決めてもらっていた。コロンボのビジネス街に新しくできたばかりのダッチ・ホスピタル (The DutchHospital) 内にあるレストランだ。
オランダの植民地時代に建てられた病院を、ショッピング&レストラン街に改築。
最近オープンしたばかりのおしゃれなコンプレックスだ。
スリランカン・エアの機内誌にも特集が組まれていたのだった。
待ち合わせの時間まで15分ほどある。
せっかくだから、ブティックなどを見学しようと中に入った瞬間、夫がいつにない「ハイスピード」で歩き始めた。
彼の向かう先に見えるのは、BAREFOOTの看板。
ゴールでお気に入りとなった店の支店が、ここにもオープンしていたのだ。実は夫もシャツを1枚、購入していたのだが、ややサイズが小さかったのを気にしていた。
店に入るなり、大きめのサイズがあるかを確認。OKだと言われるや否や、またしてもスタタタ〜ッと駐車場まで戻り、購入したシャツを取りに行った。
驚くほどに、迅速な行動だ。
わたしは他の店も見てみたいのだが、夫に拘束され、店内で商品を眺めながら待機。
この店は、40年も前に、Barbara Sansoniという女性によって創業されたという。アーティストであり、ライターであり、デザイナーでもある彼女。
ここで生まれるテキスタイルは、手織り、手染め。フェアトレードがコンセプトの一つでもあるらしく、職人たちへの育成にも力を入れ続けているようだ。
益々、惚れた。数日前の記録にも掲載したが、改めてショップのリンクをはっておく。
■BAREFOOT (←Click!)
店内に入った途端、カラフルなテキスタイルが目に飛び込んでくる。それだけで心が躍る。
カフェやブックストアが併設された本店へ、次回はぜひ訪れたいと思う。
今回、夫が購入したシャツ。色遣いが楽しくて、本当にきれい。女性用にも、こういうシャツがあればいいのに、と思う。本店には、あるのかな。
コンプレックス内には、高級感あふれるアーユルヴェーダのスパや、レストラン、カフェ、ファッションブティックなどが並んでいる。
いずれの店も、それぞれに洗練された雰囲気で、店内は居心地のよさを感じさせる。
さて、待ち合わせのレストランは、入り口近くのWIP (Work in Progress:作業中)という、個性的な名前のレストラン。
ニハール夫妻に加え、あとから、やはり夫らと同じ会社に投資をしていた企業のCEOであるデニーシュも合流。
わたしはと言えば、昨日も食べたばかりのフィッシュ&チップスを、なぜか今日も頼んでしまい。これがまた、しかしおいしくて!
スリランカ旅。最初から最後まで美味なる料理に恵まれて、本当に、どうしたものだ、という感じだ。
スリランカに生まれ育った3人の話は、束の間の旅人には非常に興味深く。
わずか1時間ほどの会話の中にも、知ることが多く、ここに記すのは控えるが、勉強になった。
これは、スリランカン・エアの機内誌の記事の一部。今回は時間がなかったが、次回はコロンボにもせめて一泊して、このダッチ・ホスピタルを再び訪れたい。
というのも、ニハールたちによれば、ここにあるカニ料理専門店が、かなりいいらしいのだ。その名も、Ministry of Crab。嗚呼。カニ、食べたい!
彼らと再会の約束をして別れたあと、夕刻の便に乗るべく、コロンボから更に1時間ほどかけて空港へ向かった。
■豊かな時間をありがとう。スリランカ、また来ます。
アユボワン。AYUBOWAN。
アユボワン、とは、スリランカの、挨拶だ。
"AYU"は、人生、生命。"BOWAN"は長い、永続性、を意味するとのこと。
すなわち、「長寿を」という言葉が転じて、「こんにちは」という挨拶となったらしい。
スリランカの主要言語であるシンハラ語は、サンスクリット語の影響を強く受けた言語だと聞く。
アーユルヴェーダ(AYURVEDA)とは、サンスクリット語のAYUS(生命、寿命)のVEDA(科学)という意味であり、このAYUと同義であるらしい。
出会ったときにも、別れるときにも、相応しい。やさしい響きの挨拶だ。
飛行機に乗り込み、モニターに映し出される地図を見ながら、バンガロールとスリランカ、本当に近いな、と思う。
インド全体が映し出されようものなら、スリランカ、飛行機に覆われてしまうし。
わずか1週間余りの滞在だったが、本当に、さまざまな経験ができた。
豊かで起伏に富んだ自然。
守られてきた文化遺産。
健康的な食事。
穏やかな人々の様子。
欧州列強に翻弄されてきた歴史。
内戦の、すさまじくも悲惨な歳月。
この国の持つさまざまな事実に触れ合いながら、本当に、いい旅だったと、感慨深い。
ところで。インドの地図を見るたびに、思っていた。インドの国土は、象の頭の部分に似ているな、と。鼻が短いけれど、どことなく、象っぽい。
これを書くと、スリランカの人に顰蹙を買うこと間違いなし。
なのだが、あくまでも、わたしの印象として、書いておく。
スリランカの人、どうぞ気分を害しないで欲しい。
インドの国土を象の頭に見立てると、スリランカは、「象の鼻水」に見えていたのだ。
すみませんすみません。もう、二度と書きません。イマジネーションが感じ悪くて、すみません。
でも、そう見えなくもないでしょ?
