[Mumbai 03] ムンバイに住んでいたころは、6月から8月ごろまで続くモンスーンの時節、降りしきる雨と蒸し暑さ、そして絶大なる湿気に辟易していたものだ。バンガロールに舞い戻るたび、高原の軽やかな風に心を緩めたものである。
ムンバイを離れて8年。これまではモンスーンの時期を外して来訪していたから、この豪雨は久しぶりに見る光景。遠い日の、雨にまつわる出来事を、あれこれと思い出す。
2009年、北ムンバイと南ムンバイを結ぶ「バンドラ・ウォーリ・シーリンク」が開通した直後、北側に住む友人宅を訪れた。しかし豪雨で大渋滞。海も、橋も、道路も、なにもかもが灰色に溶けていた。普段は1時間ほどで到着するはずか、2時間以上もかかったことを思い出す。鉄板焼きをごちそうになったあの夜。まだ歩き始めたばかりだった子供は、すでに小学生だ。
今回のムンバイ旅。日本からヨガの修行で1カ月間デリーに滞在している友人が、2泊3日で会いに来てくれた。夕べ久しぶりの再会。かつては仕事で、共にムンバイを何度も巡った。尚更に、過ぎし日が偲ばれる。
ところでインド。タージやオベロイ、ITCなど、昔ながらのラグジュリアスホテルは、自社のホテルスクールを擁しているところもあり、従業員の教育が行き届いている。サーヴィスが極めてよく、概ね快適な滞在を楽しめる。
ここフォーシーズンズは外資系ではあるが、やはりサーヴィスがとてもよく、居心地がいいのが魅力だ。インドのホテルの朝食の充実ぶりはかなりのもので、「食べ過ぎないように」がキーワード。
冷菜はブッフェ。「温かな料理」は注文する。マッシュルームのオムレツと、南インドの庶民的朝食「ワダ」を1つ、注文したところ、完全武装、いや、過剰デコレーションされたワダが供された。
パレットを思わせる大きなプレートに、ココナッツのチャトゥネやスパイス、サンバル、ギーなどが、恭しく配されている。ワダ1つではバランスが悪いからか、2つ、入ってきた。テーブルのスペースを取りすぎるし、これはちょっとやりすぎだ。
しかし揚げたてのワダは極めて美味。
コーヒーは南インド産のモンスーン・マラバー。普段愛飲しているコーヒーに似た、お気に入りの味だ。
今日も今日とて雨のムンバイ。しかし、ミッションがあるわけでもない。渋滞を避けながら、午後は街へ出かけよう。
[Mumbai 04] One of my favourite scenes in Mumbai. The view of monotone also has charm.
アラビア海を望むマリン・ドライヴ。
走る車の車窓から、幾度もシャッターを切れば、味わい深い一葉が紛れている。
我がホームページの冒頭で使っている写真も、この光景だ。
モンスーンのころはまた格別の情趣を漂わせ、遥かな気持ちへといざなってくれる。
[Mumbai 05] 2008年から2010年までの2年間、わたしたちが暮らしていたのは南インドの更に南端、コラバ地区。カフ・パレード。
古くからの歴史を物語る建築物が多い南ムンバイの中でも、個性が色濃いこの場所。インド門、タージマハルホテルの歴史を語れば、濃く、尽きず。
2004年。米国に住んでいたころ、初めてムンバイを訪れた。深夜の空港に降り立ち、夕闇の中を走るタクシーに揺られて、たどり着いたこのホテル。闇に浮かび上がるインド門を眺め、当時はエントランスがあったオールドウイングに足を踏み入れ、チェックインしたときの、得も言われぬ感動は、今でも忘れられない。
しかし、そのときに、一抹の違和感を覚えた。どうして入り口が、こんなに狭いのだろうということ。
高級ホテルには「インド人と犬は入るべからず」とされていた英国統治時代。しかし、タタ・グループの創設者であるジャムシェトジー・タタは、インドで最も高級なホテルを作ると決意し、このホテルを作り上げた。このホテルにまつわる話をするだけで、1時間は軽くかかってしまう。ストーリーに満ちあふれている。書き始めると終わらない。
中でも「インドだもの」と衝撃を受けつつも納得したストーリーを一つ。115年前の建設当時、建築家の意図とは異なり、この建築物は「間違って」180度、反対向きに建設されてしまった。本来、プールのある側が、海に面した車寄せ、そして正面玄関になるはずだった。ちなみに、建築途中で現場を訪れた建築家は(なぜ早い時期に見に行かなかったのかは不明)、ショックのあまり、建築中のホテルから投身自殺を図ったという。
ともあれわたしにとっては、ムンバイにいたころの、心の拠り所でもあったホテル。しかし今からちょうど10年前、2008年11月26日、ムンバイ同時多発テロの標的のひとつとなった。海から上陸したテロリストたちによって、無差別に銃殺された人々。血の海となったロビー。黒煙をあげるクーポラ……。
多くの命が奪われた。その話を思い出すだけでもまた、長くなるので、このへんにしておこう。
米国の同時多発テロ、そしてムンバイの同時多発テロ。どちらもが極めて身近で起こったという事実は、わたしの人生に大きな影響を与えている。
あの日以来、オールドウイング(旧館)に飾られる花は、ずっと、白い花だ。かつてはいつも黄色い花が飾られていた、Sea Loungeのテーブルの花も、10年間、ずっと白いまま。
[Mumbai 06] 朝のうちは豪雨だったが、正午過ぎから雨脚が和らぎ、ゆえに友人とともに南ムンバイをめざした。かつてよく訪れていた、マリン・ライン沿いのサリー専門店 KALA NIKETANに立ち寄ったり、コラバ・コーズウエイにあるチョコレートブラウニーが人気の老舗ペイストリーショップTHEOBROMAを覗いたり。
大雨で外出を控える人が多いせいか、むしろ渋滞がなく、かつてなく短時間で移動できたのは、実に幸運だった。
タージマハルホテルでは、やはり老舗のブティックで質のいい手工芸のテキスタイルを眺めたり、お気に入りのJOY SHOESで定番のサンダルを購入したり。
そして最後にたどりつくのは、Sea Lounge。インド門を眺めるここは、本当にすてきな場所。ムンバイに住んでいたころは、しばしばここを訪れ、書き物をしたり、読書をしたり、したものだ。
喧噪と混沌のムンバイにあって、ここはオアシスのようでもあった。
ランチを食べていなかったので、早めの夕飯を兼ねてのアフタヌーンティーを楽しむことにした。延々、3時間ほども、おいしいスナックや菓子類、果物、そしてコーヒーやお茶を味わいつつ、語り合う。
かつてに比べれば呆れるほど、なにもかもが高くなってしまったけれど、しかしこの場所が紡いでくれる時間は、格別な輝きを放つ。自分にとって心地のよい場所を見つけられることは、ささやかながらも、大切なこと。だ。
わたしがムンバイで一番、気持ちが休まる場所は、過去から今に至るまで、ずっと、このオールドウイングのSea Loungeだ。
(ニューウイングの宿泊者も、オールドウイングのSea Loungeで朝食をとることができる。おすすめです)
Joy shoesのサンダルは、そのときどきで、赤、紺、黒、白、金、銀と、さまざまな色をかれこれ10年以上、愛用し続けている。
今回初めて「低すぎず、高すぎない」ほどよいかかとの高さのサンダルが「新発売」されていた。前々から欲しいと思っていた高さ。各方面からリクエストがあって、ついには発売の運びになったらしい。結構、時間がかかりましたね。