その鼻水に、こんなにも魅力が詰まっていたとは……と、切に感動しているのである。
本当に、今回旅をしてみるまで、気づかなかった我。
なにしろ内戦が終わったのが2009年5月。これから益々、この国の魅力は、世界の人々に伝えられていくことになるのだろう。
2010年には、米国のニューヨークタイムズ紙で、"The 31 Places to Go in 2010"の筆頭に選ばれ、すでに注目を集めているようである。
以来、社会人になって直後の20代前半は、海外旅行のガイドブックの編集者として異国を旅した。
20代半ばは、情報誌の海外特集担当の編集者として、世界各地を「車でドライヴ」する企画をたて、各地を走った。
20代後半は、中国やモンゴルでの列車旅行だの、欧州3カ月放浪だのと、バックパッカーな歳月を過ごした。
30代になってからは、ニューヨークを起点に、当時ボーイフレンドだった夫と、少なくとも半年おきに旅に出ていた。
これまで、多分、ゆうに30カ国を超える国を旅してきた。訪れた街は、数百に上り、とても数えきれない。
訪れた国や街の多さは、実のところ問題ではない。得意になって語ることでもない。それをわかった上で、敢えて記している。それは、比較した上で、強調をするという意味で。
少なからず、世界各地を旅してきて、数多くの経験を重ねて来たうえで、思う。
今回のスリランカの旅は、今の自分に本当にタイミングよく現れた、意義深い日々だったと。稀有なご縁であったと。
旅をすること。について、じっくりと考えをまとめてみたくなる、旅でもあった。
が、もうそろそろ、インド的日常に気持ちを完全シフトせねばならないころだ。すでに帰国後、1週間もたってしまった。
今月はまた、さまざまにやるべきことが待ち受けており、のんびりもしていられない。
鬼のように長いスリランカ旅の記録。写真だけをささ〜っと見た方の方が絶対的に多いと思うが、気が向いたらどうぞ、文字も読み返していただければと思う。
今回の旅のルートなどについては、改めて地図を添付するつもりだ。
■おまけその1:旅の思い出たち
●ゴールのBAREFOOTで購入したアーユルヴェーダの処方によるモイスチャライザー。
非常に使用感がよく、香りもよく、たいへん気に入った。
すごくかわいいと思うのだが。
庭にネズミが出没しては、攻防を繰り返している我が家。
「ミホはネズミ、嫌いでしょ?」
と、諸々、夫から顰蹙を買ったが、取り敢えず、家においている。
●今回の旅でお世話になったガイドブック。
といっても、情報収集は夫に任せっきり。
要点だけを夫から教えてもらう妻であった。
●ゴールの書店で購入した写真集。
わたしたちが滞在したホテルも掲載されている。
ぱらぱらとページをめくり、眺めているだけで、楽しい。
理解しやすく的確に、要点がまとめられている。
フォートに対する思い入れが伝わってくる、温かな一冊。
店で見た時には、いい感じ、と思ったが。
家に開いてみたら……。怖い。
どこにかけようか、思案中。
■おまけその2:今回の旅の行程
この旅記録。第一回目にも記した通り、これはあくまでも、スリランカに近いインドに暮らす、スリランカ・ビギナーのわたしたちによる、旅の記録である。
肝要なポイントを外していたり、コロンボに滞在しなかったりと、かなり偏った面もあるかと思う。
ということを、再度、前置きした上で、今回の旅の地図を載せておく。
既存の地図に、今、訪れた場所をマークしてみた。「雰囲気」を掴んでいただけるのではないかと思う。
緑色のマーカーで示しているのが、今回の走行ルート。全1,000キロちょっと、であった。
■スリランカ旅 (JANUARY 2012) の全記録。 (←Click!)
[Sri Lanka 01] 空路1時間。インドとは似て非なる島国へ
[Sri Lanka 02] 緑滴る田園地帯。仏教遺跡を経て湖畔リゾートへ
[Sri Lanka 03] 土地の味。灼熱の都市遺跡。1,300階段と絶景!
[Sri Lanka 04] 緑濃きヌワラエリヤ。絡み合う紅茶と内戦の歴史
[Sri Lanka 05] 果てなき茶畑。長時間ドライヴ経て森林保護区へ
[Sri Lanka 06] 幽玄の夜明け、熱帯雨林。海辺の砦へ時間旅行
[Sri Lanka 07] 葡萄牙、阿蘭陀、英国。歴史、連なりて旧市街
[Sri Lanka 08] 海へも行かずフォート。夕暮れ南無妙法蓮華経
[Sri Lanka 09] 心残して、新高速経由コロンボ。アユボワン